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第1回 運用力につながる学習デザイン(後編)

メルカリが作った「MerClass(メルクラス)」という日本語グループレッスンのカリキュラムは、その後いくつかの改変を加えて運用されています。スピーキングテストも独自に開発し、受講前とタームごとの評価を行っているといいます。
日々のレッスンはどのようにすすめているのか。また評価の仕組みはどのようになっているのか。後編はそのあたりの話を中心に進んでいきます。
 (前編はこちら


◆企業のアセスメントとして、言語能力をどう評価するか

来嶋:親松さんは人事に所属されていて、日本語レッスンは別に先生がいて任せているという感じですか?
 
親松:はい、人事に私たちの言語教育チームがあるので、部署としては人事です。レッスンについては最初に私が作った当初から2019年末ぐらいまでは直接レッスンも行っていました。そこからは形ができたので自分たちで直接やらずに、レッスンを担当してくださる方を募集して業務委託をし、私たちは仕組み作りのほうを中心にやっています。まだ全社的な公開には至ってないんですが、各レベルの全体的な尺度を示すCan-doリストも作りました。日英ともA1、A2、B1、B2それぞれのコンピテンシーに対して、期待するふるまいをすべてメルカリ文脈で書き出したものです。
 
来嶋:Can-doはいくつぐらいあるんですか?

親松:学習者目線で混乱が生じないように割とシンプルな作りにしているので、そんなに項目は多くないです。一つのレベルに対してメルカリの業務を行う上で社員に共通して必要なコンピテンスごとに5~6個程度。メルカリで重視しているものは主に話すやり取りとかストラテジーとかです。あとは人と共に働くという観点で、メディエーション(仲介)についてもいくつかピックアップしています。到達目標は日本語のMerClassについてはB1、最近はそこからさらに踏み込んで、B1やB2レベルの学習者を対象としたプログラムも作りました。英語の到達目標はB2です。日英どちらもスピーキングテストでレベル判定をしています。
 
来嶋:それはB1のタスクをスピーキングテストでさせるんですか?MerClassでやるCan-doとは関係性はあるのでしょうか?

親松:スピーキングテストでは、レッスンで扱ったCan-doができたかどうかではなく、各レベルの全体的な尺度とそれに付随するコアスキルについて採点ロジックを作り測定しています。会社としてのアセスメントなので、日本語学習プログラムに参加していようがいまいが関係なく、口頭運用能力を全体的に見るテストになっていますね。どのレベルも同じテストを受けるため、質問はすべて同じで、それに対して出てきた言語のクオリティと、質問に対しての回答として目標達成ができているかどうかでレベル判定を行っています。組織規模で考えた時に、人材の配置などいろんなことに数的に使える部分として同じ基準でレベル判定したデータは必要で、そういう面で機能する指標です。
 
来嶋:なるほど、アクトフルOPI(※)の評価の考え方に近いですね。そうすると基本的には発話テキストを分析するのに言語形式をある程度レベル付けしておく必要性がある、ということでしょうかね。
 
親松:そうですね。英語教育のほうとも整合性を取りながら、自分たちがどういう基準で加点していくかという方針を決めました。その判定を複数人で行っても評価がブレないようになるには相当修練してきました。CEFRやJF スタンダードなどを参照して、典型的なB1とかA2はこういう話者だ、というのをいろんな音声を使ってイメージを固めていくというところからスタートしました。
発話のどんなところを見ているかというと、やはり文法と語彙があります。じゃあ文法はどこを参照するのか、語彙はどこを参照するのか、という問題が出てきますが、いろんな教材の語彙リストなども参照しながら、レベル付けをしていく。この会社だから出てくる特殊語彙などは、会社で判断基準があるので、そこからレベルを分類していくという地味な作業をずっと繰り返し行ってきました。
最終的にいろんなロジックで関数が組まれて、この人は 「B1 low」というような判定がつけられるような仕組みになっています。
 
来嶋:なるほど。一方で「隣の人に話しかけられるようになってほしい」という、コミュニケーション能力を日本語で養うという、その目標設定はどのように評価していらっしゃるのでしょうか。日本語教育の目標というか、先ほどのスピーキングテストとは別に、会社が求めているのは何ができるかという内容の話なのかなと思ったんですが、そこはどのように達成しているのでしょうか。
 
