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黄桃忌

私、老いた今、これほどまで世界がつまらなくなって見えるとは、若い頃は夢にも思っていませんでした。
肩に載った荷が減って自重が軽くなり,背中にあるこんな小さな羽根でも空に舞い上がり、世界を見る事が出来るのかと、楽しい毎日があるのかと、少し期待すら持っていました。実際こうしてちょっと身体を持ち上げ俯瞰してみましたが、視界に入ったのは墓地群だけで、この後(のち)生きるとは老いると同義語だと気づき、涙で目に膜がかかり、怖くなってソロソロと着地しても、弱い心そのままに、地面をいざる老爺(ろうや)の有り様。あとは自余に混(こん)ぜず、この絶望感を書き留めていくのみです。

昨夜のEテレ「太宰治 その絶望を超えていけ」

太宰の遺体が上がった昨日が桜桃忌、では入水したのはいつ?6月13日ね。私の誕生日か、まあいいや、それより桜桃とは黄桃の別名、つまり桜桃と書いて黄桃と読むのでは、と長いこと勘違いしていたのも今は昔。え?桜桃?さくらんぼはサクランボじゃん!
そうだいいこと考えた。
こうしよう、
私が死んだら命日は黄桃忌。

うーん、甘そうですね。