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「夢幻回航」4回 酎ハイ呑兵衛

世機と沙都子は小林陽太郎さんの家の前にいた。
家にはその家特有の精気のようなものがある。
住んでいる人や動物、草木などが発する気が溜まり、そのような雰囲気を作り出すのだ。
前に世機と沙都子が来たときよりも精気が無いように感じられた。
もっとあたたかい雰囲気に包まれた家だったはずだ。
嫌な予感が当たったかなと世機は直感した。
沙都子も顔を曇らせて、眉間に眉を寄せる。

世機は玄関の前に行くと、ドアを確認してから呼び出しベルを押した。
ドアの鍵は掛かっていなかった。
合間をおいて何回かベルを押したが、中から声がしたり、人が出てくる気配すらなかった。
ドアを開けて中へ踏み込んだ。

玄関は物も少なく、綺麗に整理されていた。
靴などは置いてなかったから、仕舞ってあるのだろう。
普通の日本家屋だ。
玄関の先は廊下になっていて、正面に障子張りの引戸があった。
廊下も綺麗に整理されていたから、これだけでも小林氏の几帳面さが伺えた。
それにしても何かあったのならばもう少し荒らされていても良いのではないだろうか。
だが、呪術による呪殺ならば、周りに影響を与えずに綺麗なままで殺せる。

今度は沙都子が声を掛けてみた。
だがやはり反応はなかった。
靴を脱いで中へ上がり込む。
まずは世機が廊下へと上がる。
すぐに障子戸を開けてみた。
テーブルに焼酎の瓶が出ていた。
中身はまだ半分ほどあって、蓋が閉まっていた。
その脇にグラスがあって、その中身は殻だったが、使われた後がある。
小林氏はここで酒でも飲んでいたのだろう。

沙都子が台所へと向かった。
ここも綺麗に整理されていた。
とても男の一人暮らしとは思えなかった。
シンクに壊れたタブレットが投げ込まれていた。
焦げて外装が溶けているように見える。
沙都子でなくても不審に思うだろう。
これが媒介になって呪いが発動したのか。
だが、怪しいと思っても呪術の痕跡は感じることが出来なかった。
最近はこの手のアイテムにハッキングを掛けて、催眠暗示やそういった仕掛けを使った、呪術とはまた違った手段を使う殺し屋のような術者も増えていると聞く。
沙都子はタブレットの残骸をつまみ上げてよく調べてみる。

世機はと言うと、ほかの部屋を捜索しようとしていた。
先ずは居間の隣りで台所とは違う方向の引き戸を開け放った。
やはりきちんと整理された部屋であった。
世機の開けた引き戸は、寝室の入り口だった。
部屋の角にパソコンデスクとベッドが置かれているが、8畳間には少々邪魔な気がする。
ベッドの上には毛布があり、人が寝ているように形が浮かんでいた。
世機は毛布を捲って中を確認した。

世機が毛布をめくると、凄まじい腐乱臭が部屋中に立ち込めた。
「なにコレ」
沙都子がいつの間にか世機の近くへ来ていて、悪臭に苦情を言う。
「たぶん小林さん」
世機もさすがに顔をしかめる。
死体を見ると、肉は溶け腐り、骨が見えていた。

連絡が取れなくなったのは昨日だ。
小林さんから電話が来たのが昨日。
小林さんは昨日の電話をかけてきてから今現在までの時間のあいだに殺された事になる。
それにしてもこの腐乱状態になるには、真夏でも1週間は掛かるのではないだろうか。
身体を腐らせながら死に至らしめる呪術か。
だが、死体を腐らせる事に意味があるのだろうか。
世機も沙都子もこのよく掴めない状況を理解するために頭をフル回転させながら、何か呪術的な痕跡でも残っていないかと、辺りを探し回った。
手掛かりと言えそうなものは壊れたタブレット端末だけのようだった。
だが、沙都子も世機も諦めきれずに2階の部屋までくまなく捜索した。
しかし、なにも見つからなかった。

沙都子は台所へ戻ると、壊れたタブレット端末を手持ちの透明な袋に入れて持ち帰ることにした。
そして警察へと連絡を入れた。
沙都子達の所属する全日本呪術師連盟は警察組織とのつながりはないが、仕事の度に死体が出てしまうこともあるので、顔見知りの警官くらいはいる。
沙都子や世機にもそう言った間柄の警官は居た。
だが、事件現場で声をかけられる事はあっても、それ以上の仲にはならなかった。
よく会うねと疑わしい目で見られるのが関の山である。

