創造論と生物進化論の歴史

創造論と生物進化論の歴史


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◆アナクシマンドロス(前611‐前547)
Anaximandros
「自然発生説」(Spontaneous generation)を最初に提唱した。

◆アリストテレス(前384-前322)
Aristotle
世界は始まりも終わりもなく絶えず変化し続けている。地形は長い時間をかけて変化してきた。陸と海は絶えず入れ替わり、山地で見つかる海生生物の化石は海が陸になったことを裏付けていると考えていた。また、ほとんどの生物は親から生まれるが自然に湧く生物もある、と考えた。これが生命の「自然発生説」のはじまりである。海底の泥からイカやタコが湧き、腐食する土や植物から小さな昆虫が発生すると考えた。

◆アレクサンドリアのフィロン(前20頃-後50頃)
Philo of Alexandria
『創世記に関する質疑』(Questions on Genesis)
ノアの洪水の史実性を疑わなかったが、寓意的な意味の探究を重視した。ノアの洪水は地球規模のものとも、地中海の範囲に留まるものとも述べている。

◆ケルソス(前25頃-後50)
Celsus
ギリシア哲学者、反キリスト教
ノアの洪水譚はユダヤ人が異教から借用したもの、方舟に全ての動物のつがいを乗せることは不可能と考えた。

◆オリゲネス(182-251)
Origenes
寓意的解釈
創世記は寓意的に解釈すべきだとケルソスに反論した。ギリシャ神話は比喩と認めるのであれば、ノアの洪水は文字通りに解釈することを求める必要はない。洪水譚に表される寓意の価値は史実に劣らない。ノアはキリストの降臨を予示し、動物と方舟はキリストの国と教会を表す。方舟の三層のデッキは天国と地上と地下を象徴する。

◆アレクサンドリアのクレメンス(150頃-215)
Clemens
信仰と理性は同じ価値がある。自然の真理を理解することは、神の理解を深めることになる。世界は創造主に反するようなことをする訳がない。キリスト教徒は真理を理解するためにあらゆる知識と論理と理性を活用すべき。

◆アウグスティヌス(354-430)
Aurelius Augustinus
理性に反する聖書の解釈を信奉するのは危険だと警告した。教会の伝統的聖書解釈と矛盾する自然科学の証拠が出てきた時、聖書の言葉を持ち出して議論してはならない。むしろ聖書と自然の創造者は同じなので、自然界の知識と照らし合わせて、聖書を柔軟に解釈すべき。
ノアの洪水は地球規模と信じていた。動植物の化石は大洪水の証拠と考えた。

◆ヒエロニムス(340頃-420)
Hieronymus
聖書の文字通りの解釈は読み書きのできない大衆用で、寓意的な解釈は知識階級の聖職者用とみなした。
ウルガタ訳で、創造記3:17のアダマを「土:フムス」でなく「大地:テラ」と誤訳したことで、神の呪いが地球全体に及んだという誤解釈が生まれた。

◆トマス・アクィナス(1225-1274)
Thomas Aquinas
スコラ哲学者
キリスト教は不滅なので、聖書と矛盾する自然哲学(科学)の結果に直面しても、科学の発展により妥当な解釈を待つことができる。神は理性を創造し、人間に真実を判断する能力と、その判断を受け入れるか否かの自由意志を与えた。

◆化石は鉱物
ルネサンス期、岩石の中に見つかる化石は、生き物の形によく似た鉱物であると考えられた。地球そのものが生きていて、鍾乳石が成長するならば、化石も岩の中で成長するのではないかと考えられていた。


◆レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)
Leonardo da Vinci
ノアの洪水説に疑念を持っていた。水流が堆積物を運ぶ様子を観察すると、水よりも重い化石などの物質は流れの底に沈んでしまうので、太古の貝殻が山まで運ばれることはあり得ないと考えた。また、高山の岩石に見られる貝の化石は海水面が高かった時代に堆積したものと考えた。

◆マルティン・ルター(1483-1546)
Martin Luther
プロテスタント・ルター派(ドイツの宗教改革者)
聖書主義、字義的解釈
1535-45『創世記講解』(Commentary on Genesis)
聖職者階級のスコラ哲学に反旗を翻し、聖書(創世記)は寓意や比喩的に解釈すべきでなく、文字通りに解釈すべきと論じた。
ノアの洪水については、大陸は浮力で浮かんでいて、神が浮力を無効にしたことで大陸は海に沈み、地球規模の大洪水となった。洪水前は地表は平坦だったが、大陸が海底から上がる時に、現在の山谷のある皺のある地表ができた。平坦な地形は神の恵み、険しい山谷は人類の堕落に対する神の裁きの爪痕だと見なしていた。

