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「ぼく」と言う、女の子

 急に、最近4歳の娘が「ぼく」と言い出した。

娘の一人称が「ぼく」になったのだ。
今までも、男子の多いクラスなのもあって、Weは「僕たち」だったのだが、Iが「ぼく」になるのは予想していなかった。

どうやら、憧れの男の子ができたらしい。
ようくん(仮名)の名が最近急に出てくるようになった。
「ようくんはね、カブトムシに詳しいんだ!」
今まで全然興味なかったカブトムシが好きになった。
電車に乗る機会があると「山手線に乗りたい!!」というようになった。
「ティラノサウルスは大昔にいたんだよ」ともいう。

プリキュアも、プレンセスも、すみっコぐらしも好きだけど、プテラノドンと山手線を知っていることにステータスを感じている模様。
趣味が変わったというよりは、娘の友達社会が変化して、世界が広がった感じ。娘のまわりの価値観が変わった感じ。

面白いなぁ。そう思ってみていたら、一人称が「ぼく」になった。今まで「娘ちゃんがね、」と言ってたのが「ぼくがね、」になった。

3歳児って、ジェンダーバイアスがほとんどかかってなくて本当の意味で、とても自由だ。自分の好きなものに正直で、面白ければなんでもあり。クレヨンしんちゃん的な笑いも流行るし、男の子がお人形もってても自然に受け入れられる。 
だから、娘は「ぼく」ということに、抵抗が全然なかった。

世の中が、3歳児みたいに自由だったら、きっともっと面白いだろうなぁ。

でも、なんで、日本は「私」だの「ぼく」だのいろんな呼び方をあえてしてるんだろう。

ふと、思う。
これが英語圏の人だったら、「アイ」一択。男の子だろうが女の子だろうが、どちらかになりたい人だろうが、皆「アイ」なのだ。あかちゃんもお年寄りも。

それが日本だと、実にさまざまな言い方がある。「私は~」「ぼくは~」「ワシは~」「うちは~」「(名前)は~」と、会話ののっけから、自分がどういうスタンスでどういう立場の人間か、表現しなければならない。 
会社にいる自分と、友達といる自分、家族といる自分と、使い分けたりもする。
暗に私はこういう人間としてあなたに接しますよーと、伝えながら話してる。

なんなら、言わない、という選択肢すらある。

なんと面倒くさい、日本語だろうか。他にそんな国はあるのかな?

そこで、あえて「ぼく」を使う、3歳児。
他者からみられる自分にきづいて、こうありたい自分が見えてきた、のかもしれない。
「ぼく」を使うことでようくんと同じ世界を共有しているのかもしれない。

小学生男子が急に「オレ」と言い出すのも、女子高生が「ウチ」とか独特の一人称になるのも、おんなじ感じかもしれない。私はあなたたちとの世界を共有してますよ、仲間ですよという。 

面白いなぁ。


今のところ、娘のまわりで、女の子なのに「ぼく」は変だよという人はいなく、皆面白がりながらも自然に受け入れてくれている。
(気にしそうな人には先回りして私からつとめて明るく伝えたりしている)。
なので、娘はどこでも気にせず「ぼく」をつかっている。


それがまたいつ何かのきっかけで他の呼び方に変化するのかな。
母は面白がりながらみていきたいなと思っている。


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