しかし事件を知らせないわけにも行かないので、電話をした。
この場からそっと逃げ出すという選択肢はなかった。
後から死体が見つかって、二人のことを目撃した者でも現れれば、妙な嫌疑を掛けられかねないのだ。
したがって、死体をそのままにして逃げ出すわけにも行かないのだ。
沙都子は警察が来る前に壊れたタブレット端末を入れた袋を、タクシーの中へ置いてきた。

暫くすると、パトカーが2台と黒塗りの、おそらく覆面パトカーが1台サイレンも鳴らすことなくやってきた。
それと警察の紋章入りのシルバーグレイのバンが1台。
パトカーからは制服の警官が2人ずつドアを開けて出てきた。
黒塗りの覆面パトカーからは背広姿の男が3人と、シルバーグレイのバンからは別の制服というか作業服姿の男女が6人降りた。

背広姿のうち、背の高い方が神憑たちに近付いてきた。
私服警官はあまり目立たないシックな色の服を好む。
この男も、そしてもう1人もそういった色合いの服を羽織っていた。
「またあんたか?」
背の高い方の男は、世機を見ると言った。
「お久しぶりですね、高田さん」
世機は高田を見据えて言う。
高田と世機は同程度の身長で体格をしていた。
筋肉の着き方はどうか。
世機の方が少ししまって見える。
それに肩幅が広かったが、骨格が似ているのだろ、並んでみるとよくわかった。
世機は高田に死体発見の経緯を語った。
もちろん仕事のことはほんの少しぼかした状態で伝えた。
自分たちが呪術師だなんて言ったら、それこそいろいろ突っ込まれて面倒なことになる。

事情聴取には40分ほどかかった。
終わったら2人は開放された。
連絡先は聞かれなかった。
なぜならば、すでに高田たちが連絡先を知っていたからだ。
この高田という警察官と、相棒の哀川という警察官とは仕事現場でよく顔を合わせた。
だがしかしそれだけだった。
あまり警察官とは深い関係にはならないというのが世機や沙都子の関わり方だった。

それでも世機と沙都子は捜査状況が気になったので、しばらく居てみることにした。
警察が自分たちの見落とした何かを発見するのではないかと思ったからだ。
だが警察が何かを発見しても、自分たちに教えてくれるとは限らないわけだが、それでもなにかわかるかもしれないという淡い期待を込めて、しばらく成り行きを見守っていた。

「なんにもないみたい」
沙都子が呟いたのは、捜査もあらかた終わり、捜査員が引き上げ始めた時だった。
世機は期待が外れたのに、気分が落ち込むことはなかった。
むしろかえってやる気が出てきた。
証拠と言えるものは沙都子が隠してしまったタブレットだけか。
死体の状態をスマホに撮影しておかなかったのは世機の手落ちだったが、死体の状態を見ただけで呪殺だというのはわかる。
亡くなってから1日足らずであれだけの腐乱状態になっているのだ。
真夏の暑いに日だってこうはならない。
問題はどんな術を使ったのか。
世機は肩を回したり軽くストレッチをしながら、今まで待っていてくれたタクシーに乗った。

珍しくタクシーの運転手が世機と沙都子に話しかけてきた。
ボックスから取り出した缶コーヒーを、2人に1本ずつ渡してから話し始めた。
「お疲れ様です」
運転手の声を聞いた時に、男だとばかり思っていた観察眼のなさを、世機と沙都子は思い知った。
「ああ、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
2人は缶コーヒーを受け取りながらお礼を言った。
コーヒーの銘柄は、2人のお気に入りのメーカーのものだった。
狙って?
まさかな、と、2人は思った。
そんなに気を使う間柄でもない。
だがこの運転手はそう思っていなかったようだ。
2人の好みを把握して、缶コーヒーを用意していたのだ。
「今日はお二人の仕事だというので、無理に組み入れてもらったのです」
沙都子も世機も、あらためてこの運転手が女性だということを認識した。

「どうして?」
沙都子が尋ねる。
「実はわたし、術師見習いなんです。このタクシー会社のバイトなら、術師の仕事を見ることが出来るかなって思ってやっていました。今日は偶然にお2人の仕事があるって知ってお願いしてお2人の運転手に立候補しました」
運転手の顔が少しだけ赤らんでいるのが分かった。
照れているんもだろう。
まだ二十五歳前後というところか。
おそらく30にはなっていまい。
その年にしてまだあどけなさの残るいい笑顔を向けてくる。
術師になろうというものは人生に挫折したり、かなりねじ曲がった性格のものが多い。
壮絶な生活を送ってきたものが多いのだ。
それなのに、かわいい笑顔だな、と、世機も沙都子も思った。