親松:MerClass受講者のCan-do達成度に関しては、カリキュラムの中に組み込んでいます。“Can-do List for A2”というものがあるんですけど、MerClassのタームの始まりと終わりに使うことで、自分のCan-doがどう変わったか、自己評価ができる仕組みにしています。

◆日本語教師の仕事は言葉を教えることだけではない

来嶋:現在、MerClassはすべてオンラインでやっているんですよね。運用力につなげるための授業はオンラインではどのようにやっていますか?『まるごと』は教室での対面授業が基本になっているんですけど、オンラインでどうやって活発なやり取りをさせるのかなと。
 
親松:コロナ禍を経てオンラインでのやり取りはすでに私たちの日常になっているので、レッスンも仕事もコミュニケーションする環境としては同じということがまずあります。6人までのグループレッスンでやっているんですが、トレーナーはファシリテーター的な役割で、きっかけ作りは行うけれども、学習者から発信される言葉をうまくキャッチして、そこから展開していきます。
毎回Can-doは設定されていますが、そのCan-doが絶対どの学習者にも等しく必要というわけでもない。例えば、同僚や友達を食事に誘うというタスクで、自分から誘ったりしないタイプの人もいます。自分は食事は一人でしたいんだ、という人。そこを無視して進めていくのではなくて、「じゃあ誘われたらどうする?」と、誘われた場合の行動目標を決める。参加者それぞれが誘う立場、誘われる立場に立ってやり取りをして、各自のゴールに到達できるようにしていく。どちらの立場かというのは自分で選んでいいし、学習者が実際に置かれている状況がどういうものかというのは慎重にヒアリングしてほしいとトレーナーには伝えています。

来嶋:究極的には自分にとってのCan-doは何かというところで、シラバスも教材も個別的にならざるを得ないところがありますね。『まるごと』のように不特定多数を対象にして出版される大きな教科書では、本当によくあることしか載せられないので、やっぱり教室で教師が自分の学習者にはこれが合ってるということを判断して作ったり、あるいは他から持ってきたりして、調整・調節することが大事なんじゃないかと思います。だから教師には学習者のために自分が使う教材をパーソナライズするといいますか、そういう視点と技術が必要だと思いますね。
個人単位でもそうですし、企業単位でもそう。この企業にはこれが必要なんだということで考えていかなくちゃいけない。そうすると、日本語教師の仕事は単に教えることだけじゃなく、より大きい視点で最適化というか、そういうことをやる大事な仕事だと思うんですよね。

親松:そうですよね。日本語教師ってただ言葉を教えてくれる人っていう認識になってしまっていますけど、見えている世界は周囲が思うよりももっと広くて深いということがもうちょっと理解されてほしいです。
 
来嶋:メルカリの言語施策についてまとめたサイトも見ましたが、素晴らしいと思ったのは、歩み寄りの精神。それに向かって日本教育も英語教育も自社でされているわけですよね。目指す理念というか理想がちゃんとある。こんなことを考えている企業があるんだ、素晴らしいなと思いました。

親松:ありがとうございます。でも一社だけがやっていても社会全体にはいいインパクトにはならない。自己満足で終わらずに、再現性があるかどうか。他の企業がやった時に、同じようなカルチャーが作れるかどうか。人材獲得は、どの会社もすごく苦労しています。日本に来て働いてもらえる環境を提供できるかどうかというのは、一部だけが努力しても実現は難しい。社会全体がそうならないと実現できないと思っているので、そこを私はどう伝えていったらいいんだろうというのは課題意識として持っているところです。(終)
 
※ACTFL-OPI(アクトフル オーピーアイ):The American Council on the Teaching of Foreign Languages (全米外国語教育協会)によって開発された会話能力テスト。OPIは、oral proficiency interviewの略。
 

【関連書籍】

Can-doで教える 課題遂行型の日本語教育
来嶋洋美 / 八田直美 / 二瓶知子 著 三修社
「学生があまり上手に話せるようになりません」という、ある先生の悩みから本書はスタートします。そこに潜む問題点は何か、そして運用力につながるための学習はどうデザインすべきか。たくさんのヒントが詰まった1冊。


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