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第1話 トゥカリアの跡目争い(2) ~星の記憶~

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 遅くなってしまった----
 グレンは少しばかり急ぎ足に寮への道を歩いていた。こっそり抜けだし諸々に使う材料を買い集めに外へ出ていて遅くなったのである。学舎につくころにはとっぷりと日も暮れてしまっていた。新月が近く、まだ月がないため、辺りは大方闇に包まれている。小道にそって並ぶ背の高いランプがなければ、それこそ道がどこなのかさえ分からないような有様に違いない。
 脇目もふらず歩いていたグレンは、けれども異様な気配にハタと足を止めた。何か分からない、不気味な気配。何かにじっと見据えられているような、そんな感覚。馬鹿馬鹿しいと自分自身の直感を笑いかけて、けれどもそれができなかった。息を詰め気配を探る。夜目は利くほうだが、それでもやはり視界が悪い。
 刹那、巨大な何かの流れが炸裂するのを感じた。ほとんど反射的に防御を張る。襲いかかってきていた流れはグレンの防御膜の前に消えていた。
「誰だっ」
鋭くそう声をかける。と、第二陣が襲いかかってきた。とっさに躱した横をひゅっと何かが傍を過ぎり、右腕の皮膚が切り裂かれる。再び襲いかかってくる気配に、グレンは両腕を交差させ我が身をかばった。切り裂かれる鋭い痛みにぐっと息をのむ。首に下げたペンダントを引きちぎり、三度、攻撃にかかって来たところをそれで祓った。このペンダントは特殊な護符のが組み込まれている。グレンがここへ来る時、とある人がお守りとしてくれたもので、ちょっとした魔性くらいなら祓う力を持っている。
 訳が分からない。どこかの公子や貴族の子弟ならともかく、何故自分が狙われるのか。そも・・・ケルナにあってこのような魔術が人に向けられること自体がまず異常である。
 ふい、と空気が緩む。少しホッとすると、しばし忘れていた痛みに思わずしゃがみこんでしまった。
----一体どういうことだ・・・----
どう考えても分からない。殺すつもりにしては甘すぎる。嫌がらせにしては相手の犯すリスクが高すぎる。魔術はどうしても気配が残る。もし近くに魔術のできる者がいれば、あるいは、今、ここを通りかかったなら、気配からばれる可能性がある。
 嫌がらせというのでもないのなら。
 あの半端な攻撃の仕方にふと思い至ることがあり、グレンは小さく舌打ちした。押さえきれない傷を押さえつつ、のろのろと立ち上がる。さして深いわけではないが、神経を逆なでするには十分の痛みである。
 あるいは、試されたのかもしれない。
 いちばんありがたくない考え。しかし考えたところで仕方がない。グレンはため息をつくとまた道を急ぎ始めた。

