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医療コラムニスト・もろずみはるかさんの「!!!」——夫婦間腎移植の決断を振り返る、その日まで

「あなたの強みは、あなたの『当たり前』の中にある」。自分の「強み」がわからなくなったとき、人にそうアドバイスされた経験のある方は少なくないと思います。しかし、どうやって当たり前の中から見つければいいのか、それがわからないという方もいるのではないでしょうか。

中学1年生のときに腎臓病を発症した、もろずみはるかさんは、自分の内に病気という「弱み」をかかえて生きてきました。36歳で末期腎不全となり、2018年3月、38歳のときに、夫から腎臓をひとつ分けてもらう生体間腎移植の手術を受けます。以降、それまで公の場では隠していた病気について公表し、夫婦間での移植の経験を発信するようになりました。今まで「弱み」だったはずの病気が、書き手としての「強み」へとなったのです。

しかし今、もろずみさんの発信に対して、「これは病気に限らず、誰の人生にも通じる話」と感想が寄せられることも多いそうです。そこには、移植手術を経て、身近なできごとを見つめなおすことで、見出した自分だけのテーマがあったといいます。医療コラムニストとして、自分の見つめる「当たり前」を発信するようになった経緯を聞きました。

医療コラムニスト・ライター もろずみはるかさん
広告制作会社を経て、2010年にフリーライターとして独立。2018年に夫婦間腎移植を受ける。以降、コラムやYouTube「腎臓生活チャンネル」、ラジオなどを通じて、腎移植の経験について発信している。

「大切な時に私の足を引っ張る」爆弾をひっそりと抱えて

——中学1年生のときに慢性腎臓病を発症されたと伺いました。病気を患ってから移植を受けるまで、もろずみさんは腎臓病とどのような関係を築いてきたのでしょうか。

もろずみ:腎臓って、よく「もの言わぬ臓器」と喩えられますよね。その言葉通り、病気が発覚した初期の頃には、自覚症状がほとんどありませんでした。医師からは「病気が進んで悪くなることはあっても、腎臓の機能が良くなることはない」「悪くなったらいつかは人工透析」「妊娠出産は難しいかも」と説明を受けていましたが、そんなにピンときていなかったんです。ずっと体のどこかが痛い、といった困りごとがあるわけではないので、子どもの頃は、自分の病を深刻に自覚していませんでした。

それでも、体の中に爆弾を抱えているような感覚がありました。腎臓は体の中の老廃物などを、体外に排出する役割を持っています。疲れがたまったり、風邪をひいたりすると、赤や紫、緑がかった色のおしっこが出ることもあるんです。ただ、それを深刻に受け止めるというよりは、病気のことを話していた友人には、「私は虹色のおしっこが出るんだよ」なんて、おもしろおかしく話のネタにしていました。

——爆弾を抱えたような感覚で、日常生活を送る…。その生活の中で、発見したことはありましたか?

もろずみ:「誰とも、自分が味わっている感覚を共有できない」という孤独を知りました。それに毎月病院に通うたびに「無理しないで」「疲れすぎないように」と先生から言われて、気がつくと「限界まで全力を出しきってはいけない」と自分をセーブする癖がついていたんです。もちろん体を守るためには、良いことです。でも、全力で取り組んで初めて得られることもあるだろうに、つまらないな、と思うこともありました。

気持ちの上では、明るくて元気いっぱいでしたが、どこかで病気に自分の人生が支配されている感覚は、ずっとありました。それを強烈に感じたのは29歳で妊娠した頃のことです。夫とは28歳で結婚し、翌年には子どもを授かりましたが、すぐに腎臓に負荷がかかりすぎてしまい、妊娠4ヶ月で子どもを諦めることになってしまったのです。「ああ、やっぱり、こんな大切な時に病気は私の足を引っ張るのだ」と。それからは腎機能がどんどん落ちていく一方でした。


病気を隠して仕事、そして夫からの腎臓のプレゼント

——もともと広告制作のお仕事をされたのち、ライターとして独立されたと伺いました。当初は、病気のことはオープンにしていなかったのですよね?

