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安倍能成先生の「山静似太古」のレリーフについて

学習院大学山岳部 昭和36年卒 熊野將

「山静似太古」(やましずかなることたいこににたり)


 この文字は愛媛県の伊予岡八幡神社の末社、上川神社の境内にある神銘石といつ碑に刻まれています。 これは旧松山藩の学者で正岡子規の書道の師であった武知五友が書いたものです。 安倍先生は伊予のご出身です。

 原典は中国北宋(960-1127、初代太宗から八代欽宗まで)の時代の詩人「唐夷」(1071-1121)の詩「酔眠」の冒頭の一節で全文は以下の通りです。

山静似太古 日長如小年
余花猶可酔 好鳥不妨眠
世味門常掩 時光蕈已便
夢中頻得句 拈筆又忘筌

中国北宋(960-1127)の詩人「唐夷」(1071-1121)の詩「酔眠」の冒頭の一節です。

読みは、

山 静かにして 太古に似たり
日 長くして 小年の如し
余花 猶酔うべく 好鳥 眠りを妨げず
世味(せいみ) 門 常に蔽(おお)い 時光 蕈(たかむしろ)已に便なり
夢中 頻(しき)りに句を得るも 筆を拈(と)れば 又、筌(せん)を忘れる


 読み下せば、おおよその意は伝わると思いますが、見かけない文言が出てきますので注釈を加えれば、

 小年(ほぼ一年くらい)、世味(世俗に対する興味、世間の味わい)、時光(時期、季節)、蕈(竹や藤で編んだ茣蓙、うすべり、暑い時期シーツの代わりにして涼をとる)、忘筌(表現する言葉を忘れる―筌は魚を捕る竹篭のことで魚を捕ってしまえばその道具のことは忘れてしまうの意)

大意は「酔って眠る」

 「山は太古の昔のように静まりかえり、日はまるで小一年のようにゆっくりと過ぎる。
 散り残った花は、まだ酒を飲みつつ楽しめるし、美しい鳥のさえずりは、眠りを妨げない。
 つねに門を閉じ世俗との付き合いを絶っているうちに、季節は竹茣蓙を敷くような季節になってしまった。
 夢の中でしばしば詩や句が出来上がるが目覚めて筆を執って書こうとすると、どう言い表したら良いのかわすれてしまった。」

 そこで「唐夷」先生(1071-1121)の紹介をしなければなりませんが、あまり詳しいことは判りません。

 判っていることは、字(あざな)は子西、四川省丹稜の人で、何が原因だか長いこと、広東省恵州に流されていたそうです。 まじめな人だったようで、詩をつくるのは難儀なもので何日もかけてつくり、翌日見ると欠点だらけで書き直す、またその後それを見ると又ということで毎度それの繰り返しと悩んでいたようで、「詩律傷厳以寡恩」「詩律(詩をつくる規則)は傷(はなは)だ厳しくて寡恩(かおん―情け容赦がない)」と言っています。

 二代目の光徳小屋にはかなり大きな(現在の金属板レリーフよりも大きい)木の板がかかっていたように記憶していますが、あれはどうなったのだろうか。 学校に保管を依頼した小屋日誌の例もあるのできになるところです。

 以上、殆どは東洋文庫「宋詩選注2」の受け売りですが、そこに辿りつくのに苦労しました。

 蛇足ですが、伊予岡八幡神社(いよおかはちまんじんじゃ)の所在地は伊予市上吾川、主祭神は誉田別命、足仲彦命、息長足姫命(どんな神様で何と読むのか判らない、通常の八幡神社と祭神が違うが、いわゆる産土の神様だろうか)で本殿は銅板葺きの神明造、旧の社格は郷社。
 由来には貞観(じょうがん)元年(859)に宇佐八幡宮を山城の国の男山八幡宮に勧請する際、この地に船を泊めたが、不思議な霊験があったので、社を建てたと言われています。付近の丘には1400-1500年前と思われる古墳群があるそうです。

山桜通信26号 2006年10月


現在の金属レリーフ「山静似太古」


 現在は金属製のレリーフが三代目光徳小屋(現在の小屋)入り口にある。 「光徳小屋の宝物」と呼ばれているレリーフだ。 山を愛し、学習院を愛した安倍先生が偲ばれるもので、光徳小屋へ訪問時にはご覧いただきたい。
(編集部)

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