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しゃがまないと知らなかった世界

昔、仕事帰りに泣きながら自転車こいだ、あの公園。
あの頃は、空ばっかり見てた気がする。

あれからうん数年……娘と歩くその公園の、地面から数十センチの世界が、今、熱い。
ずっと、知っていた気になっていた、知らない世界。

だって、たんぽぽの綿毛が、黄色い花からどうやってあの真っ白になるか、知っていますか?
ハルジオンの花が一瞬で綿毛になること、知ってましたか?
私は知らなかった。今の今まで。
BUMP OF CHICKENの「ハルジオン」は好きだったけど。雑草魂!的なぼんやりとしたイメージだけで、どんな草か考えもしなかった。

たんぽぽの花が終わった後の、ちょりちょりが熱い。

「ほら!綿毛があるよ!」
半ば強制的に、たんぽぽの綿毛をつませようとする私をスルーして、2歳の娘は咲いている花のほうをもぎ取る。
こどもは綿毛が好きに違いないという概念を見事に壊される。
娘には娘の世界がある。娘の目には、大人の単純な知識なんかより、もっと魅力的なもの達が見えているのだろうなと思う。

握りしめたたんぽぽは「パパのお土産にするの」という言葉と共に、一緒に公園内の森の散歩に付き合うことになった。森と行っても、大人にとっては藪みたいなもんなのだが、あら不思議、2歳児と歩くと広大な大自然のなかにいるような気持ちになってくる。

地上80センチの、彼女の目線の先にあるもの。
それは、良い枝であり、葉っぱであり、花であり、丸い石であり、とかげだ。
‘’良い枝‘’で、せっせと落ち葉をかき集め、切り株の上にのせ、お料理遊びが始まる。近くに生えている草を引っこ抜き、「こまちゅな」と「だいこん」を炒める。その目は真剣。
私が出産前に苦労して作ったフェルトのお野菜も、その辺の雑草の根っこも、彼女には等しく‘’食材‘’だ。
切ったり混ぜたり、砂をかけたり、集中して忙しそう。

たんぽぽは、手から離れると忘れられる。彼女にとって見えないものは、ないものなのだ。置きっぱなしのたんぽぽを横目で見ながら、私はなにも言わないようにしている。
置いていったら置いていっただ、持って帰りたかったら持って帰ったらいい。彼女のその時の基準でいいと思ってる。

私自身が、散歩でなんでもない森みたいな藪みたいな場所を歩くのが好きなんだと思う。
思い返してみたら、昔から自然の中で遊ぶ子らを見るのが好きだった。彼らにかかればなんでもない場所が、きらきらと輝き出す。
森のようちえんに憧れ、娘のお友だちを誘って森によく入っていた時期もあった。
もっとよく思い出してみたら、小学生の私は、生け垣のなかを突っ切り、ツツジの蜜を吸い、キバチを捕まえながら下校し、学童に帰る子どもだった。
今や、生花を絶やさないスローライフ、には程遠い生活を送っているし、サボテンも育てられないと学生時代落ち込んだような人間なのだが。

娘はまだ‘’お料理‘’という名の土いじりで座り込んでいる。
こんなとき、前まではこのじっくりタイムは母たちのおしゃべりタイムだった。
コロナの影響で二人きりで遊ぶようになった今、私はその間暇だ。
忙しそうな娘の邪魔にならないように、しゃがんだ姿勢のまま辺りの雑草を眺めたり、枝で落ち葉を掘ったりするようになった。 

すると、今までぼーっと見ていた、身近な植物たちが、がぜん輝きだした。なんと豊かなことか。

落ち葉を掘ると高確率で新芽が顔を出す。
黄緑が恥ずかしそうにあらわになると、そのみずみずしさに、はっとなる。ドングリの芽の可愛らしさ。これが何年かかればこんな大木になるのか……見上げると、はるか上に葉が揺れている。

カラスノエンドウの豆が、春先は薄っぺらだったのに、5月の今はパンパンになっている。もうすこし待てば、触れば弾ける楽しい爆弾になるだろう。そんな時期を待ち望む私がいる。

葉っぱの形っていろいろあるなと種類を集めていたら、カタバミも、どくだみも、ハートがただけど、茎がついているのは逆なことを発見した。どうでも良いことだけど。やるなぁとニヤニヤする。
きれいに並べると、葉っぱの標本みたいになった。

(それを見た娘は、すべてを小石値段で買い取って、これまた家までお持ち帰りなさった)

あげくのはてに、最近の私のムネアツポイント。
たんぽぽの花が、閉じてちょりちょりになった状態が好き。
これはもうマニアックすぎると、自分でも思う(娘はふーん的な反応…涙)。つぼんだ黄色い花びらをうまくつまんで引き抜くと、良いタイミングのやつはスポッと黄色い部分だけ抜けるのだ。
これがもう、気持ちいい。
靴下爪先だけもって、きれいに足から脱げたときくらい気持ちいい。
下にスタンバイした綿毛がきれいに揃って見え隠れしてるのもかわいい。

