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ラブレターなんてもらっちゃったら、たぶん、一瞬で恋に落ちると思う。

LINEよりもメールが、メールよりも手紙が好きだ。

はじめて自分宛ての手紙をもらったのは、いつのことだろう。

記憶の中で一番古いお手紙は、幼稚園の年長さんのとき。
ある日郵便受けから手紙をがさごそと取り出した母が、わたしの顔を見てこう言った。

「あら。sanmariにお手紙が届いているわよ」

母が丁寧にペーパーナイフでその白い封筒を開けると、中には赤いランドセルを背負った女の子のポストカードが入っていた。

「しょうがっこう にゅうがく おめでとう」

そうひらがなで書かれたカードの送り主は、母の兄、わたしの叔父だった。

「お手伝い」と称して玄関にある郵便受けの中身を確認したことは、何度もあった。それでも、「わたしあて」の手紙が入っていたことは一度もない。だから、子どもながらに「手紙をもらえる人=おとな」という連想しか浮かんでいなかった。

そんなわたしに届いた1枚のポストカードは、キラキラ輝く宝物に思えて。
当時わたしが持っている箱の中で一番かわいいと思っていたピンク色の箱に、そのポストカードをそっと仕舞い込んだ。
そして、ことあるごとに箱を開けては穴が開くほどポストカードを眺めるわたしがいた。

小学校高学年で携帯電話を手にしたわたしは、小学生にしてメールを覚え、大学に入る頃には携帯がスマホになり、メッセージのやり取りはもっぱらLINEがメインになった。

メールからLINEに移行するとき、メッセージのタイトルから「Re...」が消える切なさを味わったのもとうの昔のことだ。(好きな人とメールが続いていくとき、「Re.Re...」って続いていくのが地味に嬉しかったんだけれど、これって、わたしだけなのかしら)

それでも。
あのポストカードを含め、誰かからもらった手紙たちを入れたあの箱は、わたしの宝物のままだった。

便箋を選んで、内容を考えて、どんなペンで描くか選んで、住所を写して、切手を貼って、ポストに投函する。
ちょっと手間がかかるけれど、その手間全てがつまったものだと思うと、その手紙のキラキラは、さらに増して見える。
そんな気がするから。

学生時代に恋人から
「海外旅行に行ってくるんだ」
と言われたときにせがんだのも確か絵葉書で。
旅先から絵葉書を投函して欲しいと駄々をこねて、送ってもらった。

彼が旅先の郵便局から手紙を出したとLINEをしてきてから数日後、我が家のポストにその絵葉書が投函されたときの喜びといったら。
毎日LINEをしていたから「連絡がきた」という感動はそこまでなかったんだけれど、たくさんの手間ひまをかけた絵葉書が届いたということが、とてもとても嬉しくて。
箱にしまってしまうのもなんだかもったいなくて、何度も眺めて、あの箱にしまった。

連絡手段がLINEになって、今ききたいことが瞬時に返ってくるようになった今日この頃。LINEはもちろん便利なんだけれど、たまにはあの手間ひまかけた手紙を交わしたいな。
なんて思いながら、毎日郵便受けを開けては、DMだらけの中身にちょっぴりがっかりする日々を送っている。


そんなことを思い出した、今日の藤原印刷さんのツイート。
かわいいレターセット。
松本まで、ぴゅんととんでいけたら、いいのにな。


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