◆ジャン・カルヴァン(1509-1564)
Jean Calvin
プロテスタント・カルヴァン派(スイスの宗教改革者)
聖書は文字通りに解釈すべき。ただし、ルターとは対照的に、洪水の後でも世界は元の姿をおおむね残していると考えた。ノアの洪水は地形を激変させた天変地異ではなく、堕落した世界に対する穏やかな修復作業だったと考えた。また化石を洪水の証拠とは考えなかった。カルヴァン派は自然科学の研究を推奨した。

◆ニコラウス・コペルニウス(1473-1543)
Nicolaus Copernicus
ポーランドの天文学者
地動説
1543年『天体の回転について』(De revolutionibus orbium coelestium)
伝統では天動説が信じられていた中、地動説を説いた。カトリックと諍いを避けるため、出版監督は「内容は事実でなく、推測に基づく仮説だ」と著者に無断で付け加えた。そのため教皇の怒りを買うことはなかったが、プロテスタントのルターとカルヴァンは地動説を異端視し、激しく非難した。

◆ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)
Galileo Galilei
イタリアの天文学、物理学者
1589 ピサの斜塔での実験。落下の法則を発見。
1597 ケプラー宛の手紙で地動説を支持する表明。
1609 望遠鏡を改造し、天体観測を行う。
1610 『星界の報告』。木製の3つの衛星を発見。ガリレオ衛星と呼ばれる。
1613 『太陽黒点論』
1616 第一回目の裁判で有罪判決。以後地動説を唱えないよう命じられる。教皇庁はコペルニクスの地動説の書を閲覧禁止にする。
1632『天文対話』(Dialogue of the Two Chief World Systems)…地動説の解説。
1633 第ニ回目の裁判で再び有罪判決、異端を認める。終身刑を言い渡されるが、直後に減刑される。名言「それでも地球は動く」。
1638 『新科学対話』

◆ジェームズ・アッシャー(1581-1656)
James Ussher
アイルランドの司教
1650年『旧約聖書の年代記』(Annales Veteris Testamenti)…アッシャーの年表(Ussher chronology)
…ノアは紀元前2349年12月7日の日曜日に方舟に乗った。天地創造は紀元前4004年10月23日の日曜日。

◆ルネ・デカルト(1596-1650)
René Descartes
フランスの哲学者
1644年『哲学原理』(Principia philosophiae)
ノアの洪水も自然の原理(物理法則)に従っている。
地球の起源については、隣接する恒星の渦に取り込まれて恒星になり損ねた星が地球となった。原始地球は幾重の層を持ち、中心の核は火の玉のように熱く、その周りを金属を多量に含む内殻が覆っている。その外側に海が覆い、外殻は岩石、砂、泥で成る大地である。海水は徐々に蒸発して外殻と内殻の間に空洞が生じる。空洞ができたために重力に耐え切れなくなった外殻に亀裂が生じて、内側の海の中に崩落する。その衝撃で大洪水が起き、山谷が形成された。

◆アタナシウス・キルヒャー(1601-1680)
Athanasius Kircher
イエズス会の神学者。ヒエログリフの研究で有名。
1638年、ヴェスヴィオ火山に登り噴火口を調査した。
1644-78年『地下世界』(Mundus subterraneus)
火山の地下深くにある「炎の運河」が海底の穴から海水を押し上げ、山地の泉に水を供給しているとし、水循環の概念を説いた。
1675年『ノアの方舟』(Arca Noe)
神は地下にある広大な潮をあふれさせて洪水を引き起こした。地球の外殻が割れて、大きな塊が地下の湖に落ち込み、海底や低地に砕けた岩が幾重にも積み重なった。山地は崩落した外殻の残骸である。

◆イサーク・フォシウス(1618-1689)
Isaac Vossius
オランダの神学者
地球規模の洪水説否定、局所的洪水説
・高い山を水没させるには水の量が足りない。
・アダムからノアのわずかな世代では、地球全体に人類は広がらなかったはずなので、地球規模の洪水を起こす必要性はない。
・古代人は一地域を指すのに「全地」と誇張表現を使うことがある。

