【会社を設立したらフリーズした物語】
はじめに
初のnoteになる。
先月の10日、非営利型株式会社Saniwaを設立した。銀行口座なども無事に開設できた。ちなみに会社設立の日はお引っ越しの日でもあった。
そこへきての初note。会社のミッションなどを書きたい。どんな思いをもって会社を作ったのかとか書きたい。尊敬し信頼しているメンバーについて書きたい。新居の側、多磨霊園を散歩し如何に死と向き合ったかなどを書きたい。
もっと言うと、それをちょっとくらいかっちょよく書きたい。
でも、非常に残念だけど、明らかにその前にこれを告白することからしか始まらない。
1、ビビり倒してフリーズ
したってこと。
3週間ほど、ビビり倒してた!ってこと。
もうビビり倒して、怯えて怯えて、フリーズ状態。なーんにも手に付かない。
やるべきこと、やりたいことは山ほどある。でもほんと最小限しかできない。
全然今見なくていいyoutubeとかみちゃう。普段食べなくなってたポテチとかを食べながらみちゃう。ゴリラの生態の動画とか、格闘家前田明の伝説とか、武勇伝・修羅場の話とか、そんなん。
どう考えても会社の経営に役立たない。事業が進むわけでは全くない。引っ越しの片付けをしながら、とかでもない。
世の中、良い・悪いとかってのは勝手な解釈という。だから会社設立後、お引っ越し作業終らずににyoutube三昧。それも1つ。とはいえ、経営者としてはやっぱり如何なモノかと。
なんてダメダメなんだ!って言葉がぐるぐるする。
毛布にくるまってブルブル震える子犬状態。もしくは蛇ににらまれたカエル。何かににらまれていて動けない。
ただ、ここで無理に動こうとは何となくしないでおいた。会社で大切にしたいことの中には「個人のwell-beingを優先する」「無理しない」なんてのもある。何より、こういう時に無理矢理動いても良い結果を生まないことは今までの経験的にも知っている。
ところで、自分がカエルってのは良いとして。蛇はなんだろう?多磨霊園脇に引っ越したこと?会社の代表取締役になったこと?
その辺りがきっかけになっているのは間違いなさそうだとしてそれがそのまま原因かというと恐らくそうではない。
蛇さん、あなたはだあれ?状態。なんでそんなににらみつけるのかな?
ってな感じ。
2、ありのままを開いてみた
こういう時に大切になってきそうなことが一つあるとしたらそのままに人に言ってみること。自分としてださくてダメダメと思ってもそのまま言っちゃう。
わからないまま、自分の中でダメダメのまま、そのまま開いてしまう。「弱さを開く」とか「無防備さ」ってやつ。
と、いうことで今回もそうさせてもらった。会ったり電話したりメッセージのやりとりをさせてもらう人の多くにこのまま伝えさせてもらった。
弱いままに開いてみると実は世界は温かいことを知れる。こればっかりは体験・体感してみないことにはわからない。
共感してくださる方、ものともせず愛をくれる方、つながりが深くなるのを感じさせてくれる方、祝福をくださる方、温かくネタとして取り上げてくださった方、話題の一つとしてさらっと受け流してくれる方。
色んな方がおられた。共通してるのは言って後悔したようなことはなかったこと。本当に有り難い。
ちなみに会社のメンバーの反応はこんな感じ。
ニック
「そういうことありますよね~。ちなみに僕は・・・。」
→普段の会話と変わらない感じでさらっと。
ほの香ちゃん
「なんだか内側で様々なことが起こっていたみたいですね。ぜひ今度またゆっくり聞かせてください。今は焦らずに味わい切ることがよさそうですね。」
→内なる資源として見てくれている感じ。
りほちゃん
「へぇ~、何だか興味深いですね。何を恐れているんでしょうね~!でも、坂本さんでもそういうことあるんですね!」
→その状況に純粋な好奇心を向けてくれてる感じ。
金ちゃん
「そういう時に見るyoutubeがおもろいね。ゴリラとか受けるwww」
→何だか面白がられる感じ。
どの反応もありがたい。恐れにおもいっきしやられていてダメダメだと自分を評価してるときは「こんな自分はきっと見放されるんじゃ。。。」とかっていう恐れもほんのりあったから。受け入れてもらう、そんなところが満たされるぅ~。
お話聞いて下さった方々、本当にありがとうございました。
3、冒険に出てた!?
