見出し画像

【私小説風な何か】水餃子とミックスナッツ

ひょんなことから、水餃子パーティーをすることになった。

2006年。今から17年前の初夏のことである。
私は当時、古典文学を学ぶ大学院生だった。

言い出したのは、同じ大学院に通う、陳さんという留学生の女性。芥川龍之介の作品を学ぶため、博士課程に在籍中だった。郷里は中国大連で、旦那さんと中学生になる娘さんを残しての単身留学だという。

「じゃあ、うちの家でやりましょうよ」

と会場を提供してくれたのは、これまた大学院生のトヨダさんという60代の女性だ。奈良の山間部にある農家に嫁ぎ、子ども達が巣立った3年前から大学院に入って、ずっと学びたかったという源氏物語を研究している。

某月某日。日が少し傾き始めた頃、山の中腹にあるトヨダ家に、老若男女8名が集まった。

餃子作り指南役の陳さん。おそらく30代。
陳さんと同期の院生でシングルマザーのリカコさん。年齢不明。
リカコさんの息子で9歳の「ぼん」。
リカコさんと陳さんの共通の友人で、バロック音楽の専門家だという「男爵」。40代の男性。
男爵の恋人・ジュリくん。専門学校生の20歳。
私、大学院生。25歳女性。
そして、トヨダさんとそのご主人(リリー・フランキー似)。共に60代。

さっそく餃子作りがスタートした。
もちろん、皮から具材まですべて手作りだ。
陳さんが、慣れた手つきで中力粉と水と塩を混ぜ合わせる。みるみるうちに粉がまとまって、大きな塊になる。それを手早く棒状にし、包丁で輪切りにしていく。あっという間に数十個の輪切りができる。

「これ、みんなで広げて皮にしていってねー。まだまだ作るからねー」

陳さんが事も無げにいう。麺棒を渡された我々は、互いの手元を盗み見ながら、見よう見まねで皮を伸ばす。均一に伸ばすのが難しいし、きれいな円形にならない。アメーバのような物体が量産される。隣を見ると、リカコさんは表情ひとつ変えずに、淡々と麺棒を動かしている。なかなか上手くて手際が良い。その隣では、なぜかスリーピーススーツで決めてきた男爵が、打ち粉まみれになりながらも奮闘している。作業台の端では、ジュリくんとぼんがキャーキャー言いながら、小麦粉の塊でスライムを作ったりしている。戦力外だ。そうこうするうちに、どうにかこうにか、いびつで大きな皮が数十枚出来てきた。

その間に、陳さんとトヨダさんがたねを作る。大連の餃子は、豚ひき肉に加え、生の海老をぶつ切りにして入れるのがお決まりなのだという。また、みじん切りにした白菜やニラは茹でずに、生のまま軽く水気を切ったら油を回しかけて水分が出るのを防ぎ、ひき肉や海老と混ぜる。味付けも、塩胡椒と中華調味料だけのシンプルなものだ。

いびつな皮に、海老がごろごろ入った贅沢なたねを包んでいく。

「形や大きさは適当でいいから、ぎゅっと口を閉じて中身が出ないようにしてねー」

と陳さん。水餃子にするので、形はいびつでもいいのだそうだ。あっという間に、60個もの餃子が出来た。

居間に戻ると、トヨダ家のリリー・フランキーが八畳間を二間ぶち抜きにして、長い座卓と座布団を設えてくれていた。カセットコンロと大鍋を2つずつ据え、水餃子を茹でる準備をする。いつのまにかトヨダさんが、大量の唐揚げを揚げ、枝豆を茹でてくれている。みんなが買ってきたポテトサラダや春雨サラダもある。おつまみのミックスナッツもある。ビールやジュースも用意され、座卓の上は瞬く間に満杯になった。障子を開ければ掃き出し窓と濡れ縁があり、夕日に照らされた奈良の山々が一望できる。

「カンパーイ!」

かくして、水餃子パーティーが始まった。大鍋にぐらぐらと沸いたお湯の中に、餃子を放り込んでゆく。数分蓋をして茹で、皮が半透明になって浮いてくれば食べごろだ。素早く大皿に取り上げる。つるんと肉厚の皮に包まれた、大ぶりの水餃子。大きさも形も区々だが、これぞ本場の家庭料理という趣だ。

火傷も構わず口の中に入れて一口囓ると、じゅわっと肉汁が滴る。ニラとごま油の香りが口いっぱいに広がる。食べ進めると行き当たる、ぷりぷりの海老の食感。最高だ。間違いなく、今まで食べたことのない、最高の水餃子である。何も特別な素材や調味料を使ったわけではないのに、いや、だからこそか、箸が止まらない。そう感じたのは私だけではなかったようで、皆「おいしいー!」と一言叫んだあとは、しばらく黙々と餃子を口に運び続ける。何もつけなくても美味しい。黒酢をつけても美味しい。からしや辣油を少しつけても美味しい。