人生ねじ曲がりすぎて真っ直ぐになったか。
それとも上っ面だけのものなのか。
世機や沙都子には推し量れなかったが、彼女の笑顔には暗い部分を感じなかった。
強靭な、前向きな精神力の持ち主なのかもしれない。
「お名前はなんていうの」
沙都子は楽しそうに話しかける。
雰囲気が似ているような・・・
世機は2人を見て、緊張感が少し薄れていくのを感じた。
霊的な予感とでもいうか、この運転手とは長い付き合いになりそうだと、世機は直感した。

「吉住猶(よしずみ なお)って言います。よろしくお願いいたします」
吉住はこちらを振り返り、軽く頭を下げた。
「よろしくね」
沙都子も微笑みを返す。
「今日はどうでした」
遠慮気味に吉住猶が沙都子に聞く。
沙都子はどこまで話して良いものかと思ったが、少しだけならと思って話すことにした。
普段ならばごまかして、話をはぐらかすなどしてしまうところなのだが、この吉住猶という人物には変な魅力が有った。
ひょっとしたら沙都子は親心でも出して世話をしたくなったのかもしれない。
「呪殺の証拠らしいのはこの壊れた端末だけ」
吉住猶は沙都子が持ってきた時からその残骸を観察していた。
吉住にも呪殺の気配はわかるはずもなかったが、彼女は電子機器には多大な興味が有った。
「良ければわたしにその残骸を任せてもらえませんか、知り合いに修理屋がいるのですが、なにかわかるかも知れないです」
沙都子と世機は唐突な彼女の提案に少しだけ戸惑った。
彼女の事をどこまで信用したら良いのか判断できなかった。

世機が迷っていると、沙都子は彼女に対する考えを決めたらしい。
「貴方のことをすぐに信用できないの」
沙都子が言うと、吉住猶の表情は曇った。
「そんなに落ち込まないで」
そう言ってコーヒーを口にした。
吉住猶は下を向いて黙り込んだ。
「落ち込まないでって言ったよね?」
沙都子の言葉に吉住は顔を上げた。
沙都子はスマホを手に取ると、差し出す。
「連絡先の交換」
吉住は「え!」と言って驚き戸惑った。
沙都子は「さ、早く」と促した。
吉住もスマホを取り出して、相手のスマホに翳した。
画面を触ると、ピッと音がして、互いのプロフィールの交換が終わった。
「次の休みはいつなの?遊びに来ればいい」
沙都子の言葉に、吉住の表情が明るくなった。
「いいんですか?」
「いいけど、事務所にいないかも知れないから、電話してからにして」
沙都子の考えていることはよく理解できた。
世機はそう思った。
おそらくこの後輩を気に入って、指導でもしてやろうとかそういうことなのだろう。
「わかりました」
吉住猶は嬉しそうに返事をして、車をスタートさせた。

全日本呪術師連盟の事務所に着くまでの間に、吉住猶と夜羽沙都子はずっと話していた。
だが流石に沙都子は事件のことについてはあまり話さなかった。
当たり障りのないところを話したに過ぎない。
それでも猶はよく沙都子の言葉に耳を傾け、自分なりの意見を言ったりした。
いい弟子が出来たように見える。世機は2人を見ていてそう思った。
目的地に着いたので、車は止まった。
吉住猶は窓を開けて手を振る。
沙都子も軽く手を振ってやると、「じゃあ」と言って去って行った。

全日本呪術師連盟の事務所は14階建てのビルの最上階にあった。
沙都子は階段を使ってゆくと言って聞かなかったが、時間がないので世機は沙都子をエレベーターに押し込んだ。
そして最上階のボタンを押した。

最上階、フロアの全てが呪術師連盟のものだった。
事務的なことをやる区画と、呪術師の勉強のための資料室などがあった。
呪術師になるための認定試験もここで行われる。
呪術師になれる素養を持った人間はそう多くはない。
その中で呪術師になろうというものは更に少ない。
毎年試験は行われるが、受験者は3〜4人くらいが平均的な数だった。
沙都子と世機の時は特別に人数が多かったのだと、先生から聞いたことがある。
あのときは20人位居たな、と、世機は昔を思い出していた。
こんなことを思い出したのは、あの猶という呪術師見習いの影響だろうか。
沙都子と世機は全日本呪術師連盟と書かれたガラスの自動ドアの前に立っていた。

