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哲学者・小川仁志先生の「!!!」——ホッキョクグマの問題を「自分の問題」にしてみたら

新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、この一年間で私たちは、さまざまな問題に直面してきました。同時に、過去の常識や既存のやり方について、改めて問い直すことの多い一年間でもあったはずです。

しかし、社会の問題となると、つい「自分ひとりが疑問に思っても、何も変わらない」「そもそも、自分が問うことには意味がない」と感じてしまうこともあるでしょう。私たち大人が今、問うことをあきらめずに生きていくには、どう考えたらいいのか? 「三賢人の学問探究ノート」シリーズの2巻『社会を究める』に登場する、哲学者・小川仁志先生に聞きました。

小川仁志先生
1970年京都府生まれ。京都大学法学部卒業。名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。徳山工業高等専門学校准教授などを経て、現在は山口大学国際総合科学部教授を務める。専門は公共哲学。


新型コロナウイルスに問う。「深夜にラーメンを食べますか?」

——地域や社会で起きているできごとに対して、漠然とした違和感を覚えることは多々あると思います。しかし、その違和感を、具体的に「問い」という形で言語化できる大人は少ないのではないでしょうか。哲学とは、まさになにかを「問う」学問だと思いますが、ビジネスパーソン向けの哲学研修をされている小川先生は、大人の「問う力」をどのように思いますか?

小川:最近、ビジネス界でも哲学思考に注目が集まっています。物事を「問う」ことで、根底から捉え直し、クリエイティブな視点で新たなアイデアを生み出していくことが、企業活動においても重視されているからです。私もさまざまな企業に出向いて哲学研修を行っていますが、問うことに苦手意識を持っている大人は、案外多いように感じます。
問うことは自由でクリエイティブなものです。ところが、大人になればなるほど、「ちゃんと問わなきゃ」という真面目モードから、なかなか抜けられないものです。中には「研修で、新しい知識や視点を教えてもらえると思ったのに…なんで私が問うんですか?」と戸惑っている人もいます。

いきなりですが……新型コロナウイルスに今、何か問うとしたら、あなたはどんなことを問いますか?

大人は、つい「いつ収束しますか?」とか「どんなメカニズムで変異しているんですか?」といった、ニュースで見たことのあるようなことを聞いてしまいがちです。ところが、子どもは「なんでも聞いていいんだ!」と思った途端、「新型コロナウイルスは、深夜にラーメンを食べますか?」といった、ユニークな角度からの問いを投げかけることができます。一見ふざけた問いですが、これまでと視点が変わり、ひょっとしたら何か新型コロナウイルスに立ち向かうための新しいアイデアを考える糸口になるかもしれませんよね。
私は、問うことはそもそも、楽しいことだと考えています。大人も、問うことをもっと楽しんでいいのです。

まともな発想から脱するための「ミスマッチングアプリ」

——子どもほど自由に楽しく問えなくなった大人に対して、小川先生はどのように問うことを教えているのでしょうか。

小川:どんな大人にも、自由に発想する力は眠っています。そこで、問いを立てる以前に、楽しく問えるマインドをつくることから始めます。

まずは、「まじめ」モードから「楽しい」モードに切り替えること。会議室で研修をしている場合「ここが飲み会だと考えてみましょう」などと促します。飲み会では「乾杯!」の合図で自分のモードが切り替わり、ざっくばらんに話しやすくなりますよね。問うときも、意識的に「今からは楽しむモード!」と切り替えてみるのです。

また、問いをつくる場面でも、遊び心を取り入れるようにしています。
「ミスマッチングアプリ」と称したワークショップがあります。総理大臣が国民に問う場面、動物園の飼育員がゾウに問う場面を想像してみてください。一体、どんなことを問うでしょうか。
総理大臣が国民に問うなら「生活は安定していますか?」、飼育員がゾウに問うなら「ご飯は足りていますか?」……。こんな問いが浮かぶかもしれません。普通に想定できる組み合わせでは、出てくる問いも想定の範囲を出ることはないでしょう。
そこで今度は、問う側、問われる側を入れ替えてみます。「総理大臣」が「ゾウ」に問うとしたら、どんな問いが浮かびますか?

——総理大臣が、ゾウに問う……?

