ひとりの夜あげます
京都の十条を少し南へ過ぎた辺りに、一軒の喫茶店があって、そこは夜中の三時まで、客のいる晩には、朝の六時くらいまで店を開けていた。夜通しやっているからといって、スナックを兼ねているわけでも、酒を出すわけでもない。ただ不眠症のマスターが、眠れるまでの暇つぶしみたいに店を開けている。コーヒーは確か、一杯四百円だった。
そのマスターというのが、嘘つきなのである。黙っていれば品のいい爺さんなのだが、五稜郭のお堀にはサケが泳いでいる、などは序の口で、若いころは寿司屋の職人だった、船乗りもしていた、弁護士の学校に勤めていたと、いつもほらを吹いている。こう書くと、如何にも荒唐無稽な年寄りの妄想のように思われてしまうかもしれないが、このほら話というのが実によくできていて、なにより面白い。私は、この小綺麗な老人のつく噓が大好きであった。だから眠られない夜にはそこを訪ねて、眠気の来るまで、ときには一晩中、ありもしないほら話を聞いていた。
マスターの嘘といえば、こんなことがあった。ある晩、いつものように出かけると、店が閉まっている。あくる日「こないだはお休みでしたね、何かあったんですか?」と尋ねると、爺さんはきまり悪そうに「よんどころない用があってん」という。よんどころない? 親類にご不幸でも? いや、皇居に呼ばれてな。この時点で、私はもう吹き出してしまいそうなのだが、ぐっと堪えて「陛下はなにかおっしゃいましたか」と聞き返した。すると爺さん真面目な顔で「じい、よう来たの、くるしゅうないゆうて、もてなしてくらはった」と答える。あんまりバカバカしくって、私は大笑いした。
私がその店に通ったのは、ちょうど一年ほどである。その一年の間に、私はマスターから数々の昔話を聞いたわけであるけれど、ついに彼は、自分の本当の過去を話さなかった。ただひとつ真実らしいものがあるとすれば「不眠症で悩んでいる、娘は薬を飲めというが、薬はどうにも気に入らない」という言葉のみである。家族をほのめかす嘘を一切つかなかった老人が、肉親に言及したこのひと言だけは、どうにも本当のことのように思われる。
そんな店であったけれど、いつしか休みがちとなり、ついには電気がつかなくなった。最後にそこを訪れたとき、店の入り口には「店主死去のため閉店」と張られていたが、なにせ嘘つきなご店主のことだから、どこまで本当かわからない。マスターの不眠症が、治っただけかもしれない。
サムネイル : 永井 本(@nagai_hon)
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