「なんかここに来るとさ」
沙都子が言った。なんだか顔つきが引きつったように見えるのは、機のせいばかりではないようだ。
「なんかここへ来ると、いつも怒られてばかりいる気がする」
沙都子の表情を見ていると、世機は吹き出してしまった。
「お前がいつもやんちゃをするからな」
「どういう意味」
沙都子は少々殺気を孕んだ目付きで世機を睨んだ。

ドアを入ったところの受付で挨拶すると、2人は勝手に奥へ入っていった。
担当の山田正広の居る場所はわかっている。
事務区画は一般の会社よりも更に整然としていた。
荒事になることの多い業界であるから、事務所も戦闘に巻き込まれる事もある。
だから、いつも戦いやすいように余計なものを整理しておくのだ。
仕事のやりやすさとか、資料を整理しておくとかそういった事務的なことではなく、戦闘のための備えである。
更に事務員も、実践要員ではない低クラスの術者たちである。
そこかしこに武器というか呪術のための得意の柄モノを隠し持っていた。
まるでヤクザの事務所、口の悪い沙都子などはそう言っていたが、武闘派集団であることは否めない。

何人居るのだろう。
正確な人数は確かめたことはないが、70人位は居そうだなと、世機は思っている。
だが、驚くべきことに、武闘派集団であるこの団体の事務系職員の半数が女性であるように見えた。
もちろん呪術者にも女性が多い。
これは女性の方が呪術師としての適性があることが多いからだが、どうして女性の方が適正がいいのかわからないのである。
陰陽の関係とかいろいろと言われているが、実のところよくわかっていないのだ。
世機や沙都子の先生のそのまた師匠も女であったらしい。
呪術に関しては世機よりも沙都子のほうが適性がある。
世機が戦闘力に特化した体術を織り交ぜた技を突き詰めてきたのも、偏に沙都子の才能に叶わないと思ったためでもあった。
世機はプライドのある戦士であるから、才能に直面したときに味わった挫折を忘れたわけではない。
世機は沙都子を超えるための訓練は怠らなかったし、これからもそうなのだろう。
だがそれと男女の関係は別なのかも知れない。
沙都子と世機は実に中の良いいいコンビである。
ここに来るとあまりいい思いはないな、世機は思う。
思いながらも山田正広のところへ向かった。

山田は椅子に腰掛けて、机の上に置かれた4個ある携帯電話のうちの一つを使って話をしていた。
年齢的には2人と同程度で、体格は柔道でもやっていそうな体つきである。
よれた背広によれたネクタイ、だがしかし不潔さやだらしなさを感じさせない不思議な男である。
山田がなんの話をしているのかはわからなかったが、いつもの調子で唾が飛ぶくらいの勢いで怒鳴っていた。
怒鳴っていたわけではなく、普通に話しているのだが、端から見ると怒鳴っているように見えるのである。
山田本人はそのように言っているが、世機や沙都子は怒鳴っているだろうって心の中でいつも思っているのだ。

山田は2人に気がついた。
「休憩室で待っていてくれ」
と言って、あっちへ行けと手を振って2人を追い払う。
休憩室と言っても、きちんとした部屋になっているわけではない。
フロアの角に自動販売機が2台あり、その脇に長いすが置かれていて、仕切りで区切られた一角が休憩室であった。

休憩所だろう?沙都子は思いながらも、自販機で世機の分の缶コヒーも一緒に購入した。
自販機は珍しくルーレット付きのものである。
2本めのコーヒーを購入したときに、音がして、ルーレットが当たった事を知らせてくる。
「ラッキー」
沙都子は喜びながらも、余計な1本をどこに仕舞っておこうかと考えているときに山田がやってきた。
山田は「ありがとう」と言って、沙都子の手からおまけの1本を取り上げた。
「やまだ〜」
沙都子は言ったが、おまけの缶コーヒーが惜しかったわけではない。
スキンシップとでもいうか、山田の性格的なところもある。
この男は誰とでも仲良くなれるタイプの、交渉役としてはうってつけの人材。
沙都子や世機との仲も良好で、なんでも話せる間柄、良きチームといったところか。

「山田さん、小林さんが殺された」
世機が言った。
そういえば電話連絡は入れていなかったな。猶との話に夢中で、すっかり忘れていた。
怒鳴られるかとも思ったが、山田は「そうか」と言っただけだった。
先程の経緯を、世機の方から山田に報告した。

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