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金子文子を読む

1、はじめに

最近の日韓をめぐる状況に憂いを感じる。一部の嫌韓論者、保守政治家と彼らにあおられたメディアと、報道を鵜呑みにする日本人。一方で反日教育を埋め込まれ、「謝罪し頭を下げ続ける日本人」でいて貰わなくては困るのに、今は自分たちをいじめている、と捉えている韓国人。
私は考える。
「国のためならどんな暴力も是とした、あの戦争の「過ち」に対する、強い自省」は戦後日本人の基本思想であるし、それについては当時の戦時暴力について私達は一定の謝罪と償いをしていると、まずは確認しておきたい。
建国以来、つまり民族ナショナリズムが異様に膨張し続け、隣国に牙をむきだしにし、それを隠さない韓国の世論を見ていると、むしろ戦前の私達が通ってきた大日本帝国の歩みと被ってくる。
韓国の良識ある市民たちに対して、私たち日本の市民は、お互い冷静になって「もうやめよう」といえないものだろうか。韓国は徴用工訴訟を取り下げ?棚上げ?し、日本は輸出関連規制を戻し、偏見を乗り越えて仲良くする事は出来ないのだろうか。戦前ひどいことしたのは間違いない、でも償いはしている。政治的には解決済みだ。だから徴用工問題については直接の被害保証ではなく、日本から韓国、韓国から日本への留学生に一定の奨学金を出すとか、若い世代の相互交流をはかるセンターを作ったりなど和解の提案があるように思うのだが。
韓国の反日ナショナリズムの土俵に上がって、売られたけんかを買って、やり合っていてもなにも進まない。韓国の民族ナショナリズムと、日本人の国民アイデンティティを混同してはならない。過去に拘泥するのではなく冷静に両国にとっての未来志向の策を提示するのが、むしろ日本が国際社会で秀でたポジションに立てると思うのだが・・・私ごとき一市民ではどうにもならんまでにヒートアップしている昨今である。

さて夏休みの宿題に読書感想文が課せられた中学生のきみたち!下記をコピペして適当にいじって、学校に提出してもいいよ(笑)ちょっとレベル高すぎか?

2、「わたしはわたし自身を生きる」

「金子文子と朴烈」映画の紹介記事をnoteで読んだことから、彼女に興味を持った。3888円という、決してお安くはないこの本は、前半が朴烈に出会ったあたりまでの、貧困と虐待に苛まれた幼少時代からの厳しい生活を記した「何が私をこうさせたか」という手記。一方後半は、関東大震災後、朴烈とともに拘禁されて後の、検察、判事による尋問調書と判事宛書簡、そして短歌と年譜。
まず、前半の手記は、この時代、つまり震災前の大正時代、明治政権により強引に進められた富国政策の歪みとして表面化した、一部特権階級の台頭と支配による貧富の拡大、不況や地主小作制度による農村の疲弊。そんな背景の中で、親族による貧窮と虐待を体験した金子文子のおいたちが書かれている。
彼女にとって、親の子に対する愛情とは、親の生きていくための私利私欲と合致した時に限定されていたと言う事であり、そうなったのは全て貧窮を作り出した社会そのものなのだと、発見し始めている。ここでは親の子に対する無限の愛などという美辞麗句は一言も出てこない。

つまり親の子に対する愛は常に自己を愛する心持ちと衝突しないことを条件とし、親の利益の境地をおかされない範囲内においてのみ子に対し具体化され、活動する物と思います。


ところが後半の尋問調書を読むと一転、天皇(皇太子)を頂点とした大正の帝国主義社会を爆弾を以て破壊しようと企図していた彼女の、反体制思想が彼女の供述から、書簡から、直接的に披瀝されていて、私は興味を持って読んだ。彼女は活動家であり思想家、社会学者、哲学者でもある。もう少し生きていればローザルクセンブルクのようになっていたのかもと私は思った。
自分的には手記より調書の方に関心を持って読んだのだけれど、まず驚愕するのは、金子文子はこのとき、満21~23才だという事実だ。
これを読んでいる女性諸君。びっくりするよ。同年代のあなたたち女子との、社会に対する意識の高低ずれを比較してみれば、驚嘆以外のなにものもない。私だってこんな強い思慮はできていない。金子文子はなんだかおそろしい、という表現が的を得ている感想だ。

私は私の家庭の環境とそれによって社会から受けた圧迫とにより虚無主義をいだくようになりました。

彼女は東京へ出て苦学生となって職を転々とする中で、社会主義、無政府主義、キリスト救世軍、とふれあい、そしてすべての権力を否認、反逆する虚無主義を信奉するようになる。とある雑誌に書かれた朴烈の詩を読み深い共感を得て、朴烈と同志的同棲を始めるのだ。
ここで私はどうしても次の一節を紹介したい。

