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老舗商店街のテーラー・水野琢朗さんの「!!!」——口だけのサポーターより、カッコいいプレイヤーでいたい

現代はキャリアの築き方も、多種多様です。起業や副業、パラキャリといった言葉が世間を賑わすようにもなりました。しかし、実際に「自分らしいキャリア」を築いていくには、一体どうやって最初の一歩を踏み出せばいいのか…、なかなか難しいことにも思えます。働く場所も、働き方も、働く意味も、人それぞれに異なる時代。今までのキャリア観にとらわれず、自分という軸で自らのキャリアを歩む人は、なぜ、その道を選ぶことができたのでしょうか。

岐阜市でオーダースーツ店を営む男性がいます。大手企業を退職後、26歳でテーラーに転身。岐阜市で130年以上の歴史を持つ、岐阜柳ヶ瀬商店街の一角に店を構えました。その後、高齢化が進む商店街を盛り上げたいと、動き始めます。その働きかけは自治体、地元の金融機関や商工会議所、メディアも巻き込み、今では32歳にして商店街の顔として活躍中です。
商店街の“いち店主”の立場から、岐阜の地方創生に貢献する——。その独自のキャリアはどのようにして築かれたのか。SATSUKI TAILORの水野琢朗さんに話を聞きました。

(株)サツキライフクリエイション 代表取締役 水野琢朗さん
大手教育事業会社を退職後、2015年に岐阜県岐阜市の岐阜柳ヶ瀬商店街にオーダースーツ店「サツキテーラー」を開業。現在は店舗経営に加え、思い入れのある洋服をミニチュアサイズにリメイクする、EC事業も行う。柳ヶ瀬商店街全体の理事、青年部長、一丁目商店街の理事長を務める。

地方の商店街を救うのは、ゆるキャラより商店主

——まずは水野さんが、今どのようなお仕事をされているのか、教えてください。

水野:岐阜県岐阜市にある柳ヶ瀬商店街で、オーダースーツ店を経営しています。岐阜市内および近郊からのお客さまが9割の、地域密着店です。自分の体にぴったり合うスーツを身につけたい地元の経営者や、こだわりのデザインで作りたい若年層……。既製スーツが手頃な価格で手に入るにもかかわらず、スーツをわざわざオーダーメイドでつくりたいという人は増えています。採寸、生地選びから私が一緒に行い、その人だけの一着を仕立てます。
同時に、私が力を入れて取り組んでいるのが、300もの店舗が名を連ねる柳ヶ瀬商店街の活性化です。商店街では理事を務めるほか、2020年4月には、若手不足で解散した青年部を20年ぶりに復活させ、青年部長に就任しました。

——オーダースーツ店を始めたのはいつですか?

水野:2015年です。新卒で入社した会社を退職し、26歳で開業しました。前職は教育系の大手企業での営業職でしたから、畑違いの業界・職種への挑戦でした。

——その若さで、老舗商店街に自分の店を構えるのは珍しいですよね? しかも異業種からの転身とは……。もともと商店街との繋がりがあったのでしょうか?

水野:いえ、まったくなかったんです。岐阜県出身ではあるのですが、私の地元は多治見市で、柳ヶ瀬とは車で1時間ほどの距離があります。柳ヶ瀬商店街とはもともと縁もゆかりもありませんでした。

——商店街の活性化にも関わっているということですが、具体的にはどういう取り組みをされているのでしょうか。

水野:もともと柳ヶ瀬商店街は、全国トップクラスの規模を誇るアーケード街でした。全盛期には、今の倍近くの店舗があり、有名歌手が柳ケ瀬の曲を出すくらい有名な、活気のある商店街だったと聞いています。しかし、平成に入った頃から、郊外型のショッピングモールが次々とやってきた。若い人の地方離れも進んだことで、どんどん厳しい状況に陥りました。

