『ドラゴンクエストのテーマ』で行こう
世代を超えて、日本中の誰もが知っている曲のひとつが『ドラゴンクエストのテーマ』だろう。1986年に発売されたファミコン用ゲームソフト「ドラゴンクエスト」のテーマ曲であり、バージョン違いで『序曲』や『ロトのテーマ』とも呼ばれている。この曲は2020年東京オリンピックの開会式で選手入場時の曲として採用され、爽快でありながら勇気を掻き立てる旋律が多くの人々の心に響いた。また、『凱旋行進曲』のような荘厳さも併せ持っている。
『ドラゴンクエストのテーマ』がファミコンゲームのBGMとして発表された当初は、技術的な制約のため限られた音数で構築された「ピコピコ音」の曲だった。しかし、シリーズが進むにつれて壮大な交響曲へと変貌していった。もし可能であれば、ぜひ動画の曲を聴きながらこの文章を読み進めてほしい。
メインのメロディーラインはほぼ同じだが、聞く人によって様々な感情が掻き立てられる。詳しく知らない人でも、このメロディーは必ず人生のどこかのタイミングで耳にしたことがあるはずだ。
音楽、特にポピュラーミュージックは広く行き渡り、以前は学級や同世代グループで共有できる曲がいくつもあった。しかし、個人の多様化が進んだ現在では、気の合う親友とでさえ共有できる曲が少なくなっていると言われる。
DTM(デスクトップミュージック)の発展と音楽市場の世界的な規模への拡大が目覚ましい反面、曲ひとつひとつの賞味期限は短くなっている。音楽の大量生産と大量消費の渦が大規模に、そして加速度を増している。
これは音楽だけに当てはまることではなく、多様化の進展によって個人の能力や才能を発揮するステージが指数関数的に増えていることは、人類の発展の歩幅が大きくなったと言える。しかし、個人レベルでの思考のベクトルの向きや価値観も多様化し、他者や社会による正当な評価が困難になりつつある。
共有するべき文化や考えはある程度必要だ。どんなに名手揃いのオーケストラでも、それぞれが好き勝手に演奏していてはただの騒音でしかない。人類はどうしても社会性を伴う生き物であり、社会を円滑に運用するために基本理念の共有が必要なのだ。
エルガーの『威風堂々(希望と栄光の国)』がイギリス第二の国家と言われるように、『ドラゴンクエストのテーマ』もまた、日本の文化的アイコンとして、未来にわたって愛され続けるだろう。