死にゆく妻との旅路
1、火垂るの墓
これを読んでくれているあなたは、胸が詰まって苦しくてつらい、といった読後感を持った、悲しい小説を読んだことがあるだろうか。
何冊か浮かぶと思うけど、おそらくは野坂昭如「火垂るの墓」を、その一つに挙げてもいいのではないかと思う。
読んでいない人でも、平成の時分には毎年の終戦記念日あたりになると、必ずこのアニメ映画をテレビで放映していたので、これまた「悲しすぎて落ち込むから観てられない」となる感想をお持ちではないかと察する。
正直、私も皆と同じで、テレビで観て興味を持ち、あらためて小説を読んでみた。野坂の書く、句点 。の少ない独特の文体も相まって、これまた胸が痛み、なかなか次のページに進んで行かない。もっと言うと、進めない、のである。つらいのである。
私など、映画の出だし「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」と清太が語りかけ、駅構内の柱にもたれ座り込んだ清太が画面に被さり、駅員が投げ捨てたドロップの缶から骨がこぼれて、無数のホタルが舞う、そんなあたりで、もう胸がぎゅーんとなり、ヒエーッ、やめてー!とばかり目を伏せてしまう。テレビ画面を見ることが出来ないのね。そして、このあと半日はどんより落ち込んで、暗い目つきになっちゃうのね。
2、死にゆく妻との旅路
さて、それはそれとて、私は今から10年ほど前だったか、清水久典「死にゆく妻との旅路」という小説を読んだことがある。何のきっかけでこれを知ったのかは忘れたけれど、強い興味を持ち、すぐに本を手に入れ読んだ。映画は、レンタル屋になくて、まだ観ていない。
確かに言えることは、この小説も読み進めるのが苦しいのである。「火垂るの墓」に負けず劣らず、ページを進めるのがつらくて、怖いのである。段々と心臓が痛くなってきて苦しくなってくる。そんなものだから、私はだいぶ日数をかけて、何とか読み終えたのた、そんな記憶がある。
あらすじは、タイトルの通りである。負債を抱え会社を潰した、とある男(おっさん)が、はじめは見知らぬ地で心機一転、仕事を見つけやり直そうと、妻(ひとみ)をワンボックスの車に乗せ各地を巡る。そのうちにその旅は、癌を患い余命幾ばくもないと解った妻との、最後の旅行となり、妻の死とともに終わりを迎える、といったものだ。
今回、私は記事を書くに当たって、所々をつまみ読みしてみたが、終章にたどりついて、そのエンディングになんだかほっとしたのである。そこでは、拘置所から出て一人になった男は、金沢で解体現場の肉体労働者となるのだが、慣れない労働に身を置き、身体が動かなくなるまで酷使していくことで、彼自身の妻に対する強い痛みが緩和され、少しずつ癒されていく。そして娘夫婦の世話になるといったわけだ。
ここでも肉体労働が大事なのね!←ここポイント!
3、ネット占い
さてさて、
一方で私の妻は、死にゆく訳でも勿論なく、反対に、きょうも頗る元気である。
と話を先に繋げたいのであるが、実は最近、妻は「ネット占い」(ほぼ詐欺)に、はまりにはまって、かなりのお金を課金していたのが発覚したのである。
詳細は書かないでおく。
物欲は誰にもある。女は特にそれが強い。妻も、買った服に袖を通す前に、既に次の服をネットで探し始めている。
まあ、それはいい!女だから。
だがこの女、ほぼ詐欺と自覚しながらも、このネット占いを、数ヶ月も課金しながら続けていたのだ。
なぜなのだろう。私には分からない。 おそらくは、世に謂われる、女に独特の欲求、つまり、ただ相談がしたい、なんとなく認められたい、それでいい、と言われたい、みたいなものが彼女の心に確かにあり、それを求めてひたすらネット占いに課金していたのではないか?
誰かに占ってもらって、つまり相談して、その誰かに自分を肯定してもらい、そして多少のアドバイス貰ったとしても、そもそも妻本人の主体性がないのだから、この先に特別何かが変わる訳でもないのに、と男で夫の私は思うのだが。
女が嫌いになりそうです。
4、まとめ
まず、青白い顔をした石田ゆり子を思い描く。そうして目を開け、次に買う服をネットで見ている目前の妻を眺めつつ、ふーっとため息をつき、薄くなった自らの後頭部を撫でながら、元気な妻で良かった、と無理やり思おうとしている、というのがこの記事のオチです。
だが、○十万は痛い!!サーフボードもウエットも買えたのに!ちーっ!