◆エドワード・スティリングフリート(1635-1699)
Edward Stillingfleet
英国国教会の主教
1666年『聖起源』(Origines Sacrae)
局所的洪水説を支持
地球の全降水量を算出して、それで地球を覆ったとしても50センチに満たないと論じた。ノアの洪水が当時人類が住んでいた中東地域だけなら、その地域の動物だけ乗せれば良いし、動物たちに食糧調達に奇跡を持ち出さなくても済む。

◆フランチェスコ・レディ(1626-1697)
Francesco Redi
イタリアの科学者
1668年『昆虫の世代についての実験』(Esperienze Intorno alla Generazione degl'Insetti)
かつてアリストテレスは自然発生説を主張していたが、レディは蛆の自然発生説を実験により反駁した。当時、腐敗した肉から蛆は自然発生するとされていた。そこで腐敗した肉を入れたビンに蓋をしたものと、蓋をしないものと分けて実験をしたところ、蓋をした方のビンには蛆は湧かなかった。

◆ニールス・ステンセン(ニコラウス・ステノ)(1638-1686)
(Niels Steensen,Nicolas Steno)
デンマークの科学者、司教
1669年『固体の中に自然に含まれている固体についての論文への序論』(プロドロムス)
(De solido intra solidum naturaliter contento dissertationis prodromus)
グロッソペトラ(舌石)(Glossopetrae)は、サメの歯だと解明し、化石は鉱物でなく生物の死骸であることを明らかにした。生物の死骸が岩石中に埋め込まれたのは、海底で堆積した地層によるものと論じた。

「地層累重の法則」を発見
第一の法則…堆積物の一番下の層は最初に堆積したもので、したがって一番古い。
第二の法則…堆積層は水平に堆積する。

フィレンツェ周辺の地形形成の6段階仮説
①化石を含まない堆積岩が原初の海に堆積する
②火または水の作用で原始地表の地下に巨大な空洞が形成される
③地下の空洞が崩壊して、大洪水(ノアの洪水)が起きる
④水没した谷に化石を含む堆積岩が層状に新たに蓄積する
⑤新たに堆積した岩石の下にも空洞が形成される
⑥新たに形成された空洞が崩壊して、現代の地形が生まれる

◆トマス・バーネット(1635-1715)
Thomas Burnet
英国国教会の神学者
1681年『地球の神聖な理論』(Sacred Theory of the Earth)
地球破壊説
アルプス山脈の複雑な地層を見て、秩序の神が創造した世界と思えず、現在の地表はノアの洪水による破壊の跡だと考えた。しかし、海水や雨水では山頂を覆うには水量が足りない。したがってノアの洪水では、地表面が山や谷のない滑らかな球面となったと考えた。そうすれば、地表全体を水が覆うことができる。

◆アイザック・ニュートン(1642-1727)
Isaac Newton

1665-1666 ペストの流行で大学閉鎖になり研究に没頭した。
・流率法(後の微分積分学)…ライプニッツと先取権をめぐり論争
・万有引力(後のニュートン力学)
・プリズムでの分光の実験、光の粒子説、光のスペクトル…ロバート・フックと論争
1671 『無限級数の解析』『流率の級数について』…微分積分法
1672 王立協会会員
1668 ニュートン式望遠鏡
1669 ケンブリッジ大学の教授になる
1687『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』
・ニュートン力学(古典力学、万有引力の法則)
・ニュートンの運動3法則(慣性の法則、運動方程式、作用反作用の法則)
・実証科学の方法論
1690『ダニエル書と聖ヨハネの黙示録の預言についての研究』…カトリック教会の堕落した800年+1260年=2060年に終末が来ると預言
1699 王立造幣局長官
1703 王立協会員会長
1704『光学』
1727 死去
1728『改訂古代王国年代学』
1754『二つの聖句の著しい変造に関する歴史的記述』…三位一体論の否定
錬金術による水銀の使用が判明している。


◆ジョン・ウッドワード(1665-1728)
John Woodward
地球破壊説
1695年『地球の自然史について』(An Essay toward a Natural History of the Earth and Terrestrial Bodies)
原始地球の地殻はノアの洪水によって跡形もなく破壊されてしまった。何らかの原因で重力の作用が一時的に止まり、地球は大洪水を伴うカオスと化し、再び重力が作用し出すと、物質は重い順に堆積して、現在の地殻が形成された。

◆ジョン・アーバスノット(1667-1735)
John Arbuthnot
1697年『ウッドワード博士のノアの洪水論を検証する』(An Examination of Dr. Woodward's Account of the Deluge)
ウッドワード博士はステノの論文を盗用していると批判。また、重い化石が地下深くでなく地表付近にもよく見られる、軽い地層の上に重い地層が堆積していると批判。

