気韻が生動している
さて私の住む山奥の寒村でも、と文頭は毎回同じなのだけれど、やっと田植えの季節も終わったようで、田んぼという田んぼ一杯に張られた水がキラキラ反射して光り、その中には青く細い稲の苗が、まるでラジオ体操をするために校庭で整列をする小学生たちといった風情で並んでいる。このところの好天続きの陽に炙られて、ようやく温んだ山の冷たい水が、斜面という斜面に重なる棚田に注がれていて、そこにも細い青い苗がそよそよと風になびく様も伺える。夕陽が田んぼや畑を薄赤く染め始めると、陽を背にして逆光となった田んぼのあぜ道には、手を後ろに組んで歩いている宮沢賢治がいそうな、錫杖を持ち襤褸を纏って歩く種田山頭火に会いそうな、幻想的な気分にもなって、ついあたりを見回してしまう。
都会に住む人が見ても興味索然たる景色なのだろうが、私も友人たちも口をそろえて、この季節のこの風景が一年中で一番好きだという。また私にとっては、自分の実家が田を持っていないのが、なんだか悔しくなるときでもある。まあいわゆる過疎地なので、JAにでも行って米を作りたいと意思表示さえすれば、遊休農地などいくらでも紹介してくれるのだろうが。
先週末の休日、田畑の中を割って走る農道を通ると、いくつかの家族が田植えをしている光景に出会った。そこで視界に入ったある家族には、年寄りに混じって、見るからに20代の若い女が一緒に田植えをしていた。ふむふむ、なかなかいい景色である。年寄りたちはみなアタマから足先まで黒っぽい野良衣を着ているのだが、その若い女は、短めの濃色ショートパンツから真っ白い足をだして、脛から下を田の中に埋めては、上半身をかがめ植えている様子。思わず相好を崩す私。そう言えば私の働いている事業所にいる一輪の花、そう白石麻衣と生田絵梨花を合わせて割ったような超の付く美人の女も、「週末は山のおばあちゃん家の田植えの手伝いに行かなくちゃ」とか言っていたのを思い出した。麻衣やん似の女子の田植え姿、オラ、たまらなく見てぇぞ!!
この光景をターナー?田中一村?いや東山魁夷?に見せたなら、おそらくは大喜びでスケッチするのでは、いやいやそうじゃない梶井基次郎に見せたら、「城のある町にて」の文頭で描かれた風景描写を書くのでは、と考えては、なんだかひとり可笑しくなって、私は田んぼ近くに止めた車の脇で、ひとりクスクスと笑い始めてしまったのである。
(文頭の写真は、水田と夕陽を背にした、さりげなくもない愛車自慢なやつ)