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【試し読み】福岡伸一先生「生命とは何か?」①(『生命を究める』より)

3月15日発売の『表現を究める』『生活を究める』の刊行を記念して、好評発売中の「スタディサプリ三賢人の学問探究ノート」シリーズをnote限定で一部公開していきます。今回からは『生命を究める』より、生物学を研究している福岡伸一先生の「!!!」をめぐる物語を掲載していきます。

福岡伸一先生
1959年東京都生まれ。京都大学農学部卒業。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、現在は青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授を務める。専門は生物学。
はじめに:「お変わりありませんね」は、お変わりありまくり
 あるカミキリムシの美しい青色、サナギの中で溶けるチョウ……。
 昆虫の謎に魅了された少年の夢は、新種の虫を見つけて名前をつけ、図鑑に載せること、そしていつか「生命とは何か?」という謎を解くことでした。
 しかし、その夢は叶いませんでした。その後、研究者として新しい遺伝子を見つけて、生命の謎を解こうとしますが、すべての遺伝子が明らかになっても、「生命とは何か?」は謎のままでした。
 挫折した昆虫少年・福岡伸一先生は、これまでとはまるで異なる新しい視点で「生命とは何か?」を考えてみることにしました。生命のパーツを調べるのではなく、「流れる時間の中で、パーツ同士がどのように関わり合い、生命が成り立っているのか?」という問いを立てて……。
 見えてきたのは、常に自分を壊し、変化しながらバランスを取っている生命の姿でした。人間の体だって1年もすれば、自分を形づくっていた細胞は、自分の中からほとんどいなくなっている。久しぶりに会った人に「お変わりありませんね」と言いますが、物質的には「お変わりありまくり」だったのです。
 それでも、自分は自分であるように見えます。生命とは、絶え間なく動き、変化しながら、バランスを保つこと。物質上はまるで違うものになりながら、自分そのものを保つことなのだ——福岡先生は、そう気づいたのです。
 福岡先生は、自分の考えた「生命とは何か?」の答えに「動的平衡」という名前をつけて発表します。すると、不思議なことに、人間がつくるあらゆるものが、先生の考える「生命」のように見えてきたのです。そして、福岡先生の研究は生物学の範囲に留まらず、哲学や文学、建築や都市計画へとも広がるのです。
 これは、新種の虫に名前をつけられなかった昆虫少年が、「生命とは何か?」への答えを探しているうちに、あらゆるものを生命としてとらえるようになるまでのお話です。

昆虫の謎に取りつかれた少年、2度の挫折を経験する

ルリボシカミキリの「青」に恋をした

 すべての始まりは、少年の頃に出合った「ルリボシカミキリ」でした。
 ルリボシカミキリは、瑠璃色の「瑠璃」が名前につく通り、鮮やかな青色の体をしたカミキリムシです。その美しい「青」に、私は釘づけになりました。印刷では決して再現できないような、透き通る青色でした。
 じっと見ているうちに、ふと、不思議だなと思いました。空の「青」も、海の「青」も、すくって持ち帰ることはできません。空の「青」を絵の具のように取ってきて、絵を描いたり、白いシャツを染めたりすることもできません。それなのに一体なぜ、小さなカミキリムシの背中に、こんなにも美しい青色が再現されているのでしょう。
 これだけ美しい色にしなければいけない理由が、何かあるのだろうか? カミキリムシのデザインに、何らかのメッセージが込められているのだろうか……?
 よく考えてみると、他にも昆虫には不思議なことがたくさんありました。 
 例えば、チョウ。小さな虫が葉っぱを食べ、脱皮しながら少しずつ大きくなって、ある日、急にサナギになる。そして何週間か経つと、美しいチョウがサナギを破って出てきて、羽をピーンと伸ばして飛んでいく。
 一体、サナギの中で何が起きているのか?
 イモムシの体のパーツが、どのようにしてチョウのパーツに変化するのか?
 不思議に思った少年の私は、サナギを開いて、中で何が起きているのかを調べることにしました。背中に切り込みを入れてサナギを開くと……、中から出てきたのは、ドロッとした茶色い液体でした。
 ——え?
 私は動揺しました。その茶色い液体が何なのか、なぜチョウになるはずのものがサナギの中でドロドロに溶けているのか、私にはまったくわかりませんでした。ひとつ確実なことは、その瞬間、私自身の手で、チョウの生命を終わらせてしまったということです。
 生命って一体何なのだろう……。茶色い液体を見ながら、私はぼんやりと考えました。