◆エドモンド・ハレー(1656-1742)
Edmond Halley
1705年に次に到来する彗星の年を預言をし、1758年に的中させた。これにより、ハレー彗星と呼ばれるようになった。
ノアの洪水に関して、"水蒸気天蓋説"(water vapor canopy)を説いた。現代創造論でも借用されている。

◆ウィリアム・ホイストン(1667-1752)
William Whiston
イギリスの神学者、ニュートンの弟子
1696年『地球の新理論』(A New Theory of the Earth)
ノアの洪水は、地球に接近した彗星の引力により地殻に亀裂が入り、地球の内部の水が溢れ出し、土砂降りの雨となった。地上にあふれた水は地下に排出され、洪水で巻き上げられた泥や岩石はきれいに堆積して、現在の地形と地層ができた。

◆ジョン・ケイル(1671-1721)
John Keill
天文学者
バーネットとホイストンの説を批判。バーネットの説を「哲学的小説」と揶揄。また、彗星の引力は地殻に亀裂を生じさせるほど強くないとホイストンの説も批判した。
ケイルは神の奇跡を認めていて、物理法則によって地球の起源やノアの洪水を説明する必要はないと考えていた。


◆ヨハン・ショイヒツァー(1672-1733)
Johann Jakob Scheuchzer
スイスの博物学者
1708年『魚の愚痴と弁明』(Piscium Querelae Et Vindiciae)
化石は鉱物でなく、ノアの洪水の際の生物の死骸である。
1709年『洪水植物誌』(Herbarium deluvianum)
石に閉じ込められた植物の化石の画集
1726年『ノアの大洪水を目撃した人間』(Homo diluvii testis)
人骨を発見したと勘違いし、ノアの洪水の際の犠牲者だと見なしたが、後に実際は大型のサンショウウオの化石と判明した(1812年にキュヴィエが明らかにした)。
1731-35年『神聖自然学』全4巻(Physica Sarca)

◆マンモスの化石発見
1692年 シベリアでマンモスの死体が初めて発見される。


◆コットン・メイザー(1663-1728)
Cotton Mather
ピューリタン。セイラム魔女裁判に関与したことでも有名。

1705年、ニューヨーク北部でマンモスの歯と大腿骨が発見された。これはノアの洪水で滅んだ巨人族の骨と考えられた。この発見で巨人族がノアの洪水で溺れ死んだのは真実と確信したメイザーは、1712年にロンドン王立協会に手紙を書いた。
1721年『キリスト者の哲学』(The Christian Philosopher)
化石は地球規模の洪水があったことの証拠である。

◆カール・フォン・リンネ(1707-1778)
Carl von Linné
スウェーデンの博物学者
分類学の父
1735年『自然の体系』(Systema Naturae)
二名法(生物の学名を、属と種のラテン語で表す)の開発。
種、属、目、綱の分類単位を作った。

◆ビック・ボーン・リック
1739年 オハイオ川付近の"ビック・ボーン・リック"(巨大骨の塩なめ場, Big Bone Lick)で巨大なマンモスの骨が発見される。

◆トマス・ジェファーソン(1743-1826)
Thomas Jefferson
アメリカ合衆国第3代目大統領(1801-09)
1785年『ヴァージニア州について』(Notes on the State of Virginia)
マンモスはゾウより5,6倍大きい。

◆ジェームズ・ハットン(1726-1797)
James Hutton
斉一説(uniformitarianism)を提唱。古い地球説。近代地質学の父。
1795年『地球の理論』(The Theory of Earth)
友人のジョン・プレイフェア(John Playfair, 1748-1819)と共にシッカーポイントにある「ハットンの不整合」を調査し、それを根拠に「斉一説」を唱えた。斉一説は、地球は過去も現在も同じ原理で成り立っており、過去の現象は現在の痕跡を丹念に調べることで理解できるというもの。地球は長い時間をかけてゆっくりと変化している。

プレイフェアは1802年『ハットンの地球理論の解説』(Illustrations of the Hattonian Theory of Earth)を出版し、ハットンの理論を分かりやすく解説した。

◆ジャン・バティスト・ラマルク(1744-1829)
Jean-Baptiste Lamarck
生物の自然発生説を信じ、生物進化論を始めて提唱した。
用不用説(use and disuse theory)

1801年『無脊椎動物の体系』(Système des animaux sans vertèbres)
キュヴィエの天変地異説を批判。
1809年『動物哲学』(Philosophie zoologique)
用不用説。良く使う器官は発達し、次の世代へ遺伝される。