 週の終わり、風の曜。1年は7の月に分けられ、1月は7の週に分けられ、1の週は7の曜に分けられている。7つの曜は闇、光、火、水、地、木、風の順に進み、闇は始源の闇を表して通常休日である。よって催し物は風の曜の夜もしくは闇の曜の昼間行われることが多い。
 恐らく大人数を集めて盛大にやっているであろう第二、第六公子の集まりに比べ、第一公子ティエレの晩餐会は私的なもの、という前置き通り、ひっそりとしたものだった。公子ティエレとその友人メリウ、シェルムス、エリテ、ファレン、ミシュウェルの五人とエリファス。エリファスより年長のものばかりである。
「君の友人は・・・?」
ティエレにグレンのことを聞かれ、エリファスは少し体調が悪いようで、と曖昧にごまかした。グレン、どうやら無視を決め込んだものらしい。
 あからさまにがっかりしたらしいティエレに、内心エリファスがため息をつく。グレンが大体このような場所に顔を出すと期待する方がそもそも無理なのである。今まで恐らくグレンのことなど見向きもしなかったであろうティエレが何故急にグレンを引き込もうとし始めたのかは大体見当がつく。オリンがグレンに魔術の素養が高いと言ったあれが効いているのに違いない。
 魔術師はどこの国でも不足している。需要の割に、能力を持つ者の数が圧倒的に少ない。しかも能力を持っているからと全てが魔術師になるとは限らないし、上手くその素質が開花するとも限らない。
 エネルギーの流れを操る魔術師は、戦いにおいて期待されることが多い。強大な力を持つ魔術師一人は、使い方次第で数百人、時に千人以上の軍にも値する。
 魔術素質があって良いではないか、言ったエリファスにグレンはそれこそ不機嫌極まりない風でこんなことを言っていた。それは殺人素質があって良いと言うのと同じである、と。
 無論、エリファスが言ったのはこの世界を成り立たせる根元を、その流れを感じ取ることができるのがうらやましいという意味でのことである。自分に素質がないもどかしさのあまり、現実にその力がどう使われているかを見落としてしまっていた。
 グレンの素質は恐らく相当なものなのだろう。あるいは、グレンの斜に構えた態度は、その力への、自分自身への、恐れから来ているのかもしれなかった。もしほんの一振りで何十人、何百人も傷つけ殺せるだけの力がこの手にあったとしたら?
 それを想像した時、エリファスは初めてグレンの苛立ちと警戒を理解したような気がしたものである。彼はいつも異様なまでに人を警戒している。近づく全てのものを、彼は常に疑いをもって見る。
 全く気の重くなるような晩餐会だった。何しろティエレ初め皆の雰囲気があまりにも暗い。
 華やかな第二、第六公子に比べ、本来なら正当な継嗣たるべき第一公子は実のところあまり取り沙汰されない。正妃の長子であり、その実家が後ろ盾としてある、というだけの彼は今の段階で既に多くから「見放された」状態にある。つまり、彼がトゥカリア国の国公になることはないだろう、と見なされている。
 後ろ盾の弱い第一公子に対し、最も可能性が高いと専ら評されているのは第六公子である。何しろ第六公子の母カリレアはトゥカリア国公の寵姫である。ケルナにおいて・・・とトゥカリア王が言ったのも、第六公子を継嗣に立てたいからに他ならない。
 ただ、第二公子は母親がトゥカリア屈指の豪商の娘で、有力貴族の養女となりトゥカリア国王へ輿入れした経緯があり、その後ろに裕福な商人と貴族たちがついている。
 彼らはあまりに思考が暗すぎる----エリファスは末席に連なって黙って話を聞きながらそんなことを思った。彼らの口をついて出るのは愚痴ばかり。
 今日のことにしても、元々晩餐会を計画していたのはこちらであった。それをないがしろにして第六公子ファルムが音楽会を開こうとし、更にそれに第二公子バラートが観劇会をぶつけるという体たらく。いくら何でも少しは礼節というものがあるだろうに・・・云々。
 長子だからと継嗣になるとは限らない。長子相続はあくまで建前であって、それが崩されることはあまたとある。
 彼らはつまるところ、いかに自分が正当であるか、なのにいかにそれが妨げられているかをただ愚痴として語るだけで、それ以上どうこうする力はないらしかった。これでは負けるわけだ----冷ややかながらも、そう思ってしまう。
 第一公子、第二公子、第六公子、と三人からの招待を受けながら、エリファスが第一公子たるティエレを選んだのは、単に招待状を書いたとする日付が最も早かったからである。また、最善ではないにせよ、第一公子を選ぶということは次善の策ではあった。誰も選ばないのは日和見として最も嫌われる行為であり論外である。といって第二、第六のどちらを選ぶかというのは非常に難しい。その中でほとんどレースから外れた、と見なされている第一公子を選び取るのは、まだ比較的リスクが少ないと言えた。
 それに建前上、第一公子は最も「正当」な継承権者とされている人物である。トゥカリアの人間やその属国の人間であればともかく、そうでない者がトゥカリア国内事情に疎いふりをしてそうした正当な者を「立てた」としてもそれは褒められこそすれ、大きな罪にはならないはずだった。
 陰鬱な晩餐会もやがて終わりの時が来る。やれやれ、やっと終わったか。エリファスはティエレをやや気の毒に思いながらも、心の隅にほっとしていた。
「次は是非、ご友人のルーファ殿といらして下さい」
ルーファというのはグレンのことである。ティエレ殿のお心、伝えておきます。そう約束し、エリファスは今日のもてなしの礼を丁寧に述べると、ティエレの元を辞した。

