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【SFプロトタイピング】トラウマスター

膨大な学習から無限の表現を出力するGenerative AIは、あらゆる人をクリエイターにする。
AIによるクリエイションスキルの民主化は、同時にクリエイションスキルの無効化を意味するのだろうか。
より人の根源的な部分からコンテンツを生み出させるようになったとき、それはクリエイターにとって福音となるのか。
そのひとつの可能性を思考実験するSFプロトタイピング。

「エコクロ、NETFLIXでシーズン2の制作とスピンオフの映画化も決定か」
シュウは自宅のオフィススペースでスマホのニュースフィードを眺めながらそう呟いた。
軽食を摂りながらの休憩中ではあるが、インディペンデントのゲームクリエイター兼UIデザイナーでもあるシュウにとっては、トレンドのキャッチアップもある意味仕事の一環だ。

「エコクロ」というのは「Echoes and Crossing(心の共鳴者と交差する世界)」の通称で、2年前にSNSで投稿された小説をきっかけに世の中を席巻し続けているコンテンツシリーズだ。

主人公の少女と「エコー」と呼ばれる彼女のイマジナリーフレンドの相棒との、幻想的で興味深い冒険の数々を描いた物語。主人公の心情や環境に合わせて自律的に姿形を変え、その姿に応じた様々な力で主人公を助けるエコーの独創的な能力の発想と、現実世界の複雑な人間関係がメタファーとして投影された冒険世界の繊細な描写が高い評価を得ている。
ストーリーの後半、幾多の冒険を経て主人公とその心が生み出したエコーとの間には強い絆が結ばれるが、同時にその成長はやがて訪れる互いからの自立を予感させていく。互いにかけがえのない存在だからこそ、心を分つような痛みに耐えながらも、エコーは幻想の世界に、主人公は現実の世界へと帰っていくラストシーンは、老若男女を問わず感動を呼んだ。

伝説となったこの物語は、瞬く間に多くのメディア展開がなされ、2000年代以降初めての国民的ヒットと呼ぶに相応しいコンテンツとなった。

確かに「Echoes and Crossing」の出来は見事だった。既視感を感じさせない独特な設定のバランスと、読む人の心の深層を静かにかき混ぜるような筆致。仕事柄こういう類のエンターテインメントには一家言持っているシュウにとっても、自身のオールタイム・ベストに迷いなく記するお気に入りの作品だ。
スマホがエコクロの新作映像化のニュースを通知してきたのも、そのシュウの興味嗜好を反映してのことだろう。

Generative AIの進化は、誰もがオリジナルのコンテンツを無限に生成できる世界をもたらした。
コンテンツ生成のためのインプットは進化を経るごとによりダイレクトになり、やがて、Chat AIとの対話を通して過去の体験や自分の価値観をそのままAIにインプットすることで、自分の感情が最も動きやすいストーリーを生成ジェネレイトできるようになった。
自分の、自分による、自分のためのコンテンツ。究極のパーソナル・テイラーメイド・コンテンツだ。

その嗜好の超個別最適化の潮流は世の中からヒットや流行という事象を激減させたが、パーソナルな体験をもとに生成されたコンテンツでも、中には普遍的な共感を呼ぶものや、見た者に非常にエモーショナルな情感をもたらすものもある。無数のコンテンツ生成とその淘汰の果てに生まれたそれらは、時に爆発的な人気を博した。

一方で、これはGenerative AIがすでに大きく変えつつあった創作プロセスに決定的な変化を与えた。
つまり、強烈な原体験やトラウマを持つ人の方が魅力的なコンテンツを生成できるようになったのだ。
クリエイションにおいて人々は、創作のスキルやセンス、プロンプトエンジニアリングの巧みさより、個人の持つ特別な体験を最重要視するようになっていった。

