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猫が『退屈をあげる』と話しかけてきた - ABCで出会った本

犬が好き、いつかまた犬を飼うんだと言い続けていた私が猫を飼い始めたのが去年の6月。思いがけず、猫との暮らしが始まった。

それまでは猫動画も見たことがないし、SNSでスター猫をフォローしたこともないし、猫カフェに行ったこともなかった。触ったことも、路地裏で野良猫を見つけてしゃがみこんだこともない。「モフりたい」と言ったこともない(これは未だにない)。

私は猫について調べ始めた。段ボールがあると入っちゃうとか、目を見てゆっくり瞬きをするのは信頼の表れだとか、エサがもういらないときはエア砂かけをするとか。どの猫にもあることなんだなと安堵することもあれば、うちの猫に起きてることと違う!と混乱することもあった。個体差の壁は低いようで高い。あまりにも猫のことを考えていたので、会社で私のPCを見た先輩から「リタゲが猫」と揶揄されたこともあった。

猫を迎えてから3カ月ほど経った頃、マッサージ店で猫の話をしていた。
実家で猫を飼っていたというマッサージ師さんは私に「可愛くてしょうがないですよね?」と聞いた。
少し考えてから「それより心配で……」と答える私。
「猫の何が心配なんですか?」と笑われた。

ほんとうだ、私はどうして猫のことが心配なのだろう。

* * *

1月の雪予報の土曜日。私は青山ブックセンター(ABC)に向かっていた。電車で母からLINEがきた。
「猫は元気?」
「元気。でも遊び相手がいなくて退屈してそう。」

母は外猫を飼っていた経験があるので、私の心配を「過保護にならないように」と一蹴した。それでも、だ。ABCに着く頃には「私は猫を退屈させてるのでは」というフラグが立って、あーでもないこーでもないと心配していた。

文芸の棚で猫のイラストが目に留まった。ハチワレ猫が柔和な三日月の目で「退屈をあげる」と言っている。前足を揃えてすくっと立つ姿がうちの猫みたいだと思って、その本を手に取った。

『退屈をあげる』(青土社/坂本千明著)は、著者が初めて迎えた愛猫・楳ちゃんとの日々、猫生を、紙版画の挿し絵と猫目線の言葉で綴った本だ。

主人公は、冬の冷たい雨の朝にマンションの集合ポストの下で人間に拾われた「あたし」。「あたし」からして見れば、著者夫妻は「2つの手」だし、のちに迎えられた後輩猫たちは「黒くて小さなやつら」だ。この表現がとても猫らしくてリアルだなと思う。

そこでの毎日はとても退屈だったけれど
こわい外の世界に戻るのは もうまっぴらだった

「あたし」は、室内猫としての初めての生活をこんな風に受け入れた。退屈な毎日には、大好きなお日さまとごはんとお昼寝があって、「2つの手」と「黒くて小さなやつら」がいて、もう集合ポストの下で命からがらに雨風をしのぐ必要もない。退屈だけど愛しい日々。そこにいるみんながずっと続いてほしいと願うのに、終わりは必ずやって来るのだ。

著者はあとがきにかえた文章でこう振り返る。

私は知りたかった。猫が幸せかどうかを。

飼い主にとっての運命の出会いは、野良猫にとっては自由を奪われた瞬間だったのではないかーー。

言葉を尽くせないから、飼い主は猫を観察し、気持ちを想像する。いつの間にか貢がされ、振り回されたとしても、喜んで下僕になれるのが猫との暮らし。しかし当の猫は、屈託なく退屈を生きている。きっとそこに退屈しない幸福感があるのだ。虹の橋を渡り、こんぺいとうのように甘く香る思い出となっても、心の中でずっと。

泣きなさんな
泣きたいのはあたしなのだから

最期まで「あたし」はぶれずにクールなのだけど、三日月の目でゆっくり瞬きをしながら「愛してたよ、ありがとね」と言っているようだ。ほら、猫は口パクでニャーと愛を叫ぶらしいから。人間の耳に聞こえたかどうかなんて、さほど重要じゃない。

* * *

私はどうして猫のことが心配なのだろう。
そのモヤモヤの答えが、この本で見つかった。

静かに丸くなって寝ている猫を見て「うちの猫が一番可愛い」とつぶやくより先に、ちゃんと息をしているか突っついて起こしてしまう自分のことが普通に心配だった。可愛いとか癒されるとかより先に猫の身を案じてしまう自分のことが、なんだか本質を欠いているようで情けなかった。

普段から心配性なわけではない。誰にでもというわけではないのだ。

家族だから。家族にすると決めたから。それは私にとって初めての命の重みだったから。怖くて仕方がないから。それでも幸せにしたいから。

可愛いかと聞かれると言葉に詰まってしまうけど、「幸せにしたい」なら胸を張って言える。猫を飼うときにひそかに誓った頭でっかちな覚悟が「猫を育てているつもりで、猫に育てられていたのだ」という著者の言葉にとろけ、未来の自分に期待を込めた。

今の猫と私は、退屈な生活のスタートをきったばかり。私は私のスピードで、経験とおおらかさを手にし、猫というものを知っていくのだろう。

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