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手放しても自分の中に残るもの – カナダ移住と永住権放棄の話

生きていく中で、ずっと持ち続けていられないものはたくさんある。
私が今までで手放した大きなものの一つは、カナダの永住権。

そう、実は永住権まで持っていたのです。

2015年、カナダの移民プロセスが大幅に変わり(きっとDX・デジタルトランスフォーメーションが上手くいったんじゃないかと思う)、なんと申請から4ヶ月程度で取れてしまったのでした。


ただ、カナダに行くことを決めた時、永住権を取ることを目標にしたわけではありませんでした。永住権を手にした時ですら、そこにずっと住み続けるのかどうか、ハッキリ決めていたわけではなかったのです。

じゃあなんで取ったのかと言えば、取れそうだったから。条件が非常に揃っていて、一番簡単に取れるのがその時だと思ったのです。色々な人たちに協力してもらい、めんどうな書類集めや健康診断や何やらと、お金もそれなりにかかった(とは言っても、当時全部こみこみで20万円程度だったから、他の国に比べたらかなり安く済んだと思う)とはいえ、驚くほどスムーズに行きました。

フォトジェニックな、トロント中心部にあるBrookfield Place

けれど、まあ色々あって、帰国することになり(そのくだりはまた別の機会に…)、それから2年半後、カナダに戻ることなく、永住権というこの上ない特権を手放したのでした。

それも、よし!手放そう!と思って手放したというよりは、そうなることはなんとなく分かっていて、その事実を受け入れることができた、という方が合っている気がします。

私の場合、その当時の要件としては、一応3年くらい日本に住んでいてもまた永住者としてカナダに戻れる、というものでした。

ですが、日本に住むようになり、自分の国に何の心配もなく住めること、家族がみんな安全で仕事もあること、自分の国の文化や言語を、自分のものだと当然のように言えること、これらのことが本当にありがたいと思うようになり、数年経つ頃、自分には必要なかったものなのかもしれない、と思うようになりました。

その考えに至ったのには、ある記憶が関係しています。

Queen Street Westにある壁面アート。勇気づけられたり、ハッとさせられたり。行く度に気持ちの確認をさせてくれた。

移民局から永住権申請の承認を意味する手紙が届き、それを持って最寄りの移民局オフィスに行った時のこと。人気はそれほど多くなく、全体的にとても静かだったのを覚えています。

オフィサーは基本事項を確認したあと、非常にサラッと"Congratulations! You're now a Canadian PR!" と言って手紙にスタンプを押し、そのプロセスはものの数分。

もちろんとても嬉しいのだけど、あっけなさすぎて、笑ってしまいそうでした。

しかし、私の両端には全く違う世界が広がっていたのでした。


少し離れた左側のブースには、インドかパキスタン出身と思われる、ベビーカーを連れた若い夫婦。彼らも希望の移民ステータスが取れたようで、抱き合って喜びを分かち合っていました。彼らの顔には安堵とも取れる優しい笑顔。新しい出発を心から喜び、感謝しているように思えました。

一方右側のブースには、ソマリアかエチオピア辺りの出身と思われる若い男性。彼の方は何かが上手くいかなかったのか、焦ったような口調で、オフィサーに対して色々な質問をかけていました。緊張した様子に、こちらまでなんだか落ち着かない気持ちになりました。


彼らの姿を見た時、私が思ったのは、「彼らには簡単に帰れる場所なんてないのかもしれない」ということでした。

私は、帰ろうと思えばいつでも日本に帰ることができる。家族もいる。経済も豊かで、仕事だってすぐに見つけられる(カナダよりも簡単に。)それなのになぜ、私は永住権まで手に入れたのだろう?

なんとも言えない、居心地の悪さ。

もちろん、きちんと永住権が許可されたわけですから、それはすなわちカナダ側も私がそこに住むことを望んだ、ということ。けれども、私よりも、移民局で出会った彼らの方がずっと、カナダという国を必要としているのではないか?私よりも、きっともっと苦労して移民申請をしただろう彼らの方が、カナダにいる意味があるんじゃないだろうか?

そんな思いが、その時すでに芽生えていました。

友達とよく遊んでいた公園。何をするでもなく、ただコーヒーやなんかを片手に、だべっていました。

日本に帰ってきた時、カナダに戻る意思はゼロではありませんでした。
日本が気に入らなかったらまた戻ってこよう、そう考えていました。

ですが、何の不安もなく自分の国に住めることがどれだけの特権であるのか、日本で過ごす時間が長くなるとともに、強く実感せずにはいられなかったのです。

そうして時がさらに過ぎ、もう今がタイムリミットだなと思った時、私は同じく永住権を手放した経験のある友人の助言のもと、移民局のウェブサイトに行き、"Renouncement(放棄)"を選択したのでした。

私がカナダを去ったことで、具体的に他の移民の人たちにとって何か利益があるわけではないだろうけど、本当にあの国を必要としている人たちのためのスペースが、ほんの少しでも作れたらいい、と願っています。


永住権取得を手伝ってくれた人たちや、私が戻ることを期待していた友人からは、残念だという言葉ももらいました。ただ、永住権を一度手放したことで、将来もう一度、本気でカナダに移住したいと思った時にペナルティが加わるわけではありません。その時は、その時。

オタワで見た、衝撃的に美しい夕焼け。写真ではまったく伝わらない、荘厳な風景でした。

海外での長期滞在を決意した経験のある方なら分かるかもしれませんが、カナダに行った時、私は「まだ見ぬ自分」のようなものに期待していました。確かに海外での経験は、それまでとは180度違う価値観をもたらしてくれたし、ある意味で私は別人になりました。


けれども、結局どこにいても、自分自身からは逃れられないのです。

私の身体は私のままだし、たくさんの経験を積むことは、これまでの経験を消し去ることではない。

だから、永住権を持っていようとなかろうと、カナダに住んでいようとなかろうと、私は私である。どこにいても、何をしていても、私は存在しているし、世界も存在してる。

今はそんな風に思います。

私にとって今は特別な意味を持つ、メープルリーフ。

今日から新しい月。ちょうど新月でもあるそうです。何かを始める前に、何かを手放す人もいるでしょう。

手放すことで、新しい何かが入ってくる。それは本当。
そしてもうひとつの本当は、手放しても、ちゃんと自分の中に残っているものはあるということ。

ちょうど数日前が誕生日だったのですが、そう思えるようになった自分は、ちょっとは大人になったかな、と思います。


今日も明日も、あなたの世界が美しさで満ち溢れていますように。


* * * * *

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