「Echoes and Crossing」はまさにその流れを決定付けた一作である。

匿名でSNSに投稿した作者、15歳の少女「ソラ」の存在は熱心なファンによってすぐに特定され、同時にどこからか彼女の悲劇的な境遇も明らかになった。
幼い頃に事故で両親を亡くし養護施設で育ったこと。そしてその不幸な経験からか、同年代の子供よりどこか達観したような雰囲気を持つソラは、地方の小さな町の小さな学校という世界の中で異質な存在として疎外され、それは徐々に直接的な暴力を伴う苛烈なものになっていったこと。

「Echoes and Crossing」は、彼女がそれに耐えながら、密かに自身の中で育てていった空想が生成の元になっていると言われている。

話題が加熱する一方で、いくつも商業化されその人気が確たるものになった後も、ソラは一切のメディア露出も公式コメントもしなかった。
そのミステリアスさも相まって、彼女は「トラウマスター」と呼ばれ、神格化されていった。

クリエイターでもインフルエンサーでもない、新たな時代のスター像となったトラウマスターに憧れる者は多い。
しかし、誰もが持たない特別な原体験だからこそトラウマスターをスターたらしめているのであって、なりたいからといって過去に戻って体験を作ることはできない。

そこで彼らが試みたのは、自己暗示による擬似的な原体験の生成だった。
やり方はこうだ。まず、ありふれた陳腐な体験を種に、Chat AIとの対話によってそれを誇大に解釈して膨らませていく。そして、その肥大化させたストーリーをもとにGenerateve AIでドラマチックな没入型イマーシブムービーを生成する。さらにその映像体験を題材にカウンセリングAIとセッションを繰り返していく――。

そうして意図的にその肥大化させたストーリーこそ本当の体験だと自分に信じ込ませることで、ドラマチックな偽の原体験を獲得するのだ。
彼らは「ブレインウォッシャー」と呼ばれ蔑まれたが、試みる者は後を絶たなかった。

そんなトラウマスターになるための様々な試行錯誤が珍しくなくなって久しいある日、衝撃的な事件が起こった。

家族で朝食を摂っているなんでもない平日の朝、先に朝食を食べ終えた12歳の少年が、いつも通り「ごちそうさま」と言って食器を下げた後、おもむろに台所から包丁を持ち出し、食卓に着いている妹と母親を刺し殺そうとしたのだ。
すぐに母親に取り押さえられたため幸い事件は未遂に終わったが、母親は手に15針の大怪我を負った。
これまで学校でも家庭でも何の問題もなく、どちらかというと穏やかで物静かだと思われていた少年が突如起こしたこの事件。少年は警察の聴取に際して淡々とこう述べたそうだ。

「本物の特別な体験が欲しかった」

実際に他人を傷つける凶行は、自らの中だけで妄想を増強することとはわけが違う。この事件は界隈に大きなショックを与えた。

エコクロ旋風以降、すっかり下火になっていたAI規制派たちはここぞとばかりに主張の声を挙げ、教育関係者やアナログクリエイターの同調を煽りながら、その声を次第に強めていった。
やがてABCやBBCなど海外の放送局でもニュースとして取り上げられ始めると、さらに大きな議論を呼び起こし、AI規制は今や世界的なアジェンダになりつつあった。

AI規制はシュウにとってもまったく他人事ではない。仕事であるゲーム制作もUIデザインも、もはやその存在なしでは成り立たないほどプロセスをAIとの協働に最適化してしまっていたし、何よりエンターテインメントに携わるひとりとして、今後エコクロのような素晴らしいコンテンツが生まれる可能性を閉ざしてしまうことは身を切られるほどにつらいことだった。

このままではAIが規制されてしまう。いったい僕に何ができるだろうか。

しばらく考えた後、あのエコクロの伝説の始まりにあやかるように、シュウはひとつのタグを載せたポストをSNSに投稿した。
タグは「#IBE」。「Imagination Beyond Experience(想像力は実体験を超える)」という意味だ。

「想像力だけで、トラウマスターより魅力的なコンテンツを生み出せることを証明しよう」

皮肉なことに、このレジスタンス活動にはブレインウォッシャーのやり方が役に立った。
ブレインウォッシャーたちがインプットするありふれた体験談の代わりに、イマジネーションを種として、Chat AIとの対話を通してストーリーを磨いていくのだ。