小川:普通ならマッチしない組み合わせで問うから“ミスマッチング”。意外と発想が広がるでしょう。総理大臣が「ゾウさんはいつも堂々としていますね、どうしたら何が起きても動じずにいられるでしょうか?」なんて問うシーンが浮かぶかもしれません。このようにして遊び心を取り入れたワークショップを重ねていくと、まるで参加者の「クリエイティブスイッチ」が押されたかのように、「問うっておもしろい」という雰囲気ができあがってくるんです。

——つい「センスのいい問いをしたい」と思ってしまって、なかなか問いが浮かばないこともあります。

小川:センス(sense)とは本来、感覚のことです。みんな、自分の持っている感覚に従えば、必然的にセンスのいい問いになるはずなんですよ。

五歳くらいの子どもは自然と、さまざまなものに「なんで?」と問いを投げかけますよね。私は以前、公園で子どもがお母さんに「ちょうちょは、なんでまっすぐ飛ばないの?」と聞いている場面に遭遇しました。非常におもしろい視点ですし、新しい乗り物のアイデアにもつながりそうな問いですよね。でも、子どもは「おもしろいことを問おう」なんて思ってはいない。自然と疑問に思ったことを、口に出しただけでしょう。

理性的に考えるのは、問いを出したあとでいい。意識的に問うモードと考えるモードを切り替えたほうが、結果的に、おもしろい問いが生まれるはずです。


誰かの問いを「自分の問い」に変換し、来るべき未来を考える

——昨今、新型コロナウイルスの問題やSDGsなど、社会の問題を意識する機会が増えています。小川先生のご専門は公共哲学ですが、「みんなの問題」について問うときに、何かコツはありますか?

小川:「みんなの問題」が自分の問いにならないのは、所詮は他人事だからです。
たとえば新型コロナウイルスの感染拡大によって、今、外食産業が大打撃を受けています。でも、今、安定して給料がもらえる立場の人が「自分が飲食店の経営者だとしたら、どうする?」と想像するのは、やっぱり限界があるんです。「なんとかしてあげたい」と思う気持ちはあっても、多くの人は、実際に行動を起こすことまではしませんよね。

それなら「もし、別のウイルスが流行して、今度は自分の業界だけが打撃を受ける状態になってしまったら?」と、自分ごとになるように問いを変えてみましょう。「みんなの問題」を「自分の問題」として考えるための設定を加えて、思考実験をしてみるのです。

私が実践する、対話形式で1つのテーマについて哲学的に考えるイベント「哲学カフェ」でも、SDGsにまつわる問題を扱うことがあります。「温暖化で海面が上昇して、ホッキョクグマが絶滅の危機に陥る」問題を「海面が上昇して『私たちが』イカダの上で暮らすことになったら?」と設定を変えてみる。すると、「電気や水道などのインフラはどうやって整備しよう…海中に埋めてはどうか?」など、現実的に思考できるようになるのです。

——本当に「自分ごと」として考えられる範囲で、問いを立てていくということですね。

小川:そうです。そうして生まれた問いは、一見、意味のない問いに見えても、近いうちに現実問題として考える状況になるかもしれない。「自分ごと」として問うとは、来るべき未来について考えるということなんです。

——「みんなの問題」でも自分なりに問うことができそうな気がしてきました。最後に、「自分ひとりが疑問に思っても、何も変わらない」と問うことをあきらめそうになっている人へ、何かメッセージがあればいただけますか?

小川:なぜ私たちが問うかというと、課題を解決するためです。問いを立てることで課題を発見し、解決のためにやるべきことを発見する。ところが、社会課題の場合、必ずしも自分が解決の担い手になれるわけではありません。
それでも、あなたの問いを、誰かが目にしたら? まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、あなたの見えないところで、あなたの問いが他のものに作用し、小さな問いが大きなうねりを呼んで、社会を変えていくかもしれません。

私が哲学研修や哲学カフェを行うのも、自分の行動によって未来がどう変わるか、知りたいからです。私の行動だけで、明日、何かが劇的に変わることはないかもしれません。でも、SNSでつぶやいた小さな問いに、予想外の反応がくることもあります。「明日、何が起きるんだろう?」と考えること自体が、私は楽しいです。
社会に対して何かを問うことは、それ自体が、明日の変化につながる行動です。だから勇気を出して、自信を持って、問いを発していきましょう!

■あなただけの「!」を見つけるために
取材の中で小川先生は
「世の中は問いでできている。誰かが問わなければ、変化は起きない」
ともおっしゃいました。
自分自身がすぐに、解決の担い手になれるわけではない。
それでも問いを投げかけることに、意味がある。
問うこと自体が社会を変えていくとしたら、
あなたはどんなことを、問うでしょうか?
 
! 解決できるかは考えずに
五歳になったつもりで、社会の「ここがおかしい」を問うなら?

取材・文・構成:塚田智恵美


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