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『頑張っていること』を見てくれている人がいることは嬉しいし、『頑張り過ぎていること』を止めてくれる人がいるのもありがたい。

自分では、目の前のことをやっているだけなのだけど、人にはその頑張りが伝わっている、と感じた先日の通院日。

婦人科の主治医から、「外出自粛で、体調不良を訴える患者さんが多い。」という話を聞いた。
私も、体調不良を訴える患者のひとりだ。心臓については現状維持しているので、長い外出自粛に疲れ果てている。

主治医と、「外出出来ないことが、こんなに辛いなんて思わなかったよね。」と話ながらしんみりしてしまった。

「解除まであと少しだから頑張りまー、いや、頑張りません、私。」と主治医に宣言すると、

「あなたは、頑張らなくていい。すぐ頑張ってしまうから。何でも頑張ってしまう人だから。」

と言われたのだった。

私は、自分の生活に必要な、目の前のことをこなしているだけなのに、他者から見ると『頑張っている人』と思われていることが多い。

頑張りを見てくれている人っているんだな。

と嬉しく思った。

頑張りを、認めてもらいたくて頑張っているのではないのだけど、そう見られているのは、素直に嬉しい。

そして、『私の頑張りの暴走』を止めてくれる医師が、数人いてくれることに、私はとても感謝している。

半年前くらいに、ようやく変化球を投げることを覚えたけれど、私は殆ど直球しか投げないので、他人から見るとわかりやすい人間なのかもしれない。

頑張りが、空回りしちゃったりすることもあるけれど、人から『頑張るのやめなさい。』と言われながら暴走して急ブレーキかけたりして、そんな不器用な私なんだけど、そんな自分も好きだ。

もう私は、死ぬまで『頑張り続ける人』なんだと思う。
体が変わって、体力的に無理してはいけないのはわかっているけど、
これは直らないから、時々暴走を止めてくれる人がいればありがたい。

本当は自分で、力を抜ければいいのだけど、生きるためには、頑張らなくてはいけないことがあることも事実で、バランスをとるのがなかなか難しい。

私の周りには、私の荷物を少しだけ持ってくれる人がいればいいけど、『元気な人』、『頑張る人』のイメージが強くて、体が変わってもみんなの中では変わらないようだ。

私、本当は頼りたいこともある人間なんだけど、人が話をし始めると、よく話を聞いてしまうので、相談事は今でも減らない。

頑張らない、無理しない

って決めたのに、私はいつになったら食い縛ることをしなくなり、睡眠時のマウスピースを外すことができるのでしょうか。

私が、何故頑張ってしまう人間なのかは、これから書いていくnoteたちでわかると思います。

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