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祖父の思い出 前編

前回の投稿で、父母との話を書いたのですが、書いているうちに当時のことがいろいろと思いだされてきました。

今回は、“不動産投資に至ったわけ”からは逸れてしまいますが、書きたい気持ちが抑えられなくなったので、少し寄り道をしてみたいと思います。
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父方の祖父は、今から1年程前に亡くなりました。
亡くなったのが92歳だったかと思うので、大往生と言えるでしょう。

祖父は、大正生まれ。予科練から航空隊に入り中国へ渡りました。
終戦後、着の身着のままで日本に戻った祖父は、親戚の工場を手伝い、見よう見まねで仕事を覚えていきました。
その技術をもとに就職、そして独立。
私の父や叔父、それに元の会社から引き抜いた職人とともに会社を立ち上げたのでした。
当初はずいぶん苦労もしたようですが、私が物心ついた時には売上が数億、従業員も数十名が在籍する、立派な中小企業の社長となったのでした。

祖父は、大酒飲み、たばこもバカバカ吸い続けたのに、どこも体を悪くしない、頑強な人でした。
けんかっ早いところもあり、飲み屋で暴れては警察官のご厄介になったこと、戦友の保証人になって多額の借金をかぶったことなど・・豪快なエピソードは数えきれないほどの持ち主。
しかし私の知っている祖父は、すっかりと落ち着いた好々爺といった感じでした。たまに見せる鋭い眼光にドキッとすることもありましたが。

父は認知症が進んでいた祖父に代わって、祖父が亡くなる2年ほど前から財産整理を始めていました。
高齢者施設に入ったことで、使わなくなった祖父の自宅の売却なども行っていました。
旗竿地だった祖父の自宅は少し売却に難航しましたが、1年ほどで買い手が決まりました。売却が決まったときの心底ほっとした父の表情が思い出されます。

自宅の売却が決まったころから、祖父の食がめっきりと細くなってきたということでした。
祖母が安心して暮らせるだけのものを残せたことで、残る仕事は自分の最期の身の処し方だけだと思ったのかもしれません。
自分の死さえも客観視できるような、強いメンタルの人でした。

そして・・

自宅の売却が決まってから1年もたたずに祖父は亡くなったのでした。

葬式の時、棺の中で横たわっているの祖父の遺体を見ながら、私はある出来事を思い出していました。

それは、まだ祖父が元気で、私が小学4年生の頃のことでした。

中編へつづく


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