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第1話 トゥカリアの跡目争い(1) ~星の記憶~

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----ケルナの学舎----

 カナの大樹が差し出す木陰の下、タイメルは各国から集まる学徒たちに古詩と古文の講義をしていた。

いにしえ、
人、地に人のあるを知り天のあるを知らず
ただ口に物を運び礼節・義風を知らず
・・・

 タイメルの読み上げる伝承詩を学生たちが続いて唱和する。古の文体は現在のものとは大きく異なっており、それを身につけるには、理屈よりとにかく、幾度も復唱しそのリズムと空気を身に染みこませることこそが肝要だというのがタイメルの考えである。
 ここケルナは大陸中の最高学府である。世界中の優秀な若者はもとより、各国公族・貴族・高級官吏たちも競ってその子弟をケルナに学ばせている。
 そもそも、親たる為政者層の者たちも、そのほとんどはケルナに学び、ケルナに集った者たちであり、その意味では、どれほど国が分かれ、異なっているとしても、また、どこかでお互いにつながっているとも言えた。
 そしてまた、こうしたネットワークがケルナの独立性を保証してもいる。ケルナにだけは手を出さない。それが各国勢力の暗黙の了解であり、ケルナに何かをしかけることは最も恥ずべき、許されざることなのである。 もし万一ケルナに手を出したなら、「最低の愚昧な蛮行」として他の全ての国々と敵対することになる。そして、この天の下、他の全ての国を向こうに回して維持できるほどの国は、存在していない。
 これほどの学舎で世界各地から集まってきた学生たちに教えることをタイメルは常に誇りに思ってきたし、また、それだけの責任を感じてもいた。
 今の世界の有り様は正しいとは言えない----
 それがタイメルの強い思いである。
 この世界は、建前上、全ての土地は「星宮府」のものである。星宮府には星長(ほしのおさ)と呼ばれるこの世界の長がおり、世界を治めている----少なくとも理屈の上では。
 星長はかつて千年戦争と呼ばれた時代の混乱を治めたリュイ・ナ・ナンの末裔であり、今も天と地を----星々と人々を----つなぐ役割を果たしている。星長はただ一人天の声を正しく地に伝え得る者であり、星長の言葉は天の声である。が・・・
 星宮府が生まれて三百年余。世界はリュイ・ナ・ナンの恩恵も星長の恩寵も完全に忘れ去ってしまったかのようになってしまった。統治のため星長から派遣された各国の「公」たちはいつしか星宮府を無視して勝手な振る舞いばかりするようになった。表向き星宮府を奉るふりをしながら、その実互いに自らの利を貪り権益を拡大することに執心で、誰も星宮府のことなど構っていない。
 国々のうち、トゥカリア、ゼルバといった力あるものは星宮府に与えられた範囲を超えて領土を広げ、人々を統治し、力なき小さな国々は、星宮府ではなく、そうした大国の顔色を始終窺っている。
 礼節も何もなく大地の上に争いは絶えず、いつもどこかで戦いが行われれ、世界は今や美しい秩序を失い混沌とした中にある。
 それもこれも全て星宮府をないがしろにすることから始まっている----タイメルはそう思うと、いつも居ても立ってもいられない思いに駆られる。だからこそ、星宮府の重要性をこの若い、まだ頭の柔らかい者たちに教え込む必要があった。

星の王リュイ・ナ・ナンの争いの鎮める
称えあれ、リュイ・ナ・ナン
称えあれ、星の宮
その調和、乱るるのなきを

皆唱和したところで、適当に一人一人当て、暗唱させる。が、皆どこかここかでつかえてしまってなかなかそらんじることができない。このくらいのもの、一度読んだだけですっと暗唱できずしてどうする。全く近頃の若い輩はたるんでいる。内心苛立ちながら、タイメルはつと一人の学生に目を向けた。
 エリファス・フランウェル。シュレム国の第一公子である。タイメル自身はその出自が何であるかはさほどこだわっていない。ただ、このエリファスは公子であるということを除いても、タイメルが期待するだけのものがあった。
「ではフランウェル君、言ってみたまえ」

