第1回 運用力につながる学習デザイン(前編)
「隣の席の人に話しかけられるようにしてほしい」
日本語教師としての採用面接のときに、メルカリからそうリクエストされたという親松さん。
当時すでに外国籍社員の日本語教育に取り組んでいたメルカリでしたが、「従来通りの日本語教育だとうまくいっていない。これまでの保守的なやり方にとらわれずに考えてほしい」と明確に言われたといいます。
この要求に対して親松さんはどのように応えていったのか。
第1回は日本語教育専門家の来嶋洋美先生をお招きし、運用力につながる学習はどうデザインすべきか、その方法論について語り合います。
◆現場のニーズに応えられていないという危機感
親松:日本語学校に勤務していたときから、日本語教育の「導入→意味説明→文型コーラス→代入練習→応用」という典型的なレッスンの流れに個人的に疑問を持っていたんですね。一定期間学習を続けている学習者の問題点として、どの講師も口をそろえて「会話がなかなかできるようにならない」と言う。つまりそれはカリキュラムのゴールとテキストの狙いがマッチしていないと言えるのではないか。もっと効率的に「話せる」「会話ができる」状態にできないものだろうかと。
採用の際に、「隣の席の人に話しかけられるようにしてほしい」と言われたことは、当時の私に深く刺さるものがありました。日本語教育としてそういうアプローチを正当なものとしながらも、学習者の「会話ができない」という状況は、問題として捉えられているというより、「そういうものだよね」と受け止められてきたのではないか。お客様である企業からそのようなコメントが来たことは正直ショックで、日本語教育は現場のニーズに応えられていないという危機感を覚えました。
来嶋:私は1980年代の終わりごろから日本語教師をしていたんですが、その当時から面白くないと思っていたんです、文型の教科書。でも自分が受けた英語教育もそんなものだったので、勉強というのは楽しくなくても己を強いてやるものなのだろうか…とずっとモヤモヤしていました。
日本語教育はずいぶん長い間、文型積み上げ式でやってきましたが、良くなかったのは、それしかないとみんなが思ってしまったことです。外国語教育の歴史は長く、他にも方法があるはずなのに、そしてなかなか会話ができないという学習者を目の前で見ているのに。コミュニカティブアプローチ(※1)を取り入れるという努力はしたけれども、もうひとつ足りなかったというか、コースデザインをする力が弱かったんだと思います。目標設定の方法も画一的で、方法論を選択できない。それが一番の問題ですね。
人によっては文型積み上げでもいいかもしれない。大事なのは学習者の目標に合ったコースはどうやって作ればいいのかということ。それをちゃんと実行できる能力を身につけないといけないなと思いますね。親松さんはメルカリに入るまで、コースデザインをやる機会はありましたか?
親松: 1 対 1のプライベートレッスンで学習者向けのデザインはやりましたが、大規模なものはやってなかったです。私がメルカリに入社したとき、日本語教育に先んじて社内向けの英語教育の仕組み作りがすでに始まっていたので、その仕組みを大いに参照しました。当時から英語については明確に「CEFR(※2)の理念に基づいて目標設定、活動、評価を行う」と方針が決められていたので、日本語も同じ方針で行くべきだと行動中心アプローチ(※3)を採用しました。テストやカリキュラムを作るとき、あらためて複数の日本語テキストについてもシラバス分析をしたのですが、シラバス一覧を眺めていてもそれがどう行動中心アプローチに結びつくのか、明確にイメージすることができませんでした。当時の私は「この課で取り扱う文型を使ってできるようになることをCan-do(※4)にする」という考えがどうしても出てきてしまっていた。例えば「Vてもいいですか」という文型が出てきたら、「許可を求めることができる」というCan-doを設定してしまう。どんな言語知識が前提か、というところに立ってしまい、コミュニカティブアプローチと同様の終着点になって本来の行動中心アプローチが狙いとしていることとは違ってしまっていたんですね。
カリキュラムを作っていても簡単な文型から難しい文型に無意識に積み上げていたりする。これは多分違うなと思って英語のカリキュラムを見ると、難易度で並んでいないことに気づいた。難易度で並べて見てしまう無意識の行動を 1 回意識的に排除して、あくまでも学習者が遭遇していく場面を遭遇しやすい順に並べ替えてみたんですね。そしたら、それぞれのタスクから想定される文型がやっとバラバラになった。そうやって最初にできたカリキュラムは全30課くらいで、各課に行動目標であるCan-doを設定しました。軸としたのは採用面接で言われた内容で、「身近にいる人とどういうやり取りをし、関係性を構築するか」というところに注目しました。
来嶋:私たちも『まるごと』を開発するとき、やはりアンラーンというか、マインドセットの変容を余儀なくされました。場面については、自分たちが海外赴任していた時に、どういうところでどんな時にどんな交流をしていたのか、日本語で話す機会があるとしたらそれはどういう時だったかということを思い出しながら書きました。日本語がちょっとでもできたら接点ができたなというような場面。本当に小さな場面ですよね。でもそれで知り合いになったり、次の日会った時に挨拶できたり。御社の言う「隣の人に声をかけられるようになる」と同じです。言葉を学ぶ目的は、仕事に使う、生活に使うとかいろいろ言われますが、言葉をいつ使うか、何のために学ぶかって、やっぱり関係性の構築ですよね。オンラインで言語の壁を越えていろいろなことができるようになってきた今、外国語を学ぶ目的は、直接相手に伝えたり、誰かと仲良くなったり、最後はそれしかないと思います。