もろずみ:はい。むしろ、お仕事関係の方にはずっと隠していました。フリーランスとしてお仕事を任せてもらうためには「持病持ちです」なんてネガティブな情報を、相手に与えてはならないと思っていたんです。だから多分、私は「いつも明るくて元気なもろずみさん」と見られていたはず。実際、1ヶ月のうち通院しない30日はハッピーでいられるんです。だけど、病院に行く1日だけは「自分は病人だ、数値はどんどん悪くなっている」と地獄に突き落とされる。それが7年くらい続きました。

——その後、腎移植を決断された経緯を教えてください。

もろずみ:36歳のとき、医師に「あなたの腎臓は2020年の東京オリンピックまでもたないでしょう」と宣告されました。治療法は人工透析か、腎移植。人工透析は一度はじめたら、腎移植をしないかぎり、ずっと治療を受け続けなければいけません。腎移植は、悪くなった腎臓のかわりに、移植した健康な腎臓にその働きを代行してもらう治療法です。ただし、脳死や心肺停止となった方からの移植は、平均15年待ちと言われています。残るは、健康な方にドナーとして腎臓をひとつ分けていただく方法です。

初めは、私の肉親がドナーに名乗りでてくれたのですが、血液検査でNGが出るなどして、移植は難しい状況になりました。そして前々から「僕の腎臓をあげる」と言ってくれていた、夫からの腎移植を検討することになったのです。

とはいえ「あげる」と言われて「いただきます」と言えるほど、すぐには決断できません。自分のために夫の健康な体にメスを入れて、本当にいいのか。これは夫の善意を搾取することにはならないのか。それに夫はやさしい人なので、途中で気が変わっても言い出せないのではないかと、夫の本心を信じきれないときもありました。

自分の心を整理するため、患者や移植経験者が集まる会に、何度も足を運びました。夫の本心をうかがい知るために、「将来交換しよう」と言って、夫と私でそれぞれ日記をつけることにし、それを盗み見ようとしたこともあります。それぐらいパートナーにドナーとなってもらうことが、重みのあることだと感じていたのです。

結局、手術の決断まで2年ぐらいの時間がかかりました。それでも手術当日まで「夫は来ないかもしれない」と覚悟していました。夫の決断を信じてはいましたが、普通なら逃げ出したくなってもおかしくないと思っていたのです。しかし、夫は約束通り来てくれました。手術は無事に終了し、術後の回復は驚くほどで、数日で退院することができました。夫を信じて手術を決断してよかったと思いました。


「それがあなたの専門分野」、25年間付き合った病は強みに

——移植手術前は公表していなかった病気について公表し、移植の経験について発信し始めたのはなぜですか?

もろずみ:ひとつは、移植の成果を自分の中でしまいこんではいけないと、使命感のようなものが生まれたからです。腎臓病患者のほとんどは人工透析を選ぶと言われています。この治療法を受けることができた私が、その経験を伝えなければいけないと思いました。この治療がいいということでなく、選択肢のひとつとして、知りたいと思う患者さんのもとに情報を届けるためです。

そしてもうひとつ、私にとって「目から鱗」のひと言が、私の背中を押しました。
移植手術を受ける半年前、有名なウェブメディアの編集長にお目にかかる機会があって。その方から「あなたの専門分野は何ですか?」と聞かれたんです。どんなお仕事でも引き受けたいと思っていたので、「これまで何でも書いてきました!」と答えました。すると「何でも書けるということは、何も書けないと言っていることと同じ」と言われたのです。うわー、キツい、おっしゃる通りでただただ恥ずかしい……と思っていたら、その方が「40年近く生きてきたのなら、必ず専門分野があるはず。一緒に棚卸ししよう」とおっしゃって、私のこれまでについて耳を傾けてくださいました。

私は、中学1年生から患っている腎臓病のこと、半年後に夫から腎臓をひとつもらう予定であることをお話しました。その瞬間、編集長が「それそれ! それだよ!」とおっしゃったのです。それがあなたの専門分野だ、それを書かずして何を書くのだ、と。ずっと隠してきた病気、自分の弱みだと思っていたことが、他人から見れば私の「強み」になる——! これには本当に驚きました。


ひとりの人生としての「腎移植」を語り、信じ抜くことの尊さを問う

——実際に移植手術が終わって、切実に何を伝えたいと思ったのでしょうか。

もろずみ:私自身が移植手術を受けて本当に良かった、と思えたことです。これはもちろん、腎移植という治療法を勧めているわけではありません。

医療情報はお医者さまから教えていただけます。でも、私が移植を決断するにあたって一番知りたかったのは「移植する人と移植される人は、本当に幸せになっているのか」ということでした。

たとえば、手術自体が成功しても、それがきっかけで夫婦間の関係が崩壊してしまえば、それはちっとも「成功」とは言えません。もしも夫が手術をきっかけに落ち込むようになったらどうしよう? あるいは、あまりに大きな奉仕をしたことで、私の行動を束縛するようになったら……? 移植は夫の家族や、さまざまな人を巻き込んで行われます。「やっぱりお返しします」とはできないからこそ、決断の先にふたりの幸せがあるかどうかを、私自身はどうしても知りたかったのです。

