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ジャングルに向かうために必要なもの #想像していなかった未来


「うちら来週、大宮行くんだ」


…大宮…だと!?
友人の台詞せりふに私は目を大きく見開いた。
先週、ものすごい勇気と気合を入れてビッグシティ高崎に行き、ショップバッグを誇らしげに持ち帰った私の得意げな風船がとたんにしぼむ。

「高崎より先に…親無しで行くの?」
「ジャングルに…武器無しで行くの?」とでも尋ねているかのような声色で私は聞いた。


友人もまた、自分たちが高崎という一つの山を超えて大宮へ足を踏み入れることに、恐れと憧れとが混ざったかのような高揚した顔でコクリと強く頷いた。まだ、制服がパリッと綺麗な頃だった。

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東京駅から長野駅まで新幹線が開通したのは私が小学6年生の時だった。それまで東京に行くには特急を経由するしかなく、5時間以上かかる道のりであったため、東京というのはとても遠い場所だった。その距離感から狩人のあずさ2号という名曲までうまれたほど。

長野オリンピック開催にあたり、山という山に穴をあけ、東京からたくさんの人が長野県にやって来た。


学校では「外国人に道を聞かれた時」という授業が盛んに取り入れられた。
簡単な英会話を頭に叩き込み、「ゴーストレート…ターンレフト…バイバース…」と日々呟きながら(さぁ来い、道が分からなければ私に聞くがよい)という面持ちで外国人を待った。

いざオリンピックが始まると予想していた以上にたくさんの外国人が長野に溢れ、本当に道を聞かれたらどうしようとビクビクした。


新幹線はたくさんの人を長野県へと連れてきた。
そして、それ以上にたくさんの人を東京へ連れて行った。


🚅


山を越えてその先へ


中学生になった頃、子どもだけで新幹線に乗って群馬県高崎市の高崎駅へ行く子が現れ始めた。高崎は長野より都会だったので憧れている子も多かった。長野にはないお店で買い物をし、そのショップバックを持ち歩くのは一種のステータスでもあった。

みんなが高崎に行くようになると猛者は大宮へ。そして冒頭の台詞せりふである。


高校生になるとその目的地は高崎、大宮を超え、池袋となる。当時、池袋ウエストゲートパークというドラマが大ヒットしており、池袋は危険な場所のイメージだった。降り立った瞬間、赤とか黄色とか黒とかの服を着たギャングが、タンクトップにバンダナを巻いたキングを筆頭にバットやナイフを持って襲い掛かってくると本気で思っていた。

池袋に行ってきたという友人の話を聞いては、無事に帰ってこれたことを祝福した。池袋に子どもだけで行くなんて、ジャングルにパンツ1丁で行くようなものだと思っていた。


🚅


駅ビルで震えるおさげ


私が初めて東京に一人で降り立ったのは高校一年生の時。姉の下宿先である八王子だった。八王子が東京のどこに位置するかは分かっていなかったけれど、確実にそこは東京だった。姉が大学の授業を終えるまで駅ビルで買い物をし、一人で姉の下宿先まで行くのがその日のミッションだった。

八王子の駅ビルは大きくて広かった。レディース服の店員さんが男性なのもびっくりしたし、その男性店員さんが「今はワンピース!東京のコはみんなワンピース着てるわよ」と教えてくれたから、言われるがままにワンピースを購入した。

店員さんが「着てく?」と声をかけてくれたので、タグをハサミで切ってもらい、買ったばかりのワンピースに着替えて再び街に出た。

東京で買ったワンピースを着て、東京の街を歩いている…!わくわく半分、もう半分は口から心臓が飛び出そうなくらいのドキドキだった。田舎者だとバレないよう、何でもない風に街を歩いた。なのに、隠せない何かが分かる人には分かるようで、スーツ姿のお兄さんや金色のたてがみを持つお兄さんに声をかけられた。どこから来たの…とか、今日泊まるところあるの…とか言われて初めて、自分が東京に溶け込めていないことに気がついた。ショップのウインドウガラスに映る私は、精一杯のおしゃれのつもりでいたけれど、何を思ったか三つ編みのおさげだった。限りなく、誰もがイメージする通りの田舎娘だった。


