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類は友を呼ぶ?と思った高校時代

私の高校時代は今考えると不思議なことだらけだった。

私は物心ついたときから自分が自分と同じ女性にしか興味がないという事に気づいて自分の体にも違和感だらけで生きてきた。

まだ4歳か5歳の頃父親と一緒に近所の銭湯に行った記憶があるけど

父と男湯に入った時にみんな下半身に飛び出してる棒がついてるのを見てなんで自分には下半身にぶらぶらしている棒が付いてないんだろう・・・?と自分と見比べていたことがある。

そう、私にはチンチンがない!そう思っていた。

そんな風に思って生きていた私を父は普通の女の子だと思って可愛がってくれていたと思う。

私はそのまま成長していき、保育園、小学校、中学校と誰にもカミングアウトできずにいた。

そんな自分の中の「なんか人とは違う感覚」をとうとう解放できる時期が訪れた。

それが高校時代であった。

そう、この高校時代は本当に不思議だった。

ドキドキしながら教室の席について初めて話しかけられた相手が私と同じ同性愛者の子だったのです。

その後その女の子と同じ中学の仲間を紹介されたのですがその子たちも同性愛者だったのです。

同じ学校になんと4人もセクシャルマイノリティがいたのです。

今まで誰にも言えなかったことが仲間がいることでパーッと世界が明るくなったのを今でも覚えています。

自分と同じ悩みを持った人がいる・・

そんなことに気づいた高校時代です。

今まで誰一人として打ち明けられなかった自分の性のことを話せる人がいる喜びは計り知れなかった、というか自分だけが変人じゃなかったんだ!ということに安堵さえした。

初めて話しかけられた女子は仮名で大田としておきますが、その子は見た目が私と同じように少しボーイッシュな感じでサバサバした性格の子だった。

放課後はファミレスでみんなでお互いのいろいろなことを話していた。

太田はなかなかモテるらしく女子と何回か付き合った経験があるらしかった。

私は

小学校、中学と気になる子はいてもそんなこと言ったら

おまえ変態!って言われるだろう・・・と

怖くて誰にも言えなくて恋するどころじゃなかった自分は

この時、太田って凄いな!とこの世界の人生の先輩だとさえ思えた。

その子の紹介してくれた男友達は斎藤(仮名)君でという子で見た目はその時はメガネのぽっちゃりした普通の男の子なんだけど話し方がちょっとお姉っぽく「こんにちは~♪」と手を振ってきて、馴染みやすかった。

その斎藤は体は男だけど心は女、そして性の対象は男性が好きな人。

私は体は女だけど心が男、性の対象が女性です。

真逆だけど悩みが同じ感覚なんです。

この斎藤とはそれからいろいろ話していくうちに音楽の趣味や好きなミュージシャンなどが似ていて話が盛り上がって

斎藤の家でほぼ毎日曲を作ったりして遊んだりするほど仲良しになった。

その時なんとなくこの斎藤はソウルメイトなんじゃないだろうか?とも思えるくらい不思議なシンクロなどが起きていた。

とにかく思ったことを言葉に同時にしたり、何の打ち合わせもないのに二人とも同じTシャツを着ていたりという事が多々あった。今までそうそうこんなに気の合う人はいなかった。

そんなこともあり私は斎藤にはなんでも打ち明けて相談できた。

恋愛の相談も女心のわかる斎藤はいいアドバイスをくれるのだった。

高校の時は私は誰とも付き合ったことはないが、好きな子はいた。

でもそれよりも同じ仲間がいるという安心感で満たされていた。

斎藤は女の子になりたいから目にアイラインをびっちりとメイクしてよく先生に目をつけられて怒られていた。

ゲイの子ってやっぱりどんなに厳しくてもそうしたい!っていう願望が強いのかもしれない。女になりたい!っていうのが斎藤から伝わってくる。

わたしもその頃は男になりたい!って思っていた時だった。

スカートとか本当に履きたくないし、いつもジャージをスカートの下に履いて歩いていた。

私の通っていた高校は偏差値40くらいですが

やたらと校則が厳しかった。

竹刀と定規を持った柔道部の先生が朝の校門前で仁王立ちして待っているのです。

まず朝からスカートの丈チェックと、髪の毛の色チャックが始まる。

丈が短い女子が来るとその場で下げられるが、生徒もそんなに馬鹿じゃないので校門の前でスカートを既定の長さに戻すのだった。

そして日に当たった髪の毛が少しで茶色いと先生に捕まり「もっと髪の毛黒くしてこい!」と言われるのです。

なんだか昔姉の部屋で読んだ漫画「ホットロード」を思い出します。笑

なんとなく昭和の漫画のような世界だった。

わたしも少しだけ髪の毛を明るくした時に先生に見つかって首根っこ掴まれて職員室に連れていかれたことがある。そして職員室の椅子に座らせられてその場で黒のスプレーをかけられたことがあった。

校則とかめんどくさーい!!

この時はさすがに学校をやめたくなった。

でも私は気が小さいので次女のように校内で暴れたりできなかった。

中退・・・したいな。

この2文字がフッと浮かんだ事もあった。

学校を辞めたくて辞めたくて母に相談したこともあった。

そんな厳しい高校時代だったけど

なんとか卒業までできたのはこの類友たちがいてくれたからだと思う。

人は弱い生き物だなって思う。でも

ただ理解してくれる人がいるだけで生きる希望って湧いてくるんですよね。

今思うとなかなかこんなに同じセクシャルマイノリティがたくさんいる学校もないんだろうなと思うと不思議なことってあるんだな・・と思うのです。

人との出会いに感謝ですね。

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