つまり、花が終わると、下にこっそり隠れていた綿毛が、花びらを押し上げて上へと伸びていく、花びらは落ちて、綿毛が開く!ということなのか!分かったときは、まだ開かない赤ちゃん綿毛が初めてかわいく思えた。
小さい頃は、吹いても吹き飛ばないからキライだったのに。

しばらく遊んでさあ移動。立ち上がって歩き始めたとき、娘は何も手に持っていないのに気づいてあわてて叫んだ。
「あれ??あ!パパのたんぽぽぉー!!」
走って探しに行く。今までないものとあつかっていたとは思えない宝物扱い。
ストローみたいな穴の空いた茎が、また、小さな手に収まる。黄色が揺れる。

一瞬で爆発するのも、じっくりなのも、みんなちがってみんないい

さて。散歩から帰ってきた娘は、無事にテレワーク中のパパにたんぽぽの花を渡すことができた。
「パパのために!!花をもらったのなんて初めて!」
と、感動するパパ。
途中三回くらい忘れそうになったことは、秘密。

我が家のフラワーベース(という名の元プリン容器)に無事に生けられる。ついでに帰り道に摘まれたハルジオンも生けられた。

ところが……たんぽぽは、その日の夜にはもう花を閉じてしまったのだ。
パパがせっかく娘から初めてもらった花。そのまま捨てるのに忍びなく、そっとしておいたのだった。

数日後の朝のこと。
ん?ボワボワしたのが落ちてるぞ?
これってもしや、綿毛?とみると、昨日の夜まで線の細いハルジオンの花びらだったのが、すべて一瞬で綿毛になっていた!
え!ハルジオンって、綿毛になるんだ!
びっくりして、うっかり全て排水溝に流してしまった。

その後も次々と、花が綿毛になっていく。朝起きたら、一瞬で。まるで手持ち花火のよう。
あの花びらの何がどうなったらこんな綿毛になるのか。
魔法のようだ。

そこにつづけと、たんぽぽも、じっくり綿毛に変身し始めた!
こちらは何日も何日もかけて、じわじわと焦らすように開いていく。

いつも風に一瞬で吹き飛ばされていくあの綿毛たちは、開くのに何日かかってたの!?って、いうくらいなかなか開かない。握った手を指一本ずつ開いていくように、今、じわりじわりと開きかけている。

フラワーベース(という名の元プリン容器)のなか、我々は花だけではないと言わんばかりの生命力。
森でもステイホームでもどこでも、自分のやれることをする、そのたんたんとした逞しさに、一人胸が熱くなる。
変化のたんびに娘を呼びつけて、見てみて!!と言ってしまっている。

草花が、熱い。
植物が、熱い。

アスファルト突き抜けて雑草魂!とかそんな単純な話じゃない。それぞれの草花の生存戦略、お見事!
小さなウイルスに一喜一憂している人間のなんたる小さなことか。
そういえば、どこかのテレビで、植物は一部を切っても生き続けられる、細胞の仕組みから人間と全く異なる生き物だと聞いた。もう、これだけで私の考えるレベルを越えている。

すごいなぁ。

鬱々とした気持ちが、いつの間にかわくわくにかわっていた。

今現在も進行中のたんぽぽが開ききったら、報告しても良いだろうか?
娘が初めて彼氏つれてきた報告するような、それくらいの気持ちで。

後日談報告。5/8

え、まじで、彼氏つれてきたって!?パパー!

ついに綿毛になりました!!黄色いたんぽぽが、真っ白に変わるのは、ホントに不思議。
もっとふーしたくなるくらい開くのを、今か今かと待っていたのだが……


茎をみると、もう吸い上げる力がなくなってきました……もう限界です……先に痩せます……と言わんばかり……。
力づよい雑草も、ここまでか。

自然の力にはかなわないか……。少しずつ開く姿は、感動的だった。ありがとう。たんぽぽ。

きっと、娘がたんぽぽを摘む度に思い出すだろう。
種から伸びる一本一本が、まだ開ききらない姿も美しい。
娘も「綿毛になったね!!」と嬉しそうだからもうお外にさよならしてもいいか……と、思いながらもまだ捨てられずにいる。

第一、パパのものだしな……。

パパも嬉しそうだったし。楽しみにしてるかもな。

私「パパ、たんぽぽが綿毛になったね」

パ「え?そうなの?」

おーい、洗面台にずっと飾ってあったよーお。

なんならあなたの歯ブラシのすぐ脇にあったよーお。

せっせと毎日水をかえ、我が子のように愛でていたのは私ひとりかーい。
彼氏つれて来ても結婚はせんのかーい。
パパの反応、そんなんかーい。

そんなGW明けの1日なのでありました。

パパと娘を少し強引に連れ出し、ベランダで綿毛を飛ばしました。無理やりお嫁にいかせました。
風が強かったからあっという間に飛んでゆきました。

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