 色とりどりの花が咲き乱れる中庭は、ケルナで最もにぎわう場所でもある。講義をさぼっている者、合間に休憩している者、移動中の者、人と落ち合っている者・・・気分転換に部屋から出て来たグレンは、しばしぼんやりとして池の鯉を見ていた。時折近づいて餌をやる者があるのだろう。足音を聞いて鯉たちが近寄ってくる。小石を落とすと慌て者がぱくり、食いつき慌てたように吐き出した。どこにもこういう粗忽者はいるらしい。くすりと笑ったところで、覚えのある感覚に眉をひそめた。あの時感じた空気に似た何か。殺気とは異なる、あの時くらった魔法力と同じ性質の----
 池を見ているふりをしてそっと辺りをうかがう。あれでもない、あいつも違う・・・
 探すうちに、不意に一人に意識がとまった。あの時闇の中にいた人物と同じ気配。静かに向きを変え、怪しまれぬよう気をつけながら目の端に様子をうかがう。
 上級生らしいその人物に、しかしながらグレンは全く覚えがなかった。誰だ?つらつらと記憶を探るが全く思い出せない。何やら女性と親しげに話をしている。その女性の方にもやはり覚えがなかった。
「ルチェ、」
折良く通ったルチェを捕まえる。とにかくルチェがケルナの人物情報に詳しいことといったらない。あらかたの人間をほぼ記憶しているものらしい。グレンが自分から話しかけるようなことはまず滅多にない。ルチェとその取り巻きたちはひどく驚いた様子でグレンを見、足を止めた。しまった、おまけ連中もいたか、グレンは思ったが今更思ったところで返るはずもない。
「あそこにいる人物だが・・・」
グレンの目線の先を皆が追う。
「ああ、ミシュウェル殿か」
「ミシュウェルというのか」
「トゥカリアの人間だな。彼がどうかしたか」
「いや、何でもない」
用事はすんだとばかりに立ち去りかけたグレンの腕をルチェが攫み引き留めた。
「それよりグレン、これからエル・メカンの昼食コンサートを聴きに行くんだが、君も来ないか」
「いや、いい」
「そうか」
ルチェは少しばかり残念そうな顔をしたが、更に一層グレンを引き寄せると耳元にささやいた。
「悪いことは言わない、あいつらはやめておけ。第一公子ティエレは見込みがない」
この間助けられた礼だと素早く付け加える。グレンはうっすらとした笑みを浮かべると忠告、一応聞いておこうとそんなことを言いルチェたちの一群を離れた。

 奥深くずらりと並ぶ本棚。その先に並ぶ机には、いつも書写を行う者たちでいっぱいである。手に入る限りの書物がこのケルナには集められている。ここで一日中閉じこもって写本をしているのは、各国から派遣されてきた若手の書記官たちである。彼らはケルナにあって他の学生たちのように講義に出るということはほとんどない。ただひたすら、本を書き写すためにだけここにいる。無論、書き写すといっても間違いなく書き写すためにはそれなりの知識がいるし、また、字をきれいに、正確に、早く書ける必要がある。彼らはそうした書写の専門技官なのである。
 脇目もふらずひたすら写本を作っている者たちの間を抜け、また新たな本の林に入り込んだエリファスはざっと素早く背表紙に目を走らせた。これと、これと、それから・・・
「これでしょう?」
声をかけられ振り返るとティエレが立っていた。
「レンヴァース詩集2」、確かにエリファスが探していたものである。
「ああ、それです。すみません」
警戒しつつそう礼を述べる。何でもちょうどティエレの方も読み終わって返すところだったのだとか。たわいもなくレンヴァースの詩について会話を交わす。
「レンヴァースが好きなら・・・カロック、トイムウ辺りもいいかもしれませんよ」
カロックは知っているがトイムウは知らない。
「トイムウ、ですか」
「あまり知られていませんからね・・・部屋にトイムウの詩集が二、三あります。よろしければ一冊進呈しますよ」
「いえ、それは・・・」
写本にはとてつもない労力がかかっている。おいそれともらえるものではないし、うっかり受け取ってしまうと後が怖い。
「どうぞ、お気になさらず。実は事情で二冊あるのです。一人で持っていても仕方ありませんし、理解して下さる方にお渡しするのがいちばん良いというもの」
ここまで言われてそうそう断ることもできない。エリファスはここで捕まった不運に内心ため息をつきながら、丁寧に答えた。
「では、お借りできますか」

