女剣士の絶望行 一章 蕾む菊の花 8話 剣舞 5

「さあさ! さっそく豊蕾フェンレイの剣舞じゃ! 皆も期待しておったであろう? 楽しむがよい!」
 壇上の王が観客に向けて大きな声を張り上げた。皆、待ってましたとばかりに盛り上がりを見せる。
 まさか男たちの気分に合わせて私の出番を早回ししたわけじゃないよな? 腕や脚を露わにしているのが恥ずかしくなってきた。
 まあ、真意はわからない。実は菊花ジファ様のためなのかもしれない。
 玉座に座る菊花様の方を見上げる。彼女は私をその大きな漆黒の瞳でじっと見つめていた。その不安気な表情を見ると、私はこれから菊花様のために舞うんだという気持ちが高まる。
 鞘に収まる緋色の剣の柄を握りしめ、壁際から歩み出た。私が菊花様を勇気付けてみせる。そう心に決めた。

 中央に立つ。まず壇へ一礼をし、それから剣を鞘から抜く。炎の紋様が彫られた刀身が、陽光を受けきらめく。その瞬間、会場が静まりかえった。
 剣の切っ先を床に向け、腰を落とす。そして、姿勢を正す。

 三つの鼓が同時に鳴り響く。
 左腕を腰だめに、剣を持つ右腕を前に突き出し、剣を横に寝かせる。
「はっ!」
 掛け声とともに左足を踏み込み、体を右に捻り、剣を横に振りぬく。
 右足を軸にして、回転。自慢の回転斬りは四方に刃風を飛ばし、観衆の目を釘付けにする。襟巻がはためくなか、拍手が上がった。よし。
 再度、鼓が鳴る。頭上で振り上げて勢いをつけ、前に突き出し、縦斬り。すると鼓が拍子を刻む。それに合わせて、剣を続けて振るう。
 流れるように斬りを連ねる。襟巻がなびきながらついてくる。
 初めは実戦向けではないと思っていたこの動きも、このまえ睿霤ルイリョウにぶつけたことによって、これも私の力になるものなのだと知った。だからあの後もひたすら練習を繰り返した。
「やあっ!!」
 体を捻って剣を振れば、剣が空気を切り裂き、轟音が響いた。習い始めの頃とは比べ物にならないほど、動きにキレが増していると思う。
「たぁっ! はぁっ! やぁっ!!」
 回りながら、横薙ぎ、斬り上げ、袈裟斬り。どれもが鋭く、音を立てて空気を裂いた。
 飛び跳ね、回し蹴りを繰り出しながら、剣を逆手に持ち替える。両腕を閉じて着地。そして開き、矢のように速い突きを放つ。
 逆手での攻撃は切っ先が遠くに届きにくいため、実戦では使ってこなかった。だが剣舞の練習を通し、今では慣れたものになった。直線的で速い逆手の斬撃は、嫌いじゃない。
 逆手のまま、右、左と横に斬る。そして左下に刃を振り下ろしながら屈み、足払い。そのまま体を回転させつつ立ち上がり、蹴りを見舞う。視線が集まるのを肌で感じる。
 ここで踏み出し、屈んで、跳び上がる。 下から上へ斬りつける!
「やぁぁっ!!」
 息を吐き、渾身の一撃を放つ。切っ先に強い遠心力が乗り、強力な斬り上げが放たれた。その勢いで宙返りをする。襟巻が山なりに翻った。
 着地。鼓が二度鳴る。拍手が鳴り始める。が……終わりじゃない。屈みながら、最後の一閃のために力を籠める。

 この技には強い思い入れがあった。はじめて私の手で編み出した技。
 格上の保星パオシンを破り、また、皆に見せれば称賛を得られたそれ。

 体を開くように力を開放。視界が横に流れる。頭へ重い負荷がかかった。
 一瞬。その回転斬りは、さっきよりも速く、鋭い。
 空を滑り通った刃はもはや風すら感じさせない。襟巻はふわりと静かに下がっていく。ただただ純粋な鋭さだけを残し、目の前を過ぎ去った。
 その速さと美しさからか、上がっていたはずの拍手は止まり、会場全体が言葉を失っていた。
 右に振りぬいた姿勢で私は静止していた。
 この極まれし技で、私は菊花様を護り抜く。それを見せつけたのだ。