そんな中、ちょっと興味深いことを知った。府中市のソーシャル・ビジネス・ラボでお世話になっている非営利型株式会社の大先輩、Polarisの市川望美さんと篠宮ユウコさんのメンタリング時。
ここでももちろん、今の感じを思いっきり開かせてもらった。
その時、物語マトリクスというものを教えてくれた。自分の状況を神話や物語で考えてみる、というもの。確かに、多くの神話や物語は起承転結で成り立っている。
このサイクルのこと。どんなに長い物語であっても、実はこういった区分けになることが多い。
あの国民的な神話の代表。桃太郎を当てはめると。
こうなる。あの大感動スペクタクル活劇もとってもシンプルだ。
これを2つの軸で見てみるのが物語マトリクス。縦軸が「日常・非日常」横軸が「充足・欠落」左下から右下に動いていく。
左下:【日常での欠落】
居心地の悪い状態。鬼が都にはびこって悪さする日常。そこに桃太郎が登場する。
左上:【非日常での欠落】
物語で大変なところ。知識・経験が通用しない混沌の世界。物語ではハラハラ・ドキドキ。現実では避けたいところ。犬・猿・雉と共に鬼ヶ島へ出発する。
右上:【非日常での充足】
物語の醍醐味。混乱の世界で危機を脱出して、勝利や宝物を取得する瞬間。鬼退治して、宝物を取り返す。
右下:【日常での充足】
↑で手にした勝利や宝物という一時的なものではなくて、より持続的な仕組みを世界に提供する。鬼が改心して、平和を取り戻す。
より詳しくはこちらを参照あれ。
提唱している梅本龍夫は組織運営やイノベーションを促進する仕組みとして活用している。同時に個人の変化のプロセスでも転用できそう。
実際に自分に当てはめたら見えてくるものがあった。
物語において最も怖い瞬間。それは、鬼に出会う瞬間ではない。強い鬼と闘う瞬間ではない。鬼退治に出発する瞬間、そこがいっちゃん怖い。
実際に桃太郎だって聞いてたはず。鬼がどれだけ凶悪で冷酷非道かということを。でも、それでも旅立とうと思う瞬間。そして、その道中がもっとも怖かったはず。起承転結でいうなれば、「承」。「承」は読み手にとっては手に汗握って面白いかも知れない。でも当人ではたままったもんじゃない。経験や知識が通用しない危険に満ちたカオスに飛び込むのだから。
生存本能としては、確実になけりゃ無いで良いと思うもの。
一つの仮説だけど、僕が何も手に付かないくらい恐れていた理由。それはまさに冒険の旅に出るところだから。と、言えるんじゃないか。今までのやり方が通用しない世界に入ろうとしているからなんじゃないか。
と、見てみたらどうか。その仮定を受け入れてみると3つくらいお得なことが。
①当てはまる実感。
②問いをもらえる。
③心地良い。
4、恐れっていうか、ワクワクなんじゃ?
一つずつみていく。
①当てはまる実感
何でビビり倒していたのかがわからなかった。というところから、仮説でも一旦理由を受け入れてみる。
そうか、これから冒険に出るってことで恐れてたんだな。僕ではなく生存本能が恐れを出してたんだな。っていう理解になる。
それだけで何だか安心する。暗い中蛇みたいなのがいる!ってのが電気付けてみたらの正体が紐だったみたいな。
②問いがもらえる
冒険者の視点に立つことで、問いが出てくる。例えば。
今まで慣れ親しんでしまった居心地の悪い日常とは何か。
自分にとっての「鬼(蛇?)」とは何か。
求めている宝物とは何か。
目指すべき居心地の良い日常とは何か。
ここ最近流れてきた桃があるとしたらそれは何か。
僕が一歩踏み出そうとしている混沌とは何なのか。
こういう問いに一つ一つ答えようとしてみると見えてくるものがある。漠然とにらまれたままになってたカエルの視点から、蛇とカエルをもう少し遠目にみる感覚になる。蛇が何なのかもおぼろげに見えてくる。
備忘録としてまとめてみよう。
僕にとって「起」と「承」が何か。
起:今まで生き方、他者から承認を得るために個性的な自分を演出しなくちゃいけないというのが居心地の悪い日常。そこから「あれ、いのちって全てどうあろうとも祝福されちゃってね?」という気付きを得る。これば僕にとっての桃。
