カーネーションの花

 あれは五つか六つのときだった。

 そのころ私はおもちゃのラジコンヘリにお熱であった。クリスマスに貰ったのがきっかけで、それ以来新しいものが出るたびに、祖父母や両親にねだっては、その小さなおもちゃで遊んでいた。その時分はその手のおもちゃの出始めで、どれもプラスチックや発泡スチロール作りの粗末なものであったけれど、材質やディティールといった言葉は、幼い私には何ら関係がなかった。

 そんなある日、私は近所のホームセンターで、ひとつのラジコンヘリを見つけた。なんでもジャイロというものがついていて、安定して飛ぶという。アルミニウム製の、がっちりとした作りで、なにより様子がいい。確か五六千円もする、子どもにとっては高価なおもちゃだった。

 それからというもの、私はそのヘリコプターのことばかり考えて過ごした。両親に買ってくれろと伝えても、似たようなものをもう持っているでしょうといわれるのは目に見えている。ならば自分のお小遣いで、それも相談なく買ってしまえば、きっと承知してもらえるに違いない。そう踏んだ私は、仲のいい友達をひとり誘って、おもちゃを買いに行くことにした。貯金箱の中身のありたけを、愛地球博で買ってもらった二つ折りの、バリバリと音の鳴る財布に詰め込み、私はホームセンターへ向かった。

 私がレジで支払いをしていると、一緒にいた友人が、ふいに「おれカーネーション買うわ」という。行きにはおもちゃに夢中で気づかなかったが、レジの傍には母の日の特設のコーナーがあって、八百円ほどでその花を売っている。ああ、今日は母の日なのかと思った。花を贈ることは知っていても、贈ったことは一度もなかった。

 お前は買わんのといわれたとき、私は困った。おもちゃを買って、一文無しだったのだ。彼は、買うてあげんちゃいや、母ちゃんらあも喜ぶで、なけりゃあ貸すけんといってくれたが、私は金を借りる気にだけはならなかった。ただ―――財布の中にはサラピンの二千円札が一枚あった。しかしこれは私の宝物であった。悩んだ末に、私は封印切の忠兵衛のような気持ちでカーネーションを一輪買った。そう立派ではないけれど、母の日らしい包みがしてあった。

 友人と別れ、ひとりになった私は、家の仏間で買ってきたばかりのヘリコプターを飛ばしながら、母の帰りを待っていた。そのうち、段々と照れくさくなって、母へ渡すのは止そうかと考え始めた。こんなものを貰っても、母さんは喜ばないかもしれない、だって花を貰ったって僕はちっとも嬉しかないもの。そう思った。しかし、せっかく買った手前もあり、さりげなく渡そうと私は決めた。時計を見ると、母が戻るまでまだ一時間近くあった。その一時間のあいだ、私はおもちゃをそっちのけで、さっきいったようなことを、何度も何度も悩み考えていた。

  玄関の扉が開くと、私は急いで花を台所の机に置いた。ここなら母の目にとまるだろうとふんだのである。母は遅うなってごめんな、今からご飯作るけん、お腹すいたろうといいながら、台所へ入ってきた。花を見つけると、母は私の顔を不思議そうに眺めて、お母さんのために買うてくれたん? と私に尋ねた。私はぶっきらぼうに「うん」と答えた。すると、母はまだ仕事着のままであったが、私をぎゅっと抱きしめた。そしてありがとうと何度も云った。抱きしめられた私は、母の髪留めが頬にあたって、少し痛かった。

 たった一輪のカーネーションは、立派な花瓶に活けられて、それからしばらく玄関の日当たりのいい一角に飾られていた。以来、何度か母の日には花を渡したが、そのうち私も年ごろになって、そんな照れくさい真似はしなくなった。それでも、ときたま花屋でカーネーションを見かけると、いまでもあの頬の痛みを、私は懐かしく思い出すのである。


サムネイル : 永井 本(@nagai_hon

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