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当たり前と常識とマナーとルール

同じ大学生として考えるべき問題があった。

ことに関する詳細は各自調べてくれると分かるが、どうやら大学のとあるサークルが物を破損させてしまったということ。

ここで私が考えてたのは、

「当たり前、常識、マナー、ルール」

だった。

我々は生まれながらにして
「人の物を壊してはいけない」というルールが与えられ
「人の物を壊したら謝るべき」というマナーがあり、
「それを破ったもの(人の物を壊しても謝らない)は、非難を浴びる」のが常識とされ、
「その非難に助長しても問題ない」という一部の当たり前が存在する。

この場合のルールを守るのは理に適うことかもしれない。
しかし、マナーからはどうだろうか。再考の余地がある。

そして、今回理に適うルール自体も場合によっては懐疑的になる必要がある。

自分の芸術にもこのルールは存在しない。

自分の制作物は誰かの作品となり、新たな作品への素材となる。常に変化する作品であり、一つずつがその個人の作品となるのだ。そんな芸術には、マナーはおろかルールも存在しないのだろう。(以下映像作品)

いずれは各個人にフィーチャーする時代がやってくる。そして今はイノベーションを若年層、いわゆるZ世代に求められる時代にもあるように感じる。

果たして、ルールにさえ懐疑的になれない人たちに理想的な未来、イノベーションある世界が訪れるだろうか。

それでは。

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