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「読書のすすめ」は馬鹿野郎のすること

読むことは禁断の快楽なのだから、お節介な大人どもは「子供たち」に余計な推奨的働きかけなどしなくてもいいのだ。文学や哲学や社会科学への「嗜癖」は、麻薬や酒へのそれよりも一層強く「人生」に作用する。本を読むことは素朴なる「動物的生」からの卒業であり、身の回りの当たり前の「言説」からの離脱なのだ。「既成の世界」など最早どこにも存在しない。

書物は人を革命家にもすればテロリストにもするし孤独な厭世的思索者にもするし超人を志向させたりもする。社会的桎梏から解き放つこともすればますます絶望させたりもする。あらゆる書物はもれなく読む人間の知的誠実さを試す。書物を開くたび人はその書物に己の真剣度を読まれている。それゆえ、「この本は読む人を選ぶ」というあの俗な物言いは、決して的を外したものではないのだ。読むという行為に際しては、まずはその自分の絶対的主体感覚から疑ったほうがいいのです。

自ら本を選び読むことを覚えた人間は、自分がどれくらいラディカルで取り返しのつかない一歩を踏み出したかをまだ知らない。はからずも自分の踏み込んだ領域がどれくらいぶっ飛んでいる山道なのかをまだ知らないし、一筋縄ではいかぬ魑魅魍魎的思想がどれくらい跋扈しているかをまだ知らない。

読書週間だとか読書感想文だとかいう教育的俗悪事はもう止めにしてくれ。そんな「押しつけがましさ」くらい読書の本質を毀損させるものは他にない。「読まされる」という公的・学習的経験によって、読むことの能動的・孤高的悦楽が大抵見えないものになってしまう。「子供」の天の邪鬼的気質へのどうしようもない鈍感さがここにある。並みの大人がニコニコ擦り寄っては奨めてくるものに大体ロクなものはないのだ。「良書」を小脇に挟んでは現今の支配的社会システムにお誂え向きの「理念」を飽きずに吹き込んでくる大人たちの、あの熱くもなく冷たくもない微温的態度を、まずは真面目に破砕しなければならない。最終的には「生産活動」にキチンと従事し「納税義務」をキチンと果たす人材に「子供」を仕立て上げようとする、あの体制内的・無意識的凡庸性に、キチンと誠実に冷や水を浴びせ掛けなければならない。知的に未熟なのは今の世界システムに安住して何一つ思い煩うことのないお前の方だと、面罵してやらねばならない。

「邪悪な凡庸さ」に染まり切ったそんな「大人たち」に見つからないよう、屋根裏部屋に息をひそめて読む行為こそが、「本来的読書」なのだ。本は人に魔性の秘密基地を提供する。読書すなわち「教養ある健全なる市民の習慣」というパブリック・イメージは、年来の騒々しい読書推奨運動の産物であって他ではない。

読まない人々は、放っておけばよかった。読まない人々には読まない人々の世界があるということを、どうして読む人々は理解できないのだろう。読む人々には知り得ない別の世界があるということをなぜ理解できないのだろう。まぎれもなく読むことは誘惑であって、この誘惑に縁なき衆生ならば、それはそれで幸せなことなのだ。文化資本的再生産のこととか人類の度し難い愚劣さの問題を、己らの肉眼と体感的鬱屈だけで学んでいけばいいだけのことなのだ。

書物の熱帯雨林に伏在するあの反社会的情念と無政府的パッション、あるいは暗黒の叡智、永久に問われないかも知れない問いに身を投じる快楽を知らないで生きることも、たぶん悪くないはずだ。

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