怖くなって、姉の下宿先までたどり着けないと思った。だから駅ビルの3階の女子トイレに隠れて姉に電話をかけた。知らない人の名刺を捨てることもできず握りしめたまま。

「もしもしお姉ちゃん?怖いから迎えに来て!」
「アンタどこにいるの?」

「駅ビルの中!」
「どのビル?」

「えっと……オイオイ?オイオイの中」
「オイオイって何それ?どこ?」

「分かんない。オイオイじゃないのかな。ゼロイチゼロイチかもしれない。」
「あぁ。丸い?」


「丸くない!長四角のビル!」
「いや形じゃなくて。丸井って書いてなかった?」

「書いてないよ!オイオイか、ゼロイチゼロイチって書いてあるビル」
「だからそれが丸井なんだってば。いいからそこで待ってな。」


そう言って電話が切れて、しばらくしてから姉が迎えに来た。知らない間にあの有名なOIOIデビューをしていた。OIOIの上に「丸井」って書いて欲しい、と心から思った。
八王子での一日を経て、私の心にある決意が生まれた。


東京には行かない

やっぱり東京は怖かった。すっかり東京ビビりになった私は、大学も就職も地元に決めて実家から通った。どんな相手と恋人になっても友達の友達だったり、親同士が知り合いだったりする。これでいい。こうやって地元から出なければ、地元にいる人といつか結婚して、住み慣れた街で子どもを育てて、親子で同じ小学校に行ったりするんだ。

誰と結婚するかは分からなくても、ずっと地元長野に住み続けることだけは不動の未来だと信じていた。


……それなのに。
たったの3年間、長野に転勤でやってきていた東京の人と、何の因果か出会ってしまった。彼はあと少しで東京に戻っていく。

結婚したら東京行き。
地元を選んだらお別れ。

そんな究極の二択が22歳の私に突きつけられた。

地元から離れたくなかった。親の元にいたかった。東京は怖かった。だけど、この人を失うのはもっと怖いと思った。

だから私は結婚を決意し、東京に住むことにした。23歳のことだった。

🚅

どんな未来でも向かっていく

6年間東京に住み、夫の転勤で各地を転々としながらも、現在は”渋谷まですぐ”みたいな場所に住んでいる。新宿で友人とばったり会うとか、ふらっと渋谷行ってくるとか、そんなあり得なかった未来に立っている。もはや大宮の方が遠くなってしまった。

しかも、あんなに東京ビビりと言っておきながら、地方に転勤になった夫を単身赴任にしてまでこの地にしがみついている。

地震やコロナ禍など、想像もしていなかった突然の脅威に日常が脅かされることもあった。人生は不測の事態だらけ。未来予想図の中になかった事態に、その都度家族でどうしたらいいかと話し合った。これだけは譲れないと思っていた決意や信念さえも、簡単にひっくり返される。



私が大切にしているものは何か。
それは誰とどこに住むか、ということだった。

地元を離れて夫といることを選んだ過去。
怖かった東京に飛び込むのも、夫がいれば乗り越えられると思った。

反対に地方に行く夫について行かずに東京近郊にいることを選んだ今。
子ども達のために、ここに残ることを選んだ。


これから先の未来はどうなるか分からない。未来こそが未開のジャングルで、私たちはみんな丸腰でサバイバルしていかなくちゃならない。もしかしたら天災や海外赴任だとか、もっと想像できない何かが私たち家族を襲ってくる日もあるかもしれない。選びたくない究極の選択に迫られる日もまたやってくるだろう。


だけど。

いま、自分が守りたいものは何か。
そのために手放していいものは何か。

それさえ心の真ん中に持ってれば、怖いと思っていたことも、苦手だと思っていたことも乗り越えられることを、今の私は知っている。


恐れと憧れとが混ざったかのような、誰かの声が聞こえる気がする。

「私たちこれから、未来ジャングル行くんだ」



#想像していなかった未来




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本田すのうl書いて読む主婦
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