当然、なんとか人を呼ぼうというのが、大きな課題になります。最近では、独自のイベントや、ゆるキャラなど、人集めに成功して話題になる事例も多いのですが、私が疑問に思うのは、イベントやゆるキャラだけで、本当に商店街は活性化するのか、ということ。イベントで人が集まったからといって、お店に人が入るわけではないんです。
結局、商店街の活性化にいちばん必要なのは、集客力のある店舗が複数ある——これに尽きると私は思っています。お客さんを呼ぶ力をもった店があれば、イベントをしなくても、日常的にお客さんはくるのですから。
だから、まずは私のオーダースーツ店が、その「集客力のある店舗」の一つになりたい。そして、力のある若い事業家に「柳ヶ瀬商店街で店をやりたい」と思ってもらえる環境をつくりたい。この二つが、私が今取り組んでいることです。

「なぜ、わざわざこんな古い商店街に?」と言われて火がついた

——もともと大企業で営業職をされていた水野さんが、なぜわざわざ縁もゆかりもない商店街で、そんな取り組みをするようになったのでしょうか。

水野:当初は、商店街に興味があったわけではありませんでした。前職をやめたのも、岐阜に戻ったのも、もともとは家業を継ぐことを想定していたからです。しかし、私が家業を継ぐ必要がなくなり、「ならば、まったく知らない場所で、自分が本当にやりたいことを始めよう」と考えを変えました。

——それが柳ヶ瀬商店街で、オーダースーツ店を開くことだったのですね。

水野:はい。もともと自分が小柄なわりに、元体育会系でガタイがいいので、体に合うスーツがないことが悩みだったんです。自分自身がオーダースーツのよさを知っていたので、店をやるのにもいいのではと思いました。

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水野:実は、商店主になるという選択をした背景には、岐阜に戻ってから私の中に生まれた違和感がありました。
それは、地方でプレイヤーになるという人が少ないことです。地方を活性化したい、と都会から戻ってくる若者はそれなりにいるのですが、優秀な人ほど「地方の起業家を応援したい」「地方が盛り上がる仕組みをつくりたい」と支援者側に回りたがるのです。でも、今、切実に不足しているのは、地方で実際に事業を行うプレイヤーです。
なぜ、若者は支援者になりたがるのか? 支える側のほうが都会っぽい働き方で、カッコよく見えるのだろうか?
「他にやる人がいないなら、俺がカッコいい地方のプレイヤーになろう!」、そう思って商店主になる道を選んだのです。

——周囲からは反対されませんでしたか?

水野:猛反対されました(笑)。「今どき商店街に店舗を持ってもお客さんはこない」とか、「オーダースーツなんてつくる人はいない」とか。でも、優秀なプレイヤーがひしめき、競争している都会よりも、地方のほうが手付かずの機会が多く、ずば抜けておもしろい取り組みができるはずだと信じていたんです。だから「今に見てろよ!」って(笑)。
開業後一年目は苦戦しましたが、商店街の外からお客さんを呼び込もうと、地道な営業を続け、二年目からは軌道に乗せることができました。

28歳のときには、柳ヶ瀬商店街の中古ビル一棟の購入を検討していました。周囲に相談すると「柳ヶ瀬なんてやめておけ」「そんなに若いのに、古い商店街のビルなんか買って本当に大丈夫か?」「借り手が見つからないのでは?」と、これまた猛反対を受けました。しかし、これらの言葉が、逆に私の心に火をつけ、中古ビルの購入に至ったのです。

このときを境に、私の目は、自分の店だけではなく商店街全体へと向き始めます。古い商店街だからうまくいかない、なんてはずがない。この柳ケ瀬という地にはまだまだ力があるのに、みんなそれに気づいていないだけだ。それでは、借り手がいないどころか、ビルの価値がどんどん高まるくらい、この商店街を盛り上げるにはどうしたらいいのだろう? そこから、商店街に対して積極的に関わるようになっていきました。

切れた電球の交換から、岐阜市の補助金制度を変えるまで

——商店街に関わるといっても、水野さんは創業して数年の、20代の若者だったのですよね。老舗の商店街となると、何代にもわたって経営しているお店や、ベテランの商店主もいるはずです。すぐに話を聞き入れてもらえたのですか?