現にここに監獄のお役人を前において私は言います。朴を知っている。朴を愛している。彼におけるすべての過失とすべての欠点とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤のすべてを無条件で認める。そして朴の仲間に対しては言おう。私はこの事件がばかげて見えるのなら、どうか二人を笑ってくれ。それは二人のことなのだ。そしてお役人に対しては言おう。どうか二人を一緒にギロチンに放りあげてくれ。朴とともに死ねるなら、私は満足しよう。して朴には言おう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなた一人を死なせてはおかないつもりです、と

ただし同棲相手の朴烈(パクヨル)、終戦後解放された後、誇りとは別の、主義思想の転向を繰り返し民衆の支持を失ってしまい、最後は北朝鮮で処刑された、これまた数奇な人生であったらしい。

3、金子文子の思想

金子文子は人間の平等をこう語る。大正13年。このとき彼女は21才。

人間は人間として平等であらねばなりませぬ。そこには馬鹿もなければ利口もない、強者もなければ弱者もない。地上における自然的存在たる人間としての価値から言えば、全ての人間は完全に平等であり、したがって全ての人間は人間であるという、ただひとつの資格によって人間としての生活の権利を完全にかつ平等に享受すべき筈のものであると信じております。

とした上で、当時の帝国主義制度をこう定義づけする

もともと国家とか民衆とかまたは君主とかいうものは一つの概念に過ぎない。ところがこの概念の君主に尊厳と権力と神聖を付与せんがために・・・ねじあげた所の代表的なものは・・神授君権説であります。

そしてもし天皇が全知全能の神の顕現であり神の意志を行うのであれば、神の保護の下、兵士は一人も死なないし、日本の飛行機は一つも落ちない、関東大震災のように何万もの臣民が死なないはずである、ところが現実はそうではない、有り得ない事があり得たという事実は神授君権説は空虚である。と当時の国家を厳しく弾劾している。
彼女は大日本帝国下での天皇制を少し曲解しているのだが、それでも貧困虐待に苛まれた幼少期を送った彼女の原体験がこれら反体制の思想を形成していて、戦前の不平等差別社会を天皇の神格化と重ねて見ていて、読んでいて私がすこし恐くなってくるほどだ。

続いて彼女は人間社会における現象を「所有欲」という観点から分析する。

人間における所有欲、つまり持とうとする欲求に一切はかかっている。キリストはその所有欲の転換を夢み、老子は否定する・・・スチルネル(マックス・スティルナー)は飽くまで満足させる所に人間の幸福を見ようとした。

スティルナーの思想に同調して、彼女は続ける。

所有欲なるものの解釈をすると、生命欲の域を超えて人間生活の上に溢れ出たものの別称である。それは人間にあって、自愛、すなわち己を利するという形を以て現れる。私は言うーーー人は決して決して他を愛しない、愛する物は自分である。すなわち人はエゴイストであるーーーと。しかしその自分は決して固定していない。自我は伸縮する。あるときは国家とか、人類とか・・・人間界におけるいわゆる社会的結合はただこの自我の伸縮性の上にのみ保たれる。・・・私は言おう。ーーー人が他人を愛するときその愛は・・・自分に対する愛に衝突しないところにばかりあり得る・・・人は自分を侵さぬ事を条件にしてばかり他人を抱き得るものである

その人間の所有欲こそが争闘を生むとして、弱肉強食こそが、生きていくものすべてが服従を余儀なくされる原因になる。誰か思想家の受け売りではないかとお役人方に疑問を持たないようもうひとつ突っ込んでおく、として、

ここに一つのものがある・・・それを獲ることによって人は幸福を感ずる・・・それを得ようとして得られない物の上に不幸が存在する・・・存在はすべて全く相反した物の上にのみ保たれている。ゆえに不幸に禍される幸福、それは真の幸福ではない。かえって幸福を獲ようとしないところには不幸がない。そして不幸のないところに幸福がある。つまりその不幸のないところに幸福がある。つまりその不幸のないという状態こそ真の幸福である。存在の因果関係をこえた彼方、すなわちニヒルの境にこそ、真の幸福、真に人間の求める物はあるのだ。

どうだろう。幸福は不幸に裏打ちされてこそ意識され、意識されたがあと、次の幸福を求めて人は争う、まずは社会の幸不幸という因果関係をなくす事だ、とした享年23才の若き活動家、思想家の金子文子が大正13年に書いた書簡だ。

再度言うが、彼女の人生と思想に、驚愕以外の言葉が見つからないのだ。

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