お皿の上の餃子は一瞬で無くなった。お湯を沸かして、第2弾を茹でる。また一瞬で無くなる。第3弾を茹でる。

60個の餃子が、またたく間に無くなった。あっさりと薄味だからこそ、飽きも来ず、つるつるとまるでゼリーのように喉を通っていくのだから、さもありなん、である。

「追加で作りましょうかー」

陳さんはにこにこと台所へ降りて行く。私も、リカコさんとぼんと一緒についていく。陳さんが目分量で小麦粉と水と塩を混ぜ合わせて皮を作り始めた。魔法のような麺棒使いによって、きれいな円形の皮が、次々と手の中から量産されてくる。あまりの気軽さと手際の良さに、(日本人でいえばおにぎりを握るようなものだろうか)などと思いつつぼんやりとその手元を見ていたら、「はい、包んでねー」と、たねを渡された。20個追加。それももちろん、すぐに皆の胃袋の中へ消えた。


いつのまにか、日はとっぷりと暮れていた。

開け放った窓からは、気持ち良い夜風が入ってくる。すっかり満腹になり、お酒も進んだ面々は、思い思いの場所で談笑し、くつろいでいる。

陳さんとトヨダさんは、ビールを片手に、何やら専門的な文学談義を始めている。今この瞬間、きっと彼女たちは、“妻”や“母”といった自分の属性を忘れ去っているに違いない。でも、真剣に話していると思ったら、時折なぜか爆笑が聞こえてくる。何がそんなに可笑しいのだろう。

庭に降りたぼんは、トヨダ家の愛猫・おとど(メス・三毛)を捕まえることに夢中だ。膝の上に乗せて撫でたいのだが、おとどは逃げもしない代わりに頑なに寄っても来ない。猫特有の絶妙なディスタンスを固守している。ぼんは学校には行っていない。小学校4年生になる年齢の割には大柄で、魚や虫や動物の名前を覚えるのが得意。図鑑さえあれば、何時間でも留守番できるのだそうだ。リカコさんは、ぼんとおとどの攻防を見ながら、少し離れた場所で目を細めて煙草を吸っている。

縁側に腰掛けている男爵とジュリくんは、20歳ほど年の違う同性カップルだ。古いものが好きだという男爵は、いつもパリッとしたクラシカルな背広に身を包み、金縁眼鏡を掛けて懐中時計を持っている。存在そのものがバロックである。ジュリくんと男爵がどこで出会ったのかは知らないが、2人は時として、他者を寄せ付けない頑丈な膜の中に居ることがある。ジュリくんは、Tシャツにジーンズにスニーカーという出で立ちの、ごく一般的な男子学生だが、アイラインを入れたような涼やかな目元をしている。酔い醒ましなのか愛の語らいなのか、並んで座る男爵の手が小柄なジュリくんの肩にそっと回されている。2人の背中は映画のワンシーンのように美しく、だからこそ、どこか儚げにもみえる。

座卓の端では、トヨダ家のリリー・フランキーが、ニコニコしながら枝豆を口に運んでいる。私がビールを注ぐと、手で礼を言ってから勢いよく飲み干した。聞けば、妻が還暦を過ぎて突然大学院生になったので、今は主夫として家事全般を担っているのだという。そういえばトヨダさんも言っていた。「お父さんってば、私なんかよりもずっと几帳面なのよ。だって、苺のヘタを包丁できれいに取って器に盛りつけるんだもの。信じられる?私だったら、洗って水を切ったザルごと出すわよ」。几帳面なのももちろんだが、なんと大らかな人だろう、と思う。突然押しかけて台所を粉まみれにし、餃子を80個も作って平らげた挙げ句に、他人様のお宅で思い思いに寛ぐ妻の友人らに、イヤな顔ひとつせず付き合ってくれているのだから。この無口で温厚なご主人は、心底奥さんのことが大好きに違いない。


これだけの話である。

ある初夏の夜、老若男女が集まって、餃子パーティーをした。ただそれだけのことである。しかしなぜか、17年経った今も鮮明に覚えている。

思えば、あの夜トヨダ家に集まった8人は皆、「きっとこうだろう」「こうあるべき」というバイアスや既存の枠組を、軽やかに超越していた。性別も年齢も国籍も肩書きも役割も、少なくともあの場では、何ひとつ重要ではなかった。現に私自身も、「25歳」の「大学院生」の「女性」という自分の属性など、すっかり忘れて果てていた。ダイバーシティやジェンダーフリーなどという言葉をことさらに持ち出すまでもなく、座卓の上に広げられたミックスナッツのように、それぞれが確固たる“個”として当たり前に存在し合っていたからだ。

今でも数年に一度、あの時のレシピで水餃子を作る。中力粉を捏ねて皮を作り、海老入りのたねを拵える。味は完全には再現できないけれど、つるんと茹で上がった肉厚の餃子を噛みしめるたびに、自分という人間の足場を確かめることが出来る。そんな気がするのだ。



この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?