水野:もちろん、伝統のある商店街が変わることに難色を示す人もいました。そこで「今すぐ自分にできることで、誰もやらなそうな、商店街のためになること」から始めました。
たとえば町内の回覧板を作ったり、率先して重い荷物を運んだり。時には、おひとりで暮らしている方の話し相手になることも。といっても、お菓子を食べながら話を聞くだけなんですけど(笑)。「電球が切れたんだけど、手が届かなくて交換できない」といった困りごとがあれば、手伝いに行きました。

そのうちに、商店街の課題も少しずつ見えてきました。たとえば、住民同士で互いに面倒を見合うような慣習がどんどん減っていることです。高齢化が進み、老老介護をしている家庭もあるのに、そういった周囲の手助けを必要としている人たちが、孤立しかねないような状態だったんです。ある日、知り合いのおじいちゃんの話を聞いていて、「もし今、このおじいちゃんに万が一のことがあったら、誰も気づかず、そのまま放っておくしかないのでは?」と心配になりました。そこで、商店街の緊急連絡先一覧をつくり、数日間連絡がとれないときに連絡する先をわかるようにしました。
どれも地味なことばかりですよね。でも、その地味なことを積み重ねるうちに、少しずつベテラン商店主の方達からも「水野くんが言うなら、協力するよ」と言ってもらえるようになっていきました。

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——地道に信頼関係を築いていったのですね。

水野:はい。そのうちに柳ヶ瀬商店街にも、若手の商店主が少しずつ増えてきていました。そこで、若手の商店主に呼びかけて、2019年に「柳ヶ瀬若手大会議」を開催しました。この会議には、岐阜市市役所や市長、商工会議所、金融機関、新聞社なども加わってくださり、若手視点で、商店街を盛り上げていくにはどうしたらいいかと議論しました。そして、この会議で出たアイデアを受けて、行政が制度を見直してくれました。若手創業者が出店しやすいよう、岐阜市の補助金制度の対象が変わったのです。
商店街の中から商店街を変え、盛り上げていくことはできる。この取り組みがきっかけで、約20年ぶりに、商店街に青年部が復活しました。

都会で埋もれるより、地方で「誰もやる人がいないゲーム」をクリアしたい

——水野さんはこれまで地道な活動を繰り返し、商店街の「中の人」として、商店街の活性化に取り組んでこられたのですね。何がそこまで水野さんを突き動かす動機になったのでしょうか。

水野:今すぐ自分にできることで、誰もやらなそうなことをやりたい、ということでしょうか。誰もやらなそうなことに挑戦すると、目の前に困っている人や、具体的で小さな問題が現れる。私はたぶん、そういう小さな問題を放っておけない性格なんだと思います。
都会で働いたほうが、仕事の規模も大きく、影響を与えられる人の数も多いでしょう。でも、今の私は、確実に顔の見える範囲の「この人」「この商店街」に対して、自分が役に立てているという実感を持っています。

おこがましい言い方ですが……、私は「自分にはすでに価値があるのだから、自分の価値を発揮できる場所で活躍すればいい」と思うんです。成長しなきゃ、もっと大きな仕事をしなきゃ、と焦らなくても、自分が活躍する場所で生きていれば、自ずと成長するのではないでしょうか。今、私は商店街から岐阜へと範囲を広げ、商店主の立場から、若手の創業支援や地方の活性化ができないかと取り組んでいます。それも「大きなことに挑戦したい」というよりは、自然のなりゆきで、取り組む問題が移り変わっていったんです。

地方のために何かできることをしたい、と思っている若者は多いと思います。もちろん公務員や、金融機関の職員になるというのは、ひとつの選択肢です。でも、それはちょっと違うかもと思っている人も多いと感じます。そういう人たちにこそ、「商店街の商店主というカッコいい生き方があるよ」と伝えたいですね。

■あなただけの「!」を見つけるために
商店街の中から、商店街、
そして岐阜を盛り上げようとしている、水野さん。
その道のりは「商店街のために何かしたい」という気持ちではなく、
今すぐできるのに誰もやらなそうな仕事に挑戦したことから、始まりました。
キャリアを築くというと、つい、自分を成長させることや、最終的な目的地から考えてしまいがちです。でも、あなたらしいキャリアの入り口は「今のあなた」でできることの中に、あるのかもしれません。
  
! あなたが「今の自分のままで」活躍できる場所はどこか?

取材・文・構成:塚田智恵美



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