いにしえ、
人、地に人のあるを知り天のあるを知らず
ただ口に物を運び礼節・義風を知らず
・・・

思った通り、すらりと諳んじて見せてくれる。タイメルが満足して鷹揚に頷く。続いて二人、三人、上手く諳んじる者が出た後、タイメルは更に別の学生を指名した。が、聞こえなかったのか他ごとでも考えていたのか、反応がない。
「グレン・ルーファ、先の伝承詩を暗唱したまえ」
やや強い調子で言う。が、やはり頑として動こうとしない。分かってやっているらしく馬鹿馬鹿しい、といった風情の笑みをちらり見せてそっぽを向いてしまった。
 グレン・ルーファ。
 エリファスとはまた別の意味でケルナ内でつとに有名である。とにかく講義はさぼる、教師の言うことは聞かない、成績はケルナを放り出される最低限ギリギリ。いつも反抗的で、共同作業には非協力的。いい加減放校処分にすべきだ、という声が教師の内にもあるほどである。
 まず滅多に出てこない自分の講義にグレンが出ている。タイメルは教師の責任として、この反抗的生徒をきちんと従わせるべきだと考えていた。そうするのがまた教師の腕である、と、あえてグレンを指名から外さなかったのである。
「グレン・ルーファ、人が話しかけている時は相手を見るものだ」
言われて、グレンは奇妙な笑みを浮かべタイメルを見返した。
「立って、先の伝承詩を暗唱したまえ」
負けてなるかとタイメルが強い調子で言う。
 今少し反抗するかと思いきや、意外にもすんなりとグレンは立ち上がり、口を開いた。

いにしえ・・・

言いかけてふっと笑みをもらし言い換える。

今の世、
人、東にトゥカリアのあるを知り、星宮府のあるを知らず
ただ口に題目を唱え献貢・実権を与えず
・・・

あからさまに星宮府の力のなさを揶揄する詩。時の移ろいを星宮府は知らず、連なる者も知らず、ただ崇められるを力と思い違えるのみ、云々。調子は元のまま、しかし中身はすっかり書き換えられている。
 あまりのことにタイメルは止めることすらできず、怒りに拳を握りしめ体を震わせていた。並びいる学生達も真っ青である。
 どれほど力が弱まっているとはいえ、依然、星宮府は今も尊崇の対象であり、こんな風に辱める者は、今まで誰一人としていなかった。今もって全ての大地は星宮府のものであり、各国を治める公たちは、星宮府から統治許可を得て、各々領地を治めているに過ぎない。その手続きは、今も変わりなく続いており、その意味では、決して各国の公たちが星長の上に立つことは、不可能である。
 嗚呼----グレンが滔々と揶揄詩を詠むのを聞きながら、エリファスは頭を抱えていた。あまりにグレンがさぼるので無理矢理連れてきたのだが、それが裏目に出てしまったようである。
「やめたまえ!」