移植を受けるまでの迷いと、決断。移植を終えた今、私がどれだけ夫を愛しているのか。この手術を受けられた奇跡と、医療従事者のみなさまへの感謝の思い。そしてこれから、夫婦の形がどのように変わっていくのか……。移植パンフレットには書かれていない「いち患者」としての思いを伝えたいと思いました。

——その後、さまざまなメディアで、ご自身の体験や腎移植について発信されていらっしゃいます。意外にも、最初にコラムの連載が決まったのは、女性の生き方をテーマにしたウェブメディアだったそうですね。

もろずみ:そうなんです。そのメディアの読者の方は、必ずしも病気に関心があるわけではないはずなのですが、担当編集者さんから「これはパートナーシップの話だし、人生の生き方の話でもある」とお話をいただいて。最近も知り合いのライターさんから「あなたは腎移植のことを書いているつもりかもしれないけれど、誰の人生にも通じる話だよね」と言われました。

きっと私が伝えようとしているのは、夫婦という形に限らず、誰かのことを信頼し抜くことの尊さなんじゃないか、と思うんです。病気が進行するたびにできないことが増え、心は落ち込み、手から大事なものがぼろぼろとこぼれ落ちていくような時間を過ごしました。移植手術が決まってからも「本当に夫は大丈夫か、私たち夫婦は壊れないだろうか」と何度も考え、夫の真意を知ろうとした。だけど、夫を信じ抜くと決めて、手術を受け、目が覚めたときに「この愛があれば生きていける」という確かな実感があったのです。そんなふうに「信じ抜くことで得られるもの」を伝えたいのでしょうね。


笑顔で一生を振り返る日のために、この日常を覚えておきたい

——移植から三年半経った今、ご自身の経験を発信し続けるモチベーションはどんなところにありますか。

もろずみ:読者の方や、YouTubeの視聴者の方からいただく温かいコメントが励みになっています。ときどき「あなたのコラムに救われました」といった言葉に出合えることも。また、健康な人から「腎臓病や腎移植について初めて知った」「意識が変わった」と言っていただくと、発信してよかったなあ、と思います。

ただ、本当に私を突き動かしているのは、伝えたいという思いだけではないのかもしれません。
私、「すべて覚えていなければいけない」って思うんです。移植手術の翌日、私の病室に入ってきたときの夫の表情を。夫がかけてくれた言葉の一つひとつを。手術の瞬間だけではなく、ふたりで交わしたささいな会話や、これから一緒に過ごす時間、起きる出来事のすべて。とにかく死ぬまで覚えておけ、って。だけど、どれだけ大事な思い出であっても、時間が経てば記憶は薄れてしまうものです。今はふたりともすっかり元気になり、手術直後の、ぶるぶると震えながら手を取り合った瞬間は、どんどん過去になっていきます。

だからせめて、記録しておきたいのです。そして亡くなるときに、ふたりが一緒にいた時間のささいなできごとを振り返りながら「ああ、この人生なかなかよかったな」と思って、一生を終えたい。夫にも、そう思ってほしい。その時のために、本当に他愛もないことであっても、夫からもらった言葉やしてもらったことを、できるだけ記録しておこうと。そして私のほうも、普段から夫にできるだけ良いことを言うようにして、覚えておいてもらおうって(笑)。

夫も、私も、ふたりが「なかなかいい人生だったな」と終われることが、ドナーとして私を助けてくれた夫への最大の恩返しだと思うから、そのためにも日々の些細なできごとを、大切に見つめていこうと思います。

■あなただけの「!」を見つけるために
幸せになるための選択、そして生き方の話として、
医療情報には載っていない腎移植の体験を発信してこられた、もろずみはるかさん。
弱みだと思って隠していた病気を「強み」に変えて、伝え手となれたのは、
腎移植という特別な体験をしたから——果たしてそれだけなのでしょうか。
  
いち患者の視点から見た移植の話を、必要としている人に届けたい。
そして、いつか夫婦で「あの決断は良かった」と振り返るために、
ふたりで過ごす時間を、ひとつ残らず覚えておきたい。
そう思うもろずみさんだからこそ、まるで画像の解像度を上げるように、
日常をくっきりと鮮やかに、捉えられたのだとしたら。
   
病気や移植の経験に直面せずとも、
本当に目を凝らせば、特に代わり映えのない1日の中にだって、
あなたの人生を「これで良かった」と支える何かを、見つけられるのかもしれません。
 
! いつか、あなたが「この人生なかなかよかった」と振り返る時のために
覚えておきたい、今日の出来事は何か?

取材・文・構成:塚田智恵美

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