 カレック・ミシュウェル。ざっと観察したところ、トゥカリア第一公子ティエレの親しい友人らしい。友人というより、配下というべきか。魔術素質はなかなかのもの。調べるほどに、間違いない、という思いが強くなる。
 あの魔術講義中の事故以来、グレンのところにもあちこちからお呼びがかかるようになっていた。今まで見向きもしなかったが、魔術素質があるとなれば話は別、ということらしい。その全てをグレンは無視しいずれもゴミ箱へ直行させていたが、ふと思い直して一通の招待状を拾い出してきた。
 ティエレから来た詩の朗読会の誘い。詩なんぞというものにとんと興味はないが、恐らくミシュウェルも来ているに違いない。あの時の襲撃がティエレから出たものか、あるいはミシュウェルが勝手にしたことなのか、一体連中が何を考えているのか、探ってみるのも面白い----そんなことを思う。
 やめておけ、ルチェの言葉が耳に甦る。ティエレは見込みがない。そう言っていた。その見込みのない勢力が一体自分に何の用だというのだろう?
 何がというのでもなく嫌な気分が漂う。
 それを措いても、今ひとつ、グレンには気にかかっていることがあった。それに気づいてもうしばらくになる。もし、「そのこと」とミシュウェルの行動とにつながりがあるとしたら、これはかなり厄介である。
 何はともあれ、調べてみるか。
 下心を持って朗読会に出かけたグレンは、エリファスがいるのを見て苦笑をもらした。相変わらずあれはつきあいがいいらしい。グレンを見てひどく驚いたらしい様子に内心小さく笑みをもらす。私だってたまには招待を受けることもあるさ。
 案の定、というのだろうか、朗読会は退屈を絵にかいたようなものだった。元々詩に興味がないせいもあるが、それにしても、ティエレたちの選ぶ詩のつまらなさと来たら!退廃的で意味不明、イメージだけが先行し、薄暗く、耽溺傾向が強い。それを妙に沈み込みうっとりと朗唱された日には、ぞわわわわ、と背筋に悪寒が走ってしまう。
 何なのだ、この集団は!思いつつエリファスに目をやると、エリファスも気配を察してちらとこちらを振り返り、あきらめろとでも言いたげに小さく笑った。
 特に何がどうということもなく会がお開きになる。是非また来て下さい、とティエレは言い、強くグレンの手を握りしめた。お招きどうも、ごにょごにょと口の中で言ってそそくさと退散する。こんな集まり、二度と御免である。
 何か仕掛けてくるのではないかと、寄るところがあるから、とわざとエリファスを先に帰し、自分はあとからゆっくりと寮に向かう。ひたひたと追ってくる気配にグレンは不意に足を止めくるり、振り返った。
「また闇討ちか」
その鋭い声に相手が立ち止まる。そして灯りをともし、ゆっくりと近づいてきた。思った通りミシュウェルである。
「やはり気づいていたのか」
ミシュウェルの問いに、グレンがただ沈黙して睨み付ける。
「何の用だ」
「・・・ティエレ様を手伝って欲しい」
「何を手伝うことがある。第一私のような者を信用する方がどうかしている」
「ティスガルドの闇の石」
ミシュウェルの言葉にびくり、グレンが反応する。
「やはり・・・な」
ミシュウェルは暗い笑みを浮かべて言った。
「有用な情報がある。それでどうだ」
「そのような話、信用がおけるか」
「風は砕けた」
更にミシュウェルがそんな言葉を並べる。グレンは小さく唇を噛んだ。
「保証は?」
「これを」
ミシュウェルはつと小さな、しかし異様な光を放つ石を渡した。セイランディアの聖水晶と呼ばれる特殊な水晶である。これだけでも売り払えば一生食うに困らない程度の金額にはなる。
「ただしそれは担保だ。まあ、売り払うという手もあるだろうが、そうしてしまえば情報は手に入らない。ティエレ様に手を貸してくれるなら、成功した暁にはその石はもちろん、情報もお前のものだ」
ミシュウェルの申し出に、グレンは目を閉じた。ついと再び目を開く。
「いいだろう。何をすればいい?」
「では・・・」
ミシュウェルはこちらへ、低い声で言うと手招きした。

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トップ画像:Joshua Woroniecki氏によるもの(感謝!)

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