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先日の夕方のこと。妻は、夜7時キックオフだという地元サッカーチームの試合を応援しに、仕事…
東日本の寒い山間の町に暮らしている私たち夫婦の、2月半ばの、とある日に起きた大きな事件、…
1,濡れ落ち葉 かなり年下の女とひっそりと恋愛をしていた2年前などは、もう少し艶っぽい記事…
4月26日という日 あれからもう一年、経った。 4月26日。亡き先妻の遺骨を、それまで納…
鼻毛 「あっ!」 その時、確かに私は「あっ」と言う声とともに一瞬青ざめ、そのまた一瞬のち…
1,梶井基次郎「雪後」まずは、一年を通して、暇になれば太宰治か梶井基次郎の電子書籍を開い…
太宰治の傑作中の傑作、紀行小説「津軽」はこんな一節で終わっている。 多分にも脱稿が1944年(昭和19年)、太平洋戦争の末期であり、その時分の世情を彼なりに反映させた文末であったのだろうが、今の僕には、この一言が脳髄を揺さぶるに余りあるものだった。ちょっと大げさか。 命あらばまた他日、つまり生きていればまた逢える、絶望しないで元気だそう、そういうことだ。まんまだけど。で・・・ さらばやまパンよ、命あらばまた他日。元気で行こう。おまえもおれも絶望するな。では失敬。 何のこっち
1,こんな夢 こんな夢を見た。 前妻の面影を強く持っている、私の大切な娘が、ある日、突然に…
1、ちら見 久しぶりにトレーニングジムに行った。そこにいた、白く薄いアディダスTシャツを着…
1、火垂るの墓 これを読んでくれているあなたは、胸が詰まって苦しくてつらい、といった読後…
1、シモーヌ ヴェイユ 高校生の時分だったか、「工場日記」という、どこかの革命家?が書い…
ある日、余りにもヒマだったので、ここは男らしくと、オンラインで社会勉強をと、エロ動画を見…
1,新座敷 生家「斜陽館」より100メートルほど駅寄りに「太宰治疎開の家」がある。昭和17年10…
「太宰治」は無論のこと、「三鷹」「金木」「斜陽館」「弘前」「五所川原」などをネットで検索してみると、太宰に由来するサイト、紐付けされたページなどが実に多く登場してくる。このnoteで太宰治にまつわる記事数においても然り。それらの数を他の作家と比較したわけではないけど、おそらくは群を抜くその多さに、ネット社会になっても、時代を超越した太宰治の強い底力に、いつもながら、なるほどと感心ししまうのである。そうして私ごときも、時には、太宰のこと一番知っているのはオレさまなんだぞ、と少し