三条京阪

貧乏学生。

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三ヶ根グリーンホテル

 三河湾を見下ろす山の頂きに、三ヶ根グリーンホテルという宿があった。正式名称はグリーンホテル三ヶ根というのだが、私の家ではどういうわけか、三ヶ根グリーンホテルという呼び名が定着していて、かくいう私も後者の方が、どこかしっくりと来る感がある。  1973年開業のこの古いホテルは、名前にこそカタカナを冠しているものの、部屋の大半は畳敷きであり、夕飯は部屋食――それも太った仲居のおばさんが必ず付きっきりで給仕をしてくれた。だから中身は旅館である。ただ三河湾を見下ろす、お豆腐をいび

    • 祭のお神楽

       南座の三月は花形歌舞伎である。今年は二部制で、壱太郎が成駒家型、右近が音羽屋型の勘平を見せる。いずれも良い勘平で、五段目、六段目のあとに付く「忠臣いろは絵姿」も美しい。立ち回りはつまらないが、舞踊の楽しさは格別である。芸者や茶屋娘が、由良助や力弥を見立てて踊る。前半の芝居が重苦しいだけに、いっそう心の底から、楽しい心地で手を叩きたくなる。  私は四日目の舞台を通しで観た。昼夜ともに三階席である。  昼の部のブザーが鳴ったころ、ひとりのお婆さんが「よいしょ、よいしょ」とい

      • ひとりの夜あげます

         京都の十条を少し南へ過ぎた辺りに、一軒の喫茶店があって、そこは夜中の三時まで、客のいる晩には、朝の六時くらいまで店を開けていた。夜通しやっているからといって、スナックを兼ねているわけでも、酒を出すわけでもない。ただ不眠症のマスターが、眠れるまでの暇つぶしみたいに店を開けている。コーヒーは確か、一杯四百円だった。  そのマスターというのが、嘘つきなのである。黙っていれば品のいい爺さんなのだが、五稜郭のお堀にはサケが泳いでいる、などは序の口で、若いころは寿司屋の職人だった、船

        • ピンヒールの高坏

           京都駅の近く、私の大学の真南に、DX東寺というストリップの小屋がある。前々からそういうもののあることは知っていたけれど、どこか近寄りがたい雰囲気があって、長らく行きそびれていた。そうこうしているうちにコロナが流行って、暇を持て余した私たちは、数人でそこを訪れた。確か学生は五千円で、歌舞伎の三階よりも高かった。  中は古い映画館のような作りで、狭いロビーを抜けると、場内は一面の鏡張りである。薄暗闇の中に、派手なライトが鍵穴型のステージを照らしている。そしてそれを囲むように席

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        • 大学院生日常
          4本

        記事

          新成人のためのバー入門

          新成人です。バーに通ってみたいのですが、怖くて敷居が高いです。はじめてバーに行くにあたって、気をつけるマナーやこうした方がいいということはありますか?あれば教えてください。  つい先日、質問箱にこういう質問を貰ったので、ポチポチ答えていこうと思う。  ひと口にバーといっても色々の種類がありますが、ここでアドバイスすべきは、オーセンティックバーでの振舞い方だと思います。オーセンティックバーというのは薄暗いバーカウンターの向こうに洋酒の瓶が何本も並んでいて、その前ではおひょい

          新成人のためのバー入門

          ごきげんよろしゅうまたどうぞ

           去年の暮れ、ある人に誘われてぼたん鍋を食べに出かけた。そこは私の母の勤め先で、私も幼い頃はよくここへ来た遊んでいただけれど、もう何年も遠ざかっていたから、店のありとあらゆる場所がやけに懐かしく思えて、一々立ち止まっては、よく叱られた板場だとか、綺麗に磨かれた古い鏡だとかを眺めていた。  いちばんの広間に一同が揃って挨拶も終わると、こんばんわといって着物のお姉さんたちが入ってくる。どれも知った顔ばかりだけれど、なかにひとり、若いお姉さんがある。誰だろうと眺めていたら、向こう

          ごきげんよろしゅうまたどうぞ

          カーネーションの花

           あれは五つか六つのときだった。  そのころ私はおもちゃのラジコンヘリにお熱であった。クリスマスに貰ったのがきっかけで、それ以来新しいものが出るたびに、祖父母や両親にねだっては、その小さなおもちゃで遊んでいた。その時分はその手のおもちゃの出始めで、どれもプラスチックや発泡スチロール作りの粗末なものであったけれど、材質やディティールといった言葉は、幼い私には何ら関係がなかった。  そんなある日、私は近所のホームセンターで、ひとつのラジコンヘリを見つけた。なんでもジャイロとい

