津軽 5 金木~旅の終わり
1,新座敷
生家「斜陽館」より100メートルほど駅寄りに「太宰治疎開の家」がある。昭和17年10月に太宰が見舞った時には、病に伏した母の居室であり、のち昭和20年7月より21年11月まで、太宰一家が疎開し暮らした家でもある。この「新座敷」は当初、文庫蔵に向かって右手の渡り廊下を隔ててあったもの。当初、長兄の文治夫婦の住まいとして造られ、ほどなくして文治夫妻が母屋に移り、その後は、上のごとくの次第。太宰はここで多くの作品を書き上げている。さてその後、昭和23年、農地改革によって地主の地位を失った津島家は、母屋を売却する際、この新座敷を、曳家によって現在の位置まで動かしたそうな。こちらも当時としては充分に豪邸。太宰が書斎として使った部屋もあって、ちょっと座らせてもらったが、凡人の私が座ったところで、良いネタが浮かぶ訳もなく、そうなんだ、で終わり。私にはこの部屋で書かれた作品の中では、「苦悩の年鑑」が好き。
2,地獄絵図
私の主目的は、勿論生家の「斜陽館」を見ることだが、第二には「雲祥寺」に行き、地獄絵図を見て、卒塔婆につけられた後生車をまわしてみることだった。
たけが幼少の太宰を連れて行き、人の道を外れるとこういうことになると諭した地獄絵図。ところが今現在はコロナ禍の中、一般の見学は中止しているとの張り紙が、正面右手の玄関に貼られてあった。ちょっと本堂の正面のガラス越しに内部をチラ見させて貰ったが、明るい外から暗い本堂を見ているので、やはり何が何やら分からなかった。極めて残念。
「思ひ出」では、
とある。
さて、太宰治は後年、外に恋人を二人つくっていた。そうしておそらくは、夜な夜な、女の胸の間に顔を埋めながらも、彼は心のどこかで、幼少期に見た双頭の青い蛇を思い出していたに違いない。などと、雲祥寺本堂を前にして私は変に確信してしまい、まるで他人事のように、ひとりニヤリとしていたのである。
「他人事のように」と書いたが、さすがに妾はいなかったけど、私もまた数年前、外に恋人を作った、とっても悪い男の人なので、死んだ後、私も蛇に巻かれてせつながるのは、これはもう、言わずもがなであろう。やだなぁ、恐いなあ、ガクブル。
とか言いつつ、雲祥寺を離れ駅に戻る途上では、この旅行に、あの優しかった恋人とこっそり来たならば、めっちゃ楽しかっただろうになどと股間がちょっと熱くなり、反省の微塵もない私なのであった。
卒塔婆に取り付けられた後生車はそこら辺には見当たらなく、門口の太宰記念碑に取り付けられた模倣品を見つけ回してみたが、新しすぎて何らの感動もなかった。(↑見出し写真をご覧あれ)
3,旅の終わりに
2回のワクチン接種を終えてのち一週間をあけ、しかし6月末で失効する会社の福利厚生補助を活用できるギリギリの旅程、それが先週あたりだったので、今回、私は一人旅と言う選択をした。私は、産まれてから今日という日まで、隣に女がいないと眠れないタイプなのであるから(笑)、ホテルが気を利かして無料アップグレード「ツイン」にしてくれたのも、ただただ切ないだけ、隣のまっさらなベッドを横目に見ながら、一人寝るのはあまりに寂しく、実はちょっとだけ泣いた。
しかし比喩誇張ではなく、自分が若かった頃から夢にまで見た、太宰の生家「斜陽館」を訪れることができた事は、実際にこの双眼で見るという、所謂「現地踏査」できたという意味で、大変価値のあるものだった。また文庫蔵に置かれた資料は、どれも一級品で、太宰夫人の津島美知子さんや、親族の恩に寄るところが大きいと実感した。
実は私はこの旅行の帰途、東北新幹線を新花巻で降り、「宮澤賢治記念館」を訪れてみたのだが、そこには宮澤賢治の通り一遍の紹介と、彼をイメージした写真やオブジェばかりが目に付き、資料の価値ほとんどなく、がっくりしてしまった。比してこちらの「斜陽館」の、目前にある現物は、どれもが太宰文学が形成された背後要因を探る、補完するものとして、充分に高度に価値のある資料であり、私は感動と緊張の余り、ちびった・・・もとい、手先が震えたくらいだ。
また、新座敷「太宰治疎開の家」のスタッフは、「又吉さんも猪瀬さんも来て頂いた」と得意げに話してくれ、「ふーーん、あ、そう」と返したけれど、いまにみておれ、いつしか「ちくわ会長さんも訪れてくれた」と足して貰えるよう、一度は下ろした「自称、太宰研究者」の旗を、鬼征伐に向かう桃太郎の如く、幟(のぼり)にして背中にくくりつけ、太宰文学の真髄を再度勉強しようではないかと、考えてみたりみなかったりで一人ほくそ笑む、そんな帰りの新幹線車内であった。
旅は終わった。有り体に言って、私は以前よりもっともっと太宰が好きになった。いましばらくは太宰文学から卒業できそうもない。
あとは、私が死んだ後、双頭の青い蛇に巻かれて苦しまないよう、会社の出退勤時などに、今もたまに見かける元恋人の、可愛い華奢な背に向かって、そっと頭を下げるのみである。なんのこっちゃ。
補足
この記事を読んでくれた若い方にむけて次の動画を紹介したい。
「太宰治への旅」
太宰没後50年頃、作家の長部日出雄が太宰文学を紹介していくシリーズものである。余りに虚飾された荒唐無稽な印象を被らされた作家の太宰ではなく、これは現地調査を踏まえての極めて正当で真摯な掘り下げをして、太宰文学の特徴やその背後要因を教えてくれている。
ちなみにこの動画のはじめに長部が「還暦を三年過ぎた今でも読んでいる・・・太宰文学からまだ卒業できずにいる」と語ったところあたりで、私は「うんうん」と深く頷いてしまうのである。