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「エッセイ」私が#noteを旅立つとき

書く為に此処に来た。
書く為に此処に来た筈だった。


生まれてから、私は自分自身で何かを達成?いや、完結させた事がない。
大好きだった主人の介護は「死」と言うカタチで幕を閉じた。葬儀の席で、主人と私を知る人達から
「よく頑張ったね」
「やり遂げたね」
と労いの言葉を頂いたが、私の心の中は、ぽっかりと穴が空いたような喪失感やモヤモヤとした妥協しかなかった。

私の主人こそ、志半ばで旅立っていった代表のような人だ。

主人を失ってからの私は、無趣味でテレビばかり観ているようになった。そして、それでいいんだと思っていた。
ある日ふと、私はこの世に「生」を受けて、何をしたかったのだろう?何を遺せるのだろう?と考えてみた。主人の人生は短かったが、仕事はしたし、やりたい放題に好きな趣味や旅行もしたし、沢山の人に愛されて「記憶」を遺して逝った。
それに比べて、私と言えば、幼い頃から「我慢」と「忍耐」の繰り返しだった。その時間の中にも、勿論楽しいことだってあったけど……。

人生の後半戦にきて、私が本当にしたかった事は、何だったのだろう?と考えてみたわけだ。そこで浮かんだのが、

書きたい!!


だった。
ふつふつと湧き上がる、この思いを「文章」として遺したい。
いや、「何か」を残す為に書くのではなくて、「書く」こと自体を楽しんで、その結果として「書いたもの」が残ればいいと思った。
その「書く」場所とした選んだのが、このnoteだった。
noteは書く事において優秀な人々の集まりだと聞いた。どうせ書くのなら、その集団の一員になりたい。ハードルは高い方がいい(飛べんけど)末席でいい、入ってみたい。
あの日、石橋を叩いても渡らないような私が、noteの戸を叩いた。扉を開けるのに時間は掛からなかった。

思い起こせば、目立たないように目立たないように生きてきた。学生時代、一番最初に目立ったのが「作文」だった。小学校高学年の担任教師が、私の作文を読んで市や県のコンクールへ勝手に応募するようになった。母親の違う弟達よりも学校の成績が良かったり、優秀だったりすれば、継母に虐められる。成績が上がればお手伝いを増やされ、友達と遊ぶ時間を奪われた。
だから、いつも何においても一生懸命になんてやらなかった。手を抜かなければ愛してもらえない事を幼心に知っていた。
それが、いつの間にか作文の賞状だけは貰えるようになってしまった。継母は私を塾へ通わせるのを止めた。中学に上がると皆が英語が分かるのに、私だけは初めて開く英語の教科書の意味が全く理解出来なかった。
それでも国語の担任の先生が、また私を見つけてくれた。今度は本当に嬉しかった。「私にも出来る事がある」と思った。

それが、この恩師だ。↓


私に「書く」ことの楽しさを教えてくれた先生のおかげで、やっと自分の居場所をみつけられたような気持ちになった。


さて、長い長い前置きは、この辺にして本題に入ろう。
私は現在、「書く」喜びに満ちている。でも「書く」差材、ネタがない日もある。
それでも何かを書いている。
以前、「企画ばかりで、つまらない。読む気がしない」とコメントされた事もある。それは、人それぞれの価値観で、私は与えられた課題に沿って書く事は勉強になるし、自由に書く事は自分の自己表現を高める為の勉強になると思っている。

noteを旅立つとき…
「書く」ことに挫折を覚えた日かな?いや、挫折なんて何度も何度も味わってきている。
「もう、これでいい!」
と自分自身が納得出来る作文が書けた日?
かの文豪達に「納得」なんて、言葉があっただろうか?
物を創り出す人は、更に高みを目指すものだ。
では、いつだろう?
私の存在を知られたくない人に知られた日?(私は未だに弟から逃げている身だ)
いや、それならさっさと別垢を作って、素知らぬ顔で復活するだろう。

では健康か?
先日から足を痛めて、歩けなかった。今日はもう歩けるけど、無理をした体勢で動いていた所為か、首や肩や手首などあちこちの関節が痛い。
それでも、便利な世の中になったもので右手の薬指さえ動けば文章が綴れる。


私がnoteを去る日は、私の文章を誰も読んでくれなくなった時だと思う。


一番最初に私は言った。

書く為に此処に来た。
書く為に此処に来た筈だった。

と…

いつの間にか、私は私が「書く」物を読んでくれる人達が居るから、此処に居る自分に気が付いた。
私がnoteを旅立つとき、それは私が書いた物を誰も読んでくれる人が居なくなった時だ。


だから、まだまだ暫くは此処から離れないと思う。たった一人でも読んでくれる人が居れば、私は駄文を書き散らして図々しく此処に居るよ。


あぁ、それにまだ一つも賞を取ったり、納得出来る作品が出来上がっていないしね。
私の人生で一つくらい、何かを達成したい、完結させたい。それが出来ないで世を去って逝く人が殆どだと思うけど…

まだ、書いていたい。


あやのんさん、あんこちゃん、私は居るよ(笑)



ふくふくさん、期間が過ぎてしまっても、企画に参加してもいいと言う寛大なお言葉を読んで書いてみました。
記事を貼りつけることをお許しくださいね。

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