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          パフェとちびっ子

              目の前でパフェを頬張るこの子は、まだ五歳で、世の中のことを何も知らない。  失恋も、挫折も、酒の味も彼は知らない。ただぼんやりとした視界で、広い世間を雄大に眺めては、あれはなあに、それはどうしてと大人を困らせてばかりいる。 〇  去年から、親戚の子どもを預かるようになった。預かるといっても、ひと月にいっぺん、その子を連れてどこかへ行くだけである。  私には兄弟がないから、年の離れたちびっ子と、いったいどう接すればいいのかよく分からない。だからいまもこうやって、

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          靴の脱ぎ履き

           日本人が靴を脱がなくなったのは、いつ頃のことだろう。もちろん多くの人が、いまも家では素足であるけど、家以外の場所で靴をぬぐことは殆どない。せいぜい、お城やお寺の見物の際に、少し脱ぐくらいのものである。  昔はデパートも土足では上がれなかった。大正三年(1914年)、東京日本橋に三越本店がオープンする。ルネサンス様式の外装と、アールデコ調の内装を施した豪華な建物で「建築史上に残る傑作」と称された新館であったが、その三越でさえも、当たり前のように靴を脱いで中へ入った。当時はど

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          塩辛の味

           塩辛を美味いと思うようになった。小さいころは、それを食べる父を見て「なんちゅうこっちゃいな」と思っていたのに、不思議なものである。  どうせならとスルメイカを捌いてお手製の塩辛を作ってみるのだが難しい。塩の加減なのか、ワタの塩梅なのか、中々満足のそれができない。  考えてみると、塩辛などというものは実に珍妙なものである。三角のイカをひらいて真四角にし、さらにそれを切り取って、もといた場所よりも濃い塩に漬ける。ワタも同様である。ただでさえ不気味だというに、塩を振って寝かし

          塩辛の味

          敦盛の最期

           後期の履修を組んでいると、講読の教授が以前と変わっている。少し考えて、そうか、先生は亡くなったんだ、と思い出した。先生が亡くなってもう一年になる。  先生は、大きな寺の隅にある古いキャンパスがよくお似合いになる方であった。ダブルの背広をお召しになり、大きな分厚いメガネをかけて、いつも髪をきれいな七三に分けていらした。我々学生相手にも、常に「君と僕」である。さすが日本語学の研究者だと、学生はよく陰口をたたいていた。  しかし、実はよく笑う冗談のお好きな方だったこと。毎年の

          敦盛の最期

          「滑り止めの大学に通うことになった」と送って下すった匿名の方へ。

          三条さんこんにちは。春から大学一年生です。友達は旧帝や早慶に受かったのに自分だけ滑り止めの大学に通うことになりました。つらいです。アドバイスをお願いします。  実は質問箱にこういう質問をいただいて、普段はいい加減に答えているのだけれど、それでは余りに失礼ですから、少し字数を取って答えようと思う。送って下すったご当人は、こんな所へ晒されてさぞ不愉快と思いますが、質問箱の性質上、送り主のみに返答する事は不可能ですし、あなたも匿名でいらっしゃるから、どうか目くじらを立てず、ご覧に

          「滑り止めの大学に通うことになった」と送って下すった匿名の方へ。

          化粧について

           私はお化粧が好きです。せっかくお化粧に性別の要らなくなった世の中に生まれながら、あいにくの野暮天で、自分でお化粧をする事はありませんけれど、恋人が口紅を直している姿などは、見とれるように眺めています。  今ではデパートのお化粧売り場も、とうに女性の城ではなくなって、男の私も随分とうろうろし易くなりました。ときたま冷やかしていると、タッチアップを受けている男性もちらほらと居て、私なども声をかけられる事がある。  未だに、男に化粧は要らない、という硬派な方もおられます。しか

          化粧について

          父の小遣い

           小さい頃、母に叱られたことがある。 「お母さんはお小遣いをくれるけど、お父さんはくれない」  私が夕食の席でこう言うと、母は諌める様に、 「けど、そのお金を稼いどるのはお父さんで」  と私を叱った。そのとき父は何も言わなかった。  この夏、お盆に実家へ帰省した。久しぶりの自分の部屋は、私が四月に出ていった時のままであった。興味のある本はすべて京都へ運んだから、残っているのはもう読まないと踏んだものばかりである。世界の大思想や、文学全集が山と積まれた私の部屋は、ホコリ臭く、

          父の小遣い