見出し画像

ピンヒールの高坏

 京都駅の近く、私の大学の真南に、DX東寺というストリップの小屋がある。前々からそういうもののあることは知っていたけれど、どこか近寄りがたい雰囲気があって、長らく行きそびれていた。そうこうしているうちにコロナが流行って、暇を持て余した私たちは、数人でそこを訪れた。確か学生は五千円で、歌舞伎の三階よりも高かった。

 中は古い映画館のような作りで、狭いロビーを抜けると、場内は一面の鏡張りである。薄暗闇の中に、派手なライトが鍵穴型のステージを照らしている。そしてそれを囲むように席がある。私たちは気恥ずかしさのために、かぶりつきには座られず、隅の目立たぬ一角に、小さく固まっていた。それにしてもやけに寒い。入口横の暖房には、大きな字で「故障中」と貼ってある。コートを着てさえ寒いのに、裸で踊るおねえさんは、さぞ苦労の事と思った。

 そんな寒い小屋の中で、ある踊り子がヒールを履いてタップを踏んだ。美しかった。私は「高坏だ」と思った。

 歌舞伎の演目に「高坏」がある。六世菊五郎の作で、高下駄を履いた太郎冠者がタップを踊る。酒に酔い、ときにおどけながら、フレッド・アステアのように踊るのである。

 盆と呼ばれるステージの上で、人をも殺せる高いヒールを履き、真っ赤なライトを背に浴びて、そのひとは服を脱ぎ捨て踊った。むろん、衣装も、流れる音楽も、到底歌舞伎のそれではない。むしろ歌舞伎とは、最も離れている。しかし彼女の踊ったそれは、紛うことなき高坏であった。同時代の、どの役者よりも素晴らしく、歌舞伎らしい高坏であった。

 興味本位で出かけた四人は、いつしか四匹の鰯になって、咽喉を牡蠣殻に鳴らしながら、そのタップに観入っていた。哀しさや気後れは微塵もなく、堂々として、愛嬌があり、綺麗な踊りだった。

 私はそれまで、ストリップというものは、女の裸を観に行くものだと思っていた。裸やおそそが貴重だった時代に、それらを目当てに成立した商売だと思っていた。しかし、そのときはじめて、芸を観に行くものだと分かった。もちろん、昔は口に出すのもはばかられるような、どぎついショーをしていたことも知っている。それでも、主たる目的は芸であって、裸は二の次とはっきりいえる。第一、男でもそこそこの年齢なら、女の人の裸なんて、見飽きているはずだもの。

 そうはいっても、である。

「学生さん? 楽しんでね!」

 そういって、手を振りながらポーズをとられたとき、どこを見ればいいのか分からなくて、私は真っ赤になって照れてしまった。

 


サムネイル : 永井 本(@nagai_hon

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?