◆ビジネス日本語への疑問
親松:人間関係の構築がうまくできたら、よい仕事へと繋がっていきますしね。ビジネス日本語は日本語レベルが高い人でなければできないのかというと、決してそうではない。A1レベル の人もA2レベルの人も毎日仕事をしていて、そこに行動目標は発生しているわけです。例えばオフィスのエレベーターホールでもいろんな会話が行われていて、ちょっと声をかける、天気の話をする、近況を聞くといったやり取りはどんな人でも生じることだと思うんです。A1的な天気の話とC1的な天気の話では違ってきますが、伝えたいこと、相手に分かってほしいことは、それぞれどんなレベルの人でも日常生活であろうが会社での場面であろうが必ず生じているから、ビジネス日本語のクラスみたいなくくりをする意味がよくわからないんですよね。
来嶋:敬語の使い方とかビジネス文書の書き方とかは、従来のビジネス日本語の教科書ではよく扱われていますね。最近は異文化理解というか、ビジネスマナーのようなものも入っている。でも、日本のビジネスマナーだからといって、日本人の考え方、ある文化的価値観に沿った行動とか考え方を押し付けるというか、こういうふうにしましょうって言えるのだろうかと。日本の人はこんなふうにしている人が多いですよということは言えると思うんですが、学習者が同じようにふるまわなければいけないのかなと。
親松:あからさまであろうとなかろうと、同化への圧力はあるなと感じます。異文化理解に関しても、日本的な考え方を理解してもらうのは必要だと思いますが、そこに合わせていってほしいという期待がどの異文化理解研修にもあるなというのと、言語教育にもそういうところが現れてしまっている気がします。本来はお互いの文化を相対化して、そこからどうすり合わせていくかということが展開されなければいけないはずなんだけど、日本で行われている異文化理解研修には、そういうものはまだ少ない印象です。
来嶋:『まるごと』の中にも実はそういう場面があります。日本の本社から海外の支社に出張者が来るという場面で、出張に来た人にあれこれ世話を焼いてくれる現地の人がいる。空港まで迎えに行ったり、ホテルへ案内して部屋の鍵がちゃんと開くか、シャワーの水が出るかなどをチェックしてくれると。それって、日本人の会社員側が期待していることではあると思うんですが、それを見て「そこまでするのか」と違和感を持つ学習者はもちろんいると思う。私たちの経験としては、ここまでやってくれる人は多いなとは思っていたんですが、日本語の教科書にあれを載せることで「ここまでやらなくちゃいけないんですか」と教師に聞く学習者はいるだろうし、疑問に思う教師もいる。それを機会と捉えて話し合ってみるとか、必ずしも同じようにしなくていいんですよということを、教科書を素材にして自分ならどうするか話し合ってもらえたらと。
親松:多分それを使う日本語教師がその視点を持てているかどうかがポイントになると思います。きっとこういう意見も出るだろうということが想定できて、どういうふうにこの場面について説明しようかというところまで教師がちゃんと想定できているとハンドリングしやすいはずなんですよね。むしろそこで生まれる議論をレッスンで活用していいと思います。おそらくなんとも思わない人もいるでしょうし、疑問に思う人も当然いる。それぞれどこを基準にしているか、その前提が違うから意見の食い違いが発生する。この教科書のこの場面設定はこういう作りになっているから、こういう解釈もあるよねとか、いろいろやり方はあると思います。(後編へ続く)
※1 コミュニカティブアプローチ:コミュニケーション能力の向上を重視した教授法の総称。学習した内容をインタラクティブなアクティビティーやロールプレイなどを通じて実践的な言語能力の向上を目指す。
※2 CEFR:Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessmentの略。2001年に欧州評議会が発表したもので、外国語の運用能力を示す国際的な指標としてヨーロッパを中心に世界の多くの言語で利用されている。言語を使って何ができるかという基準でA1、A2、B1、B2、C1、C2の6つのレベルに分けられており、異なる言語を共通の基準で評価できるという特徴がある。
※3 行動中心アプローチ:「言語を使って何をするか」を始点に授業活動をデザインする考え方。学ぶ言語知識が先にあるのではなく、達成したい課題が先にあり、そのために必要な言語知識を学ぶ。
※4 Can-do:その言語を使って具体的に何ができるかということを記述したもの。各レベルに応じて「~できる」という形式で示される。学習の目標になると同時に、熟達をはかる基準としても使われる。
【関連書籍】
『Can-doで教える 課題遂行型の日本語教育』
来嶋洋美 / 八田直美 / 二瓶知子 著 三修社
「学生があまり上手に話せるようになりません」という、ある先生の悩みから本書はスタートします。そこに潜む問題点は何か、そして運用力につながるための学習はどうデザインすべきか。たくさんのヒントが詰まった1冊。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?