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武埜 山水
2023年2月4日 20:33
前回は下記のリンク友川カズキは十九で秋田県から集団就職のため上京する。当初は百貨店の接客業をするも秋田弁の訛りの為に配送系の仕事にまわされてしまう。その仕事もしばらくして辞め思索と苦心の時が続く。彼を語る上で欠かせないバスケットとの関わりもこの時代にある。恩師・加藤氏より秋田県能代工業高校にてバスケットボールチームの講師を任されるのである。友川二十歳の時だ。一度、秋田にコーチをするべく帰郷