Twitterにおける議論のプラットフォーム構想。Twitterで建設的な議論は可能か。どのような条件で可能か。

はじめに

Twitterにおける議論は感情的なものに終始しがちだが、いくつかの条件をクリアすれば建設的な議論は可能だと考える。そのような建設的な議論をSNS上で実現したいというのが私の夢です(是非私のTwitterを是非フォローお願いします!)。

この記事の内容


①そもそも建設的な議論とはどのようなものか

Twitter上で建設的議論が難しい構造的原因

③可能だとしたらどのような条件で可能になるのか


①建設的な議論とは


「建設的な議論」とは、「感情的になることなく、論理的に批判を加え、その批判に対して論理的に応答するという繰り返しをもって、与えられた論点について人々が納得できるような主張を展開すること」と考えています。


議論の作法については、こちらの記事に書いたので、是非参考にしてもらいたい。


ポイントは、「感情的ではなく論理的に」、「批判に対して応答」、「論点の提示があること」「主張が明確なこと」「主張に対して人々が納得すること」です。

〇「感情的ではなく論理的に」というのは、感情に基づいて罵詈雑言や暴言を発するのではなく、主張に対してしっかりとした根拠を述べることです。さらに、批判をする際も同様に自分の意見については、しっかりとした根拠を述べることが必要です。そして、ここでいう「しっかりとした根拠」とは、「主張に対する本質的で客観的な根拠」という意味です。「本質的」とは「それがそれであるための性質」で「客観的」とは「主観ではなく誰から見てもそうといえる事実のこと」です。また、相手の主張・根拠の真意をしっかりと汲み取る(主張・根拠の内容を理解しできれば言語化して示すこと)ということも論理的という点においては大切な要素になります。さらには、相手の主張が間違っているときや理解できないときは、趣旨に合わないことを述べるのではなく、どこがどう間違っているのかを言語化して指摘することも必要になると思います。根拠の伴っていない主張に対しては、根拠がないため応答する必要はないが、可能な限り真意をくみ取り応答を与えることが求められるかもしれません。


〇「批判に対して応答」というのは、ある主張に対する批判に対して、自分の主張と根拠を述べることです。「応答」とは、様々な波及的な論点を提示することにも繋がる。これが、議論が複雑になる理由です。そのような波及的な論点に対して応答し、さらにその批判に応答する、この繰り返しで、新しい主張が生まれたり、ある主張に対する説得性が生まれるのである(このことを止揚と呼ぶ)。もちろん、このような応答も感情ではなく論理性が求められます。(付則的に言うと、「批判」という言葉が、良くない言葉と捉えられることがあるが、「批判」とは、「誤りを指摘する」ということであり、議論においては、止揚を生むために良い意味として捉えてよい)


〇「論点の提示があること」「論点」とは端的には「〇か×か」という問いのことをいう。例えば、「冬と夏のどちらが好きか」というのはある種の論点だ。この提示がなければ議論は成り立たない。さらには、ある論点に対する主張・根拠に対する批判を受けて、異なる角度からの論点(争点)がでてくる。例えば、「夏は暑いから嫌いだ」という主張に対して「夏は本当に暑いのか」というのが争点だ。注意すべきは、論点が議論のための論点として成り立つためには、「具体性」「社会的価値判断」が基準になるということだ。つまり、「誰にとってのどのような価値として認められるか」ということが論点になる。例えば、「冬と夏のどちらが好きか」は実は議論のための論点にはならないが、「冬と夏は日本人にとってどちらが生産性を上げることにつながっているのか」といえば、議論のための論点になりうる。


〇「主張が明確であること」とは、ある論点や争点に対して、自分の「立脚点」が明確に述べられていることを意味する。例えば、「冬の方が生産性を向上させる」ということである。肯定派か否定派かを明確にするということだ。また、根拠や応答、争点も同様に、明確に述べられていて、誰もが理解できるような形であるべきだろう。