ようやく叫んだタイメルの声は、怒りと衝撃に引きつり、裏返っていた。こんなひどい学生は見たことがない。つい、そう叫んでしまう。グレンは少しも堪えぬ風で少し肩をすぼめると、つい、とまたもとのところに腰を下ろした。
「夕食後、懲戒室に来たまえ」
少し落ち着いてきたタイメルが言う。聞こえているはずだがグレンは特に反応しない。全く、一大スキャンダルだ、タイメルは思いながらも必死に気持ちを切り替え、別の古詩へと話を移した。
 授業が終わるや否や、近くにいた者たちは一斉に皆グレンの傍を離れた。自分も同類だと思われたくはない。君子危うきに近寄らず、である。
「グレン!」
そんな中、グレンにつかつかと近づいた無謀人が一人。言わずと知れたエリファスである。
「そなた・・・」
「よく出来ていただろうが」
しらり。グレンが言う。
「よく出来て、ではない。早く行って謝って来い」
「本当のことを言ったまでだ」
「本当?どこがだ。あのように星宮府を侮辱して・・・」
「なら、どこがどう間違っているのか教えてもらおうか」
「そういう問題ではくてだな!」
思わずエリファスの声が高くなる。遠巻きに見ていた連中が苦笑した。また、エリファスがざるで水を汲んでいる、と。
 成績は低空飛行、やる気全くなしの毒舌家、グレンに近づく者といえば、物好きのエリファスくらいしかいない。ケルナは人脈作りの場でもある。だが、特に強い後ろ盾があるわけでもなく、といって何か能力が高い風もない上、危険発言を時折吐き出すグレンを人脈に取り込もうとするような賭博師は、まずいなかった。
「・・・使えるのかね、あんな奴」
クライヴァ国宰相の息子ルチェがあごをさすりながらそんなことを言う。いつもルチェについて歩いている別の一人が少しばかり嘲りの入った笑みをエリファスたちの方に投げかけた。
「どうですかね・・・」
人脈作りには手間暇と金がかかる。グレンのようにどうしようもないものに手をかける暇があったら、もっと他に力を入れればよいものを。それは大方の者たちの一致した見方である。勉強はできるが政治はからっきしだ。それが為政者層の子弟たちがエリファスに下した、主立った評価だった。
「惜しいな」
ルチェがつぶやく。部下としてなら優秀だが、政治トップとしては今一つ。それが次期国公ということは、シュレム国については、特に労を割くほどのこともなさそうである。
 彼が、もし、市井の者であれば、いや、そうでなくとも、せめてどこか貴族の出身であるとか、高級官吏の息子であるとかすれば、配下として取り込みを考えるところなのだが。しかし、次期国公とあっては、いかんともしがたい。
「いい加減にしておかないと、本当に放校されてしまうぞ」
エリファスが言う。グレンは、その時はその時さ、と軽く肩をすぼめ、けろりと流した。