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 昆虫の不思議と出合えば出合うほど、私はその謎にどんどん魅了されていきました。そして、いつしかふたつの夢を抱くようになりました。ひとつは「新種の虫を見つけて名前をつけ、図鑑に載せること」。もうひとつは、「いつか『生命とは何か?』という謎を解くこと」です。
 私はひとまず、ひとつ目の夢を叶えようと、新種の虫を探すことにしました。山や、森や、林へ行き、めずらしい虫やきれいな虫がいないかと探す毎日。そして小学5年生のときに、ようやく、見たこともなければ図鑑にも載っていない、美しい色と模様の虫を見つけたのです。
 私は東京の上野にある国立科学博物館に、その虫を持ち込みました。
「これはどこで捕まえたのですか?」
 博物館の研究者に聞かれた私は、発見した場所と状況を説明しました。
 ——すごいですね! これはまだ誰も知らない、新種の虫です!
 そんな言葉を期待していた私に返ってきたのは、まったく別の発言でした。
「これ、このまま飼って観察してごらん。そのうちに、よく網戸とかについている、臭いカメムシになるよ」
 その研究者は、カメムシは何度か脱皮をしながら大きくなるが、大きくなる過程では色や模様が成長の段階ごとに異なるということ、新種かどうかは、「どこに生息しているか」も重要であることを教えてくれました。結局、私が見つけたのはカメムシが脱皮をして大きくなる途中のもの——つまりは、どこにでもいるカメムシだったのです。
 その後も新種の虫を探してはみましたが、とうとう見つけることはできませんでした。これが私の、最初の挫折です。

虫がダメなら遺伝子だ!

 ひとつ目の夢に挫折した私は、ひとまず虫のことだけを考えていられるような研究者になりたいと考え、大学で生物学を専攻しました。
 私が大学生活を過ごしている間に、生物学の世界には大きな転換期が訪れます。
 その頃の生物学の研究では、生命というのは精密機械のようなもので、「生命とは何か?」という謎を解くためには、生命が何からできているのか、生命という機械の〝パーツ〟をすべて明らかにしなければいけないと考えられていました。しかし、生命のパーツは無限にあります。すべてを調べて明らかにするなんてことは、とうてい無理.これが当時の常識でした。
 ところが、どうやら体のすべての細胞に存在しているDNAというものに、生命の設計図が書かれているとわかってきました。約 30億の文字からなるその設計図を解読すれば、私たちを含む生命の体や細胞をつくっているミクロなパーツ——遺伝子がいくつあって、どんな種類があるのか、すべて明らかにできるかもしれない。遺伝子が明らかになれば、それを組み立ててできている生命の謎はきっと解けるはずだ。そんな考えが主流になり始めていたのです。
 私は心が躍るようでした。新種の虫を見つけられなかった代わりに、新しい遺伝子を見つけよう——大学卒業後も研究を続けて、私は新しい遺伝子をいくつか見つけることができました。世界中の生物学者が取り組んだ結果、2003年にはヒトを構成する遺伝子は、ほぼすべて発見されました。絶対に無理だといわれていた難題がクリアされたのです。
 ようやく見つけた「生命」をつくるパーツのすべて。約2万2000個の遺伝子が一覧になり、できあがった遺伝子の図鑑……。しかし、完成して初めてわかったのは、生命を構成するパーツのことがすべてわかっても、「生命とは何か?」の答えはまったくわからないということでした
 遺伝子そのものは試験管の中で再現することができるのに、その遺伝子をいくら混ぜても生命は誕生しない——じゃあ、結局生命って何なのだろう?
 私は、何だか映画のエンドロールを眺めているような気分になりました。映画をつくり上げたスタッフ、キャストの名前が順々に並び、流れていく。主役のAさん、脇役のBさん、音声のCさん、監督のDさん……。この映画に関わるすべての人の名前はわかる。でも、エンドロールだけを見ていても、肝心の映画の中身はまったくわからない……。
 これが私の2度目の挫折です。遺伝子のことがわかっても、「生命とは何か?」の答えはわかりませんでした。
 そこで私は、まったく別の角度から「生命とは何か?」を考えてみることにしました。
 映画のエンドロールで名前の一覧を見るだけでは、映画のストーリーはわかりまリーがおのずとわかるはず……。

 つまり、パーツを調べるのではなく、「流れる時間の中でパーツ同士がどのように関わり合い生命が成り立っているのか?」という視点で生命を眺めてみることにしたのです

<続く>

『生命を究める』では、福岡伸一先生の他に、篠田謙一先生(自然人類学)、柴田正良先生(現代哲学)が登場します。ぜひそれぞれ異なる「問い」から生命を究める三者三様の物語をお楽しみください。

※この作品は、note内での閲覧に限り認められています。その他の方法で作品の全部または一部を利用することは、著作権法で特別に認められている場合を除き、すべて禁止されています。

イラスト:はしゃ
©Recruit 2021

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