承:社会的な功績の有無で承認し合う世界の中から、存在そのものの価値を認め合えちゃう世界創造のために冒険の旅に出る。会社設立はそのための手段。ちなみに多磨霊園の側へ引っ越して死と向き合いたいってのも手段の一つかな。
③心地良い
最後は単純。
やっぱりフリーズして、ただただダラダラしてるダメダメな自分。よりも、「おお!僕って実は冒険者だったのか!」っていう自己認識の方が心地が良い。
図にするとわかりやすい。そして恐れが0にならなくても良いなと。恐れていることをより受容したり許せたりする。むしろ恐れが無くなる方が面白くないんじゃね?って。
こんな風に認識は変わるから不思議だ。状況は何一つ変わらない。それでも見方は変わる。
恐れているダサイ自分→冒険の旅に出る誇らしい自分
よく分からないフリーズ→武者震い
自分を覆い隠す毛布→旅の道具としてバサッと肩にかけるマント
何だったら、ちょっと「威風堂々」でもかけたくなる。もしくはドラクエのテーマ曲。
恐れがあるのは変わらなくても、そこへの眼差し、見方、認識が変わっちゃう。何というか、恐れに対して、ちょっと愛おしい気持ちすら湧いてくるから不思議だ。
ちなみにそのまま「転」「結」を書くと
転:いのちは全て存在しているだけで良い。互いにその価値を当たり前に祝福し合える世界を体感する。
結:存在そのものの価値を互いに祝福し合える世界を創造する仕組みを作り上げる。
という感じになる。
最後に
やっぱり内側の認識が変わる方が、外側の変化も早いみたい。冒険者なのか!?と認めてから、恐れに「よしよーし、順調に恐れてるな」ってなってからはやった方がいい思うことに素直に取り組めるようになってる。(まずはここ3日くらい)
そういう意味ではやっぱり無理矢理動こうとしなくて良かった。同時に、これからも生存本能が恐れるようなところにいたいと思ってる自分がいる。きっと、「やべー、動けねぇ!」っていうのと「この木上れるかな?ワクワク」ってのは同じ。ほんのちょっと視点が違うだけなんだろう。
だったら、そらワクワクしてたい。でも、それは「やべー!」がないところにはないから。「やべー!」でいい。「やべー!」をちょっと離れて見て、ほくそ笑む。
ってことで、安心して恐れが生まれる場所にいたいなって、思ったのでした。めでたしめでたし。
せっかくなので、今回の記事も物語マトリクスを使ってみた。1~4の目次に即してある。
起:ビビり倒してフリーズ。うん、居心地の悪い日常になりつつあった。
承:ありのままを開いてみた。居心地の悪い非日常として、周りの人に今の状況をそのまま伝えてみた。
転:冒険に出てた!?その中で物語マトリクスと出会い探求を通じて、冒険者だったのでは?という問いと出会う。
結:状況は一緒でも見方が変わる。今の状況への見方が変わった。
と、いう具合。この物語マトリクス。一つのモデルとして使い勝手がとっても良い。人類の偉大な発見の一つなんだろうな。だから神話として代々引き継がれてきた。モデルとして、人生の大きな節目でも使えるし、今回みたいに小さな節目でも当てはめられる。そうすることでみえてくるものがありそう。
こんな方にはこんな風に使うと良いのでは?
それぞれ、こんな風に問いと向き合ってみると面白いのかも知れない。
現状大きな恐れに囚われている人
⇒「承」を認めるフェイズ。どんな居心地の悪い日常だったのか?手に入れたい宝物は何か?
既に動き出してしまっているけど、どこに向かえばいいのかよく分からない人。
⇒「転」を受け取るフェイズ。もしかしたらその手には宝物があるんじゃないか?そうだとしたらそれは何?
最近、大切な気付きはあった。
⇒「転」→「結」のフェイズ。その気付きを持続的なもの、仕組み化するなら、多くの人と分かち合うとしたら、どんな感じか?
停滞感が半端ない。
⇒「結」→「起」へのフェイズ。一旦できた秩序が「当たり前」になり、何か居心地の悪さが生まれているかも。新しい物語が創造されるチャンスかも?
と、いうことで今回の話ともつながる会社について、次回書きたい~。
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