最初は小さな灯火だったこの草の根の活動は、少しずつでも着実に同調者を広げていき、クリエイターたちは「Imagination Beyond Experience」のスローガンのもとに連帯し始めていった。
そうして磨かれたストーリーをもとにまた別のクリエイターが想像を広げ、それをまたAIと磨いていく。
希望を込めたクリエイションが連鎖していく。

遠く海を隔てた自室で事件を知ったソラは、苦しんでいた。
彼女自身には何の意図も責任もないとはいえ、自分が生み出した創作がこれほどまでに人に影響を与え、巡りめぐって結果的に見知らぬ少年とその家族の人生を狂わせてしまったことに、彼女は誰よりも心を痛めていた。

何せ、あの物語は本当はトラウマからAIで生成したものではなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のだから。

最初は、ノートの片隅に描いた小さなイラストに過ぎなかった。
灰色の生活の中、手慰みに描いたその落書きに妙な魅力を感じたソラは、その子に「エコー」と名前を付け、空想の中で一緒に遊ぶようになった。
つらい現実から逃避するように、あるいはたったひとりの大切な友人を慈しむように、ソラは次第にエコーと過ごす時間に没頭していった。鬱屈とした現実も、それがエコーと過ごす世界をつくるインスピレーションの糧になるなら耐えられた。
「Echoes and Crossing」は、そのイマジナリーフレンドとの何年にもわたる手書きの冒険日記だった。

元々小説の投稿自体、ほんの出来心によるものだ。
誰に読んで欲しいわけでも、ましてや有名になりたかったわけでもなく、そっとインターネットの海にボトルを流しただけ。本当なら、誰にも気付かれずにそのまま忘れ去られるはずだった。
SNSにポストする際に「AI」のタグを付けたのも、匿名性を高めるカムフラージュ程度の思い付きでしかなかった。

しかし、ソラの意図とは裏腹に、匿名でひっそりとSNSに投稿されたその小説は、最初のいくつかの偶然のリポストを経た後、爆発的に広まった。匿名とはいえ、何の覚悟も用心もしていなかった分、作者であるソラの存在もすぐに特定されてしまった。
ソラは、思いがけない反響と注目に怯えた。

本当はすぐにGenerative AIによる生成物ではないと言うべきだったのかもしれない。しかし、日ごとに加熱する反響でパニックになり、釈明するタイミングを冷静に図ることなどできなかったし、何よりそれ以上何かアクションを起こすことが恐ろしくなってしまった。

もともと執着するような友人や生活もない。彼女の身元後見人として養母代わりになってくれた養護施設の院長が、窮屈な日本を離れて生きるいい機会だと背中を押してくれたこともあり、ソラは彼女に莫大な印税とその管理を託し、逃げるようにロンドンの高校に進学を決めたのだった。

それがまさかこんなことになるとは。

エコーとの冒険の日々は、紛れもなく彼女の生きる支えだった。
自分があの小説を書いたのも、エコーという親友を与えてくれたことの感謝を、神様にただ伝えたかったからだった。
なのにそれが、喜びも悲しみも含めた生の躍動こそを描いたはずの物語が、誰かの命を奪いかねない事件のきっかけになってしまうなんて!

去年日本を離れてから、ソラは一度も物語どころか詩の一片すら書いていない。何かを生み出すことであんなに怖い思いをするなら、もう二度と何も書くつもりはなかった。書かなくたって、エコーは私の中にいる。

それでも、「#IBE」のタグを目にしたとき、彼女がやるべきことはひとつだった。

「本当にAIがそんなに強いコンテンツを生み出せるなら、どうか力を貸して――」

ソラは祈るようにそう呟くと、Chat AIを立ち上げて新たな物語をキーボードに打ち込み始めた。

Credit
Idea & Author: Yuki Takai (SandS)
Edit: ChatGPT
Illustration: DreamStudio

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