〇「主張に対して人々が納得すること」というのは、議論の最終目標を意味します。つまり、議論の目的とは、肯定派・否定派のどちらかのどのような意見に納得できるか、あるいは肯定派・否定派のどちらも納得できるような意見・根拠がでてくることだと考えます。なぜ、「納得」なのか。これは、議論の目的だからである。人々は議論に何を求めているか。これは、ある主張に対する納得だと思う。これは議論の定義を根拠にそう考えるのである。人々が納得を求めていないものは議論ではない、ということである。つまり、主張の放棄や暴言を吐くことは、主張でないのと同時に、議論になっていないということを意味する。また、論点に対して何の主張もしないということには、何の納得も生まれないし、主張をするだけで根拠を示せなければ、自分自身の考えを無批判に受け入れる独善であって、その主張に対して人々が「賛同」したとしても「納得」したことにはならないのである。


以上、「建設的な議論」の定義でした。次は、Twitter上で建設的な議論はなぜ難しいのか見ていきます。


Twitter上で建設的議論が難しい構造的原因


Twitter上で建設的議論が難しい構造的原因は

A「参加者が不特定多数」

B「空間の制約」

C「時間の制約」

だと思います。


A「参加者が不特定多数」という点においては、参加者の中に、感情的で論理性がなく、論点、争点、客観性、具体性、本質、根拠、理由、批判、という点(↑の①で示したこと)を理解できない人、が入ってしまうというのが大きな妨げになります。また、発言者の論理性ではなく、カリスマ性をもった誰かの発言に注目が集まってしまう、独善的な意見でも賛同者が多ければ、真っ当な批判について暴言を浴びせることに終始してしまう、ということも構造的に発生してしまう。多数というのとは逆に、論点が提示されてもそれに興味をもって発言してくれる人が少ないというのも制約になる。


B「空間の制約」という点についは、Twitterは一つのつぶやきには140文字以内という制限があるため根拠を端的に述べる必要があるということのみならず、ある論点して新たな争点が生まれた場合に、それを整理するのが非常に難しく、主張から批判・応答の流れが見えにくいのである。さらに、論理的な主張よりも感情的な主張が多く見受けられ、真っ当な意見を探すのが難しいということもいえる。


C「時間の制約」とは、対面の議論では、その場のその時間で行われるが、Twitterでは、その時間というのがない。つまり、何日もたって注目されることがなくなれば、その議論は時間の経過とともに衰退してしまうのである。


以上の点が、Twitterで建設的議論が難しい構造的原因です。次は、以上の構造をTwitterでどのように克服すべきか考えていきます。


③可能だとしたらどのような条件で可能になるのか


Twitter上のアカウント、「議論のプラットフォーム」に寄せられたコメントに反応することで、上記の障壁を克服します。

A参加者が不特定多数

〇参加者の中に、感情的で論理性がなく、論点、争点、客観性、具体性、本質、根拠、理由、批判、という点(↑の①で示したこと)を理解できない人が入ってしまう

→論理的でない意見には反応しない

〇発言者に論理性ではなく、カリスマ性をもった誰かの発言に注目が集まってしまう、独善的な意見でも賛同者が多ければ、真っ当な批判について暴言を浴びせることに終始してしまう

→コメントに対するコメントを細かく拾い評価する。

〇多数というのとは逆に、論点が提示されてもそれに興味をもって発言してくれる人が少ない

→がんばってフォロワーを増やす!(是非、フォローしてください!https://twitter.com/sanpitaron)

B空間の制約

〇ある論点して新たな争点が生まれた場合に、それを整理するのが非常に難しく、主張から批判・応答の流れが見えにくい

→常に論点を確認しながら整理する。批判や応答が分かりにくい場合は。コメントを補足する。

〇論理的な主張よりも感情的な主張が多く見受けられ、真っ当な意見を探すのが難しい。

→今のところ探せるという次元ではないほどフォロアーが少ないのでまったく問題ない。もし、炎上したら新しいつぶやきに誘導するか有害コメントは非表示にする。


以上です。(2020年5月18日)

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