 間をおいて、拍手がぽつりと聞こえてきた。波となって広がってゆく。
「見事じゃ!」
 王がそう叫ぶと、割れんばかりの歓声が湧き起こった。
 姿勢を解いた。一息ついて、礼をしようと壇上に目を向けると、菊花様がこちらを見ていた。目が合うと、菊花様は微笑んだ。私は胸を撫で下ろす。菊花様の笑顔を見て、安心した。
 破顔した王は席から身を乗り出させると、菊花様に何か言いながら、彼女の肩を押した。すると菊花様は大きく頷き、すっくと立ちあがり……なんと、こっちに向かってきたではないか!? 驚きのあまり動けずにいると、菊花様は私のすぐ目の前までやってきた。そして私を見上げ、にこりと微笑む。その表情はとても可愛らしく、花のようで……。いや、今は見惚れている場合じゃない! 次の演目が始まってしまう。
「菊花様、お席にいないと……」
「いいえ」
 私の目を、見つめてくる……。その漆黒の瞳は美しく輝いていた。まるで宝石のようだ。すっかり、吸い込まれてしまう。
「素晴らしい! 美しさだけではなく、己が強さまで示してくれようとは! 実に天晴れであるぞ!」
 王の声が響き渡り、それに呼応するように再び喝采が起こる。王からのお言葉に対し跪いて応えようとしたが、菊花様が私の手を取っては、目の前に持ち上げ、両の手で包むようにして握るものだから……ああ、菊花様の眼差しが、熱い!
「ではな……豊蕾、よく聞くがよい。お主にはファンの姓を名乗ることを許す!!」
「……黄? なんだって……!?」
成龍チャンロン!? 何を言っておる!!」
 女の声の方を見ると、王妃が王に掴みかかっていた。しかし王はその手を振り払うと、私に視線を向ける。
「……え? あ、あの?」
 突然のことで状況が呑み込めない。なにせ……黄は、彼ら王族の姓だからだ! それをいきなり許すなどと……正気の沙汰とは思えなかった。周囲の声もどよめきの色を帯びる。王が咳払いをした。それによって、ざわめきは収まっていく。
「豊蕾よ、儂の言葉を聞けい。そなたは剣の技を磨き……それは腕利きの男にもまさるというな。それに儂の剣舞のすすめに素直に従い、見事に舞い切る胆力もある。よって……」
「よって、ではない!!」
 王妃の怒号が飛んだ。
「このような下賤な者を、王家に加えるなど! 認められるわけがなかろう!」
百麗パイリーよ。お前は、高貴な身でありながら平民出の儂を受け入れてくれたではないか。それと同じことじゃ」
 王の落ち着いた声が返ってくる。それでも納得できないのか、王妃は歯ぎしりをしていた。王はそんな彼女を宥めるように言葉を続ける。
「時代は変わるのじゃ。儂がその象徴となる」
 王妃に優しく微笑みかけたあと、王は部屋全体を見回した。
「皆の者、聞いてほしい」
 会場が静まるのを待ってから王は続けた。
「今、この世は乱れておる。ひとつの国が統一を成しても、またすぐに分裂する。そしてまた別の国ができあがる。民もまた、不安に駆られ、互いに争う始末じゃ。そのようなことは、もう終わらせよう。これからは皆で助け合っていかねばならん」
 皆が王の言葉に聞き入っていた。
「そのためには、身分や血筋などに囚われず、国同士、互いに認め合いながら、世を治めなければならんのじゃ!」
 その言葉に周囲が一斉にざわつきはじめた。これまでの常識を覆す発言なのだから無理もないだろう。私も少し驚いたくらいだ。
 他国の民に恨みを抱く者は多い。これまでの歴史で積み重なってできた憎しみは簡単に消えるものではないからだ。今も貴族たちから疑問の声が王子らに浴びせられており、その従者が困り顔で対応しているのが見えた。