 しつこくエリファスが説教を続ける。それをはいはいはい、と適当に聞き流しながら、グレンは、自室のドアを開けた。ほとんど締め切りっ放しのカビ臭い部屋。
 エリファスは眉をひそめたが何も言わなかった。この部屋が真っ暗で湿っぽく埃まみれなのは、何も今日に始まったことではない。昔は無理矢理窓を開けたこともあったが、今では床は物で溢れかえり、窓にたどり着くことなど到底できそうにない。
「また増えたのではないか」
ため息混じりにエリファスが言う。まあな、グレンは軽く流して茶を淹れにかかった。
 勝手知ったる他人の部屋。床に雪崩を打った物体をよけながらエリファスも中に入り、一応置いてある椅子に腰掛けた。
「少しは、片づけたらどうだ」
毎度変わらずそんなことを言う。グレンも変わらずに答えた。
「別に困っていない」
やれやれ、ケルナを去る時が見物だな。エリファスはため息混じりにそんなことを考えた。
 全くもってグレンの部屋の散らかり具合といったらなかった。あちこちに積み上げた奇妙な器具に道具、並ぶ瓶には何とも分からぬ物体があれこれつめこんであり、ドアを開けた正面にはどこで拾ってきたか謎の頭蓋骨がずらり、5つ6つ。
 その横の箱には、更に肋骨その他諸々の骨がたまさか詰め込んであるのをエリファスは知っている。何しろ、一度床の物につまづいて箱にぶつかり、頭からもろに骨の山をかぶってしまったことがあるのだから。
 程なくして、グレンがカタリとお茶の入ったカップを置いた。
「味はどうだ。新開発の毒を入れてみた」
ありがとう、と口をつけかけたエリファスが危うく吹き出しそうになる。
「冗談だ」
くすりと笑ってグレンが言う。全くからかいがいがあるなと。
 大体、グレンというのは、どこからどこまでが冗談なのか、本気なのか、さっぱり分からない。エリファスが、初めてこの部屋に来て「お茶」を振る舞われた時、出されたのは怪しげな舌を刺す味の意味不明の液体だった。思わず吐き出したエリファスに、何でも人の出したものを無警戒に口に入れるからだとグレンは底意地悪く言ったものである。
 後で分かったところでは、どうやらグレンの部屋を訪れる者は皆、その「意味不明の液体」に一度はやられているらしかった。全く何を考えているのやら。
 とりあえず毒入りではないらしい、と再びカップに口をつける。意外といえば意外だが、グレン、実は茶を淹れさせると天下一品なのである。
「グレン・・・もう少し真面目にならないか」
一息ついたエリファスが、またぞろ説教を始める。エリファスが見たところ、グレンは「できない」のではなく、「恐ろしくよくできる」のである。ある種できすぎる、というのだろうか。皆が暗唱でとちっている詩を素早くパロディに書き換える辺り、その能力の片鱗が見えている。
 が、しかし。
 グレン、その才能をまっとうに使おう、という気はさらさらないらしい。
「真面目に・・・やっているではないか」
とグレン。人を食うのをな、心の中でエリファスがつけ加える。
「大体、時代錯誤な星宮府崇拝者が、大仰にちんたらできの悪い伝承詩を教えているなぞ、時間の無駄だ」
だから有効な時間に変えてやったのだ。グレンはのうのうとそう嘯<<うそぶ>>いた。
「人はそれぞれ考え方や信念がある」
「なら、それを押しつけられるいわれはなかろう?」
ああ言えばこう言う。全く口の減らない相手である。
 どうしたものか・・・思いつつ部屋を見回したエリファスの目にちらり、本の山が映った。嫌な予感がしてエリファスががらくたをかき分けながら歩み寄る。
「・・・グレン!」
「大声を出さなくても聞こえる。人の部屋で騒ぐな」
「騒ぐな、ではない。何だこの本は!」
ずらりと並ぶ黒魔術関連書。本来ケルナ図書館の奥深くに封じられ、持ち出しはもちろん、閲覧もできないはずのものである。
「何だといって見ての通りだ。書庫の奥で誰も有効活用していないようだったから、少し拝借してきた」
けろり。
「拝借してきた、ではない」
通常魔術に対し、人の精神を操る悪意と死の黒魔術は固く禁じられている。実際は単なる理論に過ぎないとも、密かに操る者があるとも、噂されるが、その実態は不明である。誰か本当に操る者がいるのか、そうであるとして、その威力はどの程度のものなのか、何が本当に出来、何が出来ないのか----そうしたことはほとんど知られていないし、知る術もない。
「グレン・・・」
まさか、このためか?グレンはいつもろくすっぽ講義にも出ず、さりとて、どこかの国に就職に向けたアピールをするわけでもなく、ただふらふらと好き勝手に過ごしている。一体何をしにわざわざこのケルナに来ているのか、と常々エリファス自身不思議に思っていたのである。
 探るようにエリファスが振り向く。グレンは軽く手を振ると安心させるように言った。何、ほんの暇つぶしだ、大したものではない。
「これのどこが大したものではないのだ」
「読めば分かる」
「誰が読むか、このようなもの」
「まあ、読む、読まぬは勝手だが。要するに、インチキの山、ということだ。クルミの殻をこすり合わせて呪を唱え、それで人が病にできたら、世話はなかろう?」
それはそうだ。少し安心したらしい風でエリファスが戻ってくる。
「それならば良いが・・・しかし、本は早く返した方がいいぞ」
相も変わらず断固とした調子。全くお前はお堅いなとグレンは軽く肩をすぼめた。

 ふわり、あちこちで様々な色の炎が上がる。触れても全く熱くはない不思議な炎。各々の素材の持つ「魔力素」によってその色は変化する。
 炎を引き出せる者、引き出せぬ者。魔術は誰にでも扱える、というものではなく、持って生まれた才能が大きく左右する。初めは誰しもこの講義に顔を出すが、魔術能力のない者たちは、やがて潮が引くように去って行く。
 魔術ができないことは決して恥ではない。大半の者は、魔術など扱えはしないのである。
 もっとも、幾人かは魔術の性質を知っておくため、自分は魔術が扱えないながらも講義にだけは出ている者たちもいる。エリファスもその一人で、たまにはまぐれで扱えないものか、と木片相手に悪戦苦闘していた。
 実のところ、こうした炎を「見える形」にするのは初歩の初歩の初歩である。だから、ここに来ている者たちならば、大半がこの程度まではこなしている。
 が・・・
 何でもそつなくこなすエリファス、しかし何故か魔術だけはからっきし才能がない。こうした炎を引き出すことくらい、正しい方法とコツさえ攫めば大体世界の九割以上の人間ができると言われている。その九割にもどうやら自分は入っていないらしい。
 別にこんな炎を引き出せたからといって、ほとんど意味はないのだが、それでも何となく寂しいような、わびしいような、悲しいような、何ともいえない気分になってしまう。
 魔術とは物体の持つエネルギーを操る技術なのだという。全ての物体は各々闇、光、火、水、土、木、風の7要素を最低一つは含んでいる。各々の要素はそれぞれ異なる性質を持っており、その複合の仕方で、今目の前にある様々なものが「在る」状態になるのだと、ケルナで教える魔術師オリンは言っていた。魔術を操る能力のある者はその要素の存在や流れを感じ取ることができるのだという。
 それが一体どんな感覚なのか、それすら、エリファスには分からない。その感覚こそ全てこの世界の根本なのではないか----そう思うと、それが感じ取れないのがひどく絶望的なことに思えてしまう。結局どれほどに勉強し「真理」を追求したとしても、その感覚がつかめない以上、本当に何かを知ることは決してできないような気がしてならなかった。
 あらかたの者が、炎を引き出せたのを見て、オリンは、次の段階を教えにかかった。目に見える形になった物質内のエネルギー。それに意識を集中し、合わせ開いた両手のひらの間に、押し込むように集める。そっと、そっと、ゆっくりと・・・
 もう手に負えなくなったらしいルチェが、苦笑混じりにエリファスを振り返る。彼は、炎を引き出すまでは辛うじてできるけれども、その先へは、どうしても進めないでいる。エリファスも賛意を表して微かに笑ってみせた。できない者同士、気分はよく分かる。
 刹那、目の端に輝く影が過ぎった。
 考える暇もない。気づいた時には体の方が先に反応していた。
 とっさにルチェを突き飛ばし地面に伏せる。伏せるのと、そのすぐ傍で二つの光球がぶつかりはじけ散るのと、ほとんど同時だった。
「エリファス、ルチェ!」
慌てて講師のオリンがすっ飛んでくる。
「大丈夫だったか」
生徒の一人がコントロールを誤り力を暴走させてしまったらしい。暴走させた生徒も真っ青になって駆け寄ってきた。
「大丈夫です」
エリファスとルチェの二人が起きあがる。二人が無事と分かるとオリンはほっとした風で息をつき、固唾をのんで見守っていた生徒たちを見渡した。そろりそろり逃げ出しかけていたグレンを呼び止め引き戻す。
「グレン、いい判断だった」
 グレン?皆が一斉にグレンを振り返る。あの瞬間、暴走した魔力素エネルギーに対し、別方向から光球が飛び、打ち消し合うのを見た者は、それなりにいる。けれども、それを放ったのがグレンだったとは誰も夢にも思っていなかった。
 あいつ、魔術が使えたのか。
 誰もが心の内にそんなことを思った。
 魔術に興味があるのか、グレンは時折魔術講義に出ていたけれども、一度たりと素材に手を触れ実際にやってみようとしたことはなかった。だから、皆は、グレンは魔術ができないとばかり思っていた。
 珍しく褒められているというのに、グレンは面白くもない、といった風情でむっつりしている。
「素質十分じゃないか。グレン。本格的に修行を積んでみてはどうだ」
オリンが言う。けれどもグレンはことさら不機嫌そうに、子どもの火遊びにつきあう気はない、と言い捨て、さっさと立ち去ってしまった。