「納得しがたいのは承知しておる! 儂の代でどうにかできることではないわい。まずは第一歩として……ひとりひとりを受け入れることから、始めてみんか?」
 つまりは、血のつながりのない者に王家の姓を名乗らせることで、王族は平民と身分の垣根を越えて接し、将来は他国とも協力し合い、平和な世の中を目指すという話なのか。これはまさに革命的なことだと言えるだろう。今まで当たり前とされていたことが変わっていくのだ。反発も当然あるだろうが……。
「この考えに賛成してくれる者はおるか!?」
 しんと静まり返る室内。誰もが互いの様子を窺っているようだ。そんな中、最初に声を上げたのは……。
「わたしは、賛成です!!」
 なんと、目の前の菊花様だった。その小さな体で、精いっぱい声を張っていた。皆の注目を集めた菊花様は、その視線に気づき、怖気づいたかのように体をこわばらせた。私の手を包んでいた両手が離れる。
 自身の意志を示すのを、菊花様は苦手とされていた。それはこれまで虐げられる立場であったせいだ。だがそれはもう断ち切られたはず。それに、昨晩彼女は言っていた。自身の意志を示せるようになりたいと。
「大丈夫ですよ」
 菊花様に囁いた。顔を上げた菊花様に頷いてみせる。菊花様は嬉しそうに微笑んで小さく頷き返した。
「はい……」
 小声で私に返事をしたあと、周りを見回す。今度はしっかりとして落ち着いた声で話し始めた。
「わたしも、賛同いたします。豊蕾は……とても優しい人です。いつもわたしを支えてくれています。そして強く気高い心の持ち主でもあります」
 彼女の言葉に、人々は耳を傾けていた。緊張のためか頬が紅潮している。彼女は一呼吸おいてからさらに続ける。
「豊蕾は……隣国の王家に攻め入ったとき、その国の王族の、母と子を……生かしました」
 するとまたざわめきが聞こえ始める。王の言葉の時と一緒だ。やはり、憎き他国の王族を見逃したことは、彼らの印象をよくしないのだろう。
「それを良しとしないと言う人もいると思います……でも……!」
 菊花様は両手の拳を握り、顔を上げて言った。
「豊蕾のしたことは、正しいのです! 敵国であっても、そこにはわたしたちと同じ人がいます! 人を無暗に殺めていては、争いは終わりません!」
 場が静まりかえった。人々の視線が菊花様に注がれているのがわかる。そんな空気をものともせず、なおも話を続ける彼女からは強い意志を感じた。
「ですから……皆で、手と手を取り合って生きていくべきなのです。そのためには……豊蕾が必要なのです!」
 菊花様がそこまで言って深くお辞儀をする傍ら、私はその言葉に心を打たれていた。彼女がこんなにも私のことを想ってくれていたのだと思うと、目頭が熱くなるのを感じた。菊花様の言葉が心に染み入り、私は胸が一杯になる思いだった。

「よく言った! 菊花!」
 王が立ち上がり、拍手を始めた。それは瞬く間に広がり、盛大なものになった。場内の人々の視線は全て菊花様に向けられている。先ほどまでの疑惑に満ちた視線とは違うものだった。全員が王と菊花様の意見に納得しているわけではないだろうが、それでもこのように拍手を送ってくれるというのは、菊花様の真剣な気持ちが届いたからに違いない。
 ついに菊花様は、自らの意志を皆に示したのだ。きっとこれが、彼女にとって大きな進歩なのだと思う。

 拍手の中、お辞儀を解きざまに菊花様は駆け寄ってきた。
「……豊蕾!」
 私の胸に飛び込んできた彼女を受け止める。彼女の体温を感じるとともに、私の鼓動も高鳴っていった。彼女の背中に手を回す。彼女の栗色の髪に触れるだけで幸福感に包まれるようだった。ああ、なんと愛おしいことか!
「菊花様……」
「言えました……わたし……」
 胸の中で、くぐもった声が聞こえる。表情は見えないが、きっと嬉しそうな顔をしているに違いない。それが容易に想像できて微笑ましくなると同時に、彼女の成長を目の当たりにして感動を覚えた。
「ええ、ご立派でした」
「嬉しい……」
 抱擁を解くと、彼女は頬を赤らめながら、潤んだ瞳で私を見つめた。さっきと同じように……。
「豊蕾。わたしと同じ、黄の姓を名乗ってくれますか?」
 不安そうにそう尋ねてきた彼女に、私は頷くことで応えた。それを見た菊花は、満面の笑みを浮かべたのだった。
 私はユイ家の武人だ。だが、その名を捨てることへの抵抗はもはや無かった。だって、菊花様が私を必要と言ってくれたのだから。
 周りに聞こえぬよう、小声で言った。
「我が生涯をかけて、あなたをお護り致します」
 互いに微笑みながら見つめ合っていた。私は菊花様に心を奪われていた。

「さあ、次は踊り子の舞じゃ! 豊蕾の祝いもかねて盛大にやろうぞ!」
 王が立ち上がって宣言した。それを聞いた人々の間に歓声が上がる。
 なんと、粋な計らいだろうか。私の演目を踊り子たちより先にしたのは、私などを踊り子たちに祝わせるためだったのか。
「豊蕾、わたしと一緒に壇上へ行きましょう」
「そ、それはさすがに恐れ多いですよ……」
 菊花様はそう勧めてくれるが、恥ずかしくなり周りを見回した。
 玉英イイン鈴香リンシャンを見つける。なにやら鈴香が涙をこぼしていて、その背中を玉英がさすっていた。どうした……?
「わたしは、豊蕾と一緒が良いです……」
 菊花様の声にハッとする。上目遣いで見つめてくる彼女の顔を見ると、思わず抱きしめそうになったので慌てて自制した。
「わ、わかりました……では、お供させて頂きます」
 咳払いをして返事をすると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 扉が勢いよく、音を立てて開いた。ずいぶんと乱暴な開け方だな。
 踊り子の入場を見るために、皆が注目する。 
 皆が見たのは、けたたましく足音を鳴らす、素早い黒影だった。入ってきたのは踊り子ではなかった。

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