 魔術講義の一件は既に皆に知れ渡るところとなり、一部はグレンの見方を改めた風だった。が、いかんせん、グレンの方は、全くとりつく島もない。心底、あんな柄にもないことするんじゃなかった、といった風情のグレンに、エリファスは笑い、良いことではないかとそんなことを言った。
「考えてみれば、もうちょっとでお前とルチェの丸焼きが見えたのに、惜しいことをした」
悔し紛れにグレンが悪態をつく。
「あの程度で丸焼きになってたまるか」
エリファスの返しにグレンはフンと不満げに鼻を鳴らし、ぷい、と横を向いた。
「いいではないか、魔術ができて。3、4日ほど寝込む魔術でもあればかけてほしいくらいだ」
「何を寝ぼけたことを」
そんな魔術があればとっくに自分で使っている、グレンが言う。言ってから、それにしても珍しいな、お前がさぼりたいとは、と訝しげに聞いてきた。
「招待が重なってな」
エリファスは言ってため息をつき、一口お茶を含んだ。
「ああ、そういえば公子が二人戦闘の真っ最中だとか聞いたな。第二公子と第六公子・・・だったか?」
「戦闘といって・・・別に戦っているわけではないがな。第六公子が予定していた音楽会に第二公子が観劇会をぶつけてきた」
「なるほど」
皮肉な、嘲るような色がグレンの顔にのぼる。こうした政争はグレンが最も蔑むものの一つである。
 トゥカリアには6人の公子がいる。うち、後継と目されているのは第一公子のティエレと第二公子バラート、そして第六公子ファルムの三人である。通常ならば長子相続が基本となるところだが、しかしトゥカリア王はケルナでの結果を見て跡継ぎを決める、とはた迷惑にもそう公言した。
 結果----
 トゥカリアの三公子たちはいかに自分が後継者として相応しいかをめぐりこのケルナで熾烈な競争をすることになった。トゥカリアが大国であり力を持つだけに、その他の小国から来た者たちはそれに振り回されっ放しである。
 今までは、それでも、各々が各々の「味方増やし」に熱を入れ、とにかく自陣営への引き込みをしているだけだった。数々開かれる催し物は、面倒ではあったがとにかく顔を出してさえいれば公子たちの顔をつぶすことなく、また自らの立場を危険にさらすことなく、やり過ごすことができた。
 が、今回、ついに第二公子バラートが、第六公子ファルムが開こうとしていた音楽会に自分の開く観劇会を直接ぶつける、という思い切った行動に出た。つまり、第六公子ファルムにつくか、それとも自分につくか、意思表示を明確にせよ、という意味である。
「その上、私の場合、第一公子のティエレ殿から私的な晩餐会を開くから、と招待を受けていてな」
 できれば、三人いずれとも近からず遠からずの関係を取り結ぶのが望ましい。いずれにせよ、他国のお家騒動である。それに巻き込まれ、足を取られるのは、愚の骨頂としか言いようがない。それでも、無視できないところにエリファスの国、シュレムの立場があった。
 確かに、シュレムは弱小国というほどではなく、また、トゥカリアの属国でもない。しかしながら、だからといって、トゥカリアの情勢を無視できるほどの力も持ってはいなかった。
 今、ケルナに来ている三公子は将来的にトゥカリアの国王になる確率が高い。今からその人物と友好を深めておく・・・少なくとも敵対視されないことは、シュレムとして切実な問題であった。
「大もてでいいではないか」
面白がるようにグレンが言う。
「男にもててもうれしくない」
「ほう、女なら歓迎か」
「ちが・・・!ったく。たとえ女でも政治がらみは御免だ」
「そうムキにならずとも」
完全に他人事とばかりにグレンが笑う。
 そなた他人事だと思って、云々言い合っていると部屋をノックする音がした。
「トゥカリア第一公子、ティエレ様の使いの者ですが」
部屋の外でそう名乗る。どうやらグレン、自分は関係ない、と高をくくり、人をからかっていたが、そうとも言えなくなったようである。
「めでたくそなたにも招待状が来たぞ」
何とも言えぬ表情になったグレンにエリファスは笑いながら、ドンと強く背中を叩いた。

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トップ画像:Larisa Koshkina 氏によるもの(感謝!)

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