◆ジョルジュ・キュヴィエ(1769-1832)
Georges Cuvier
フランスの博物学者
比較解剖学、天変地異説(Catastrophism)、反斉一説、反進化論

1813年『地球論について』(Essay on the Theory of the Earth)
1825年『地球の変革について』(Discours sur les revolutions de la surface du globe)
地層によって異なる生物の化石が発見される事実から、何度も天変地異が起きて、その度に大量絶滅が生じ、絶滅した種の化石は堆積し、生き残った生物の化石はその上の層に堆積し、これが繰り返されることで現在の地層ができたと考えた。
天変地異と種の不変性を信じ、ハットンの斉一説やラマルクの進化論には反対した。
・ショイヒツァーが発見した人骨と思われる化石はサンショウウオの化石であることを明らかにした。
・マンモスの遺体の発見は、天変地異による急激な環境変化による死を示している。

◆ウィリアム・ペイリー(1743-1805)
William Paley
神学者
1802年『自然神学』(Natural theology)
自然と聖書は同じ神の書。科学は聖書を補う。時計は時計職人の存在を証しする。
→ドーキンスはペイリーに反論して『盲目の時計職人』(The Blind Watchmaker, 1986)を出版している。

◆ロバート・ベイクウェル(1767-1843)
Robert Bakewell
1813年『地質学入門』(Introduction to Geology)
英語で書かれた最初の地質学の教科書

◆ウィリアム・スミス(1769-1839)
William Smith
1815年、イギリス全土の「地質図」(geological map)を作成。

◆ウィリアム・バックランド(1784-1856)
William Buckland
英国の地質学者
天変地異説、洪積層

『地質学と宗教の関係の解明』
堆積岩でなく、表層の未固結の堆積物「洪積層」(diluvium)がノアの洪水の跡だと主張。
※現在では最終氷期以前(更新世)の表層の堆積物を「洪積層」と呼び、それ以後(完新世)の表層の堆積物を「沖積層」と呼ぶ。
1821年 カークデール洞窟の動物の骨は天変地異によるノアの洪水の証拠と考えた。
1823年『ノアの洪水の遺物』(Reliquiae Diluvianae)
1836年『地質学と鉱物学』(ブリッジウォーター叢書の一冊)(Geology & Mineralogy)
洪積層がノアの洪水の跡だとする自説を撤回する。
1844年 コックバーンとの討論

◆ジョン・フレミング(1785-1857)
Rev John Fleming
1826年、バックランドの洪水説に反論。動物の絶滅は段階的で、気候変動によるものと主張。


◆ここまでで、ノアの大洪水は天変地異によって堆積岩を一変に形成したのではなく、あるいは表層の未固結の堆積物(洪積層)を形成したのでもないことが判明し、地球規模の洪水の証拠は皆無に等しくなった。こうして、近代地質学はハットンやライエルの斉一説に取って替わられた。以後、ノアの大洪水については局所的な洪水が検討されるようになる。しかし、ファンダメンタリズムの台頭により創造科学が生み出されると、旧来の地球規模の洪水説が再び主張されるようになる。しかし、その根拠は近代地質学以前の神学者や学者たちの説を焼き回したものがほとんどである。さらにこれに生物進化論が加わることで、特にアメリカにおいて創造論と科学の対立は深まり、公立学校における教育の是非について訴訟問題が相次ぐことになる。


◆チャールズ・ライエル(1797-1875)
Sir Charles Lyell
1830-1833年『地質学原理』全3巻(Principles of Geology)
ハットンが提唱していた「斉一説」を世に広め、近代地質学が開花した。

◆ロバート・チェンバース(1802-1871)
Robert Chambers
1844年『創造の自然史の痕跡』(Vestiges of the Natural History of Creation)
匿名で進化論に通ずる考えを提唱した。激しく非難されたが、ウォレスに影響を与えた。

◆アダム・セジウィック(1785-1873)
Adam Sedgwick
地質学者
天変地異説を支持
ロバート・チェンバースの『創造の自然史の痕跡』(進化論)を批判。

◆ジョージ・スミス(1840-1876)
George Smith
英国、考古学者

1849〜1854年、ニネヴェの発掘調査により、前670年頃のアッシュールバニパル王(前685〜627)の図書館跡が発見され、数千枚の粘土版が大英博物館に持ち帰られる。

1863年、スミスは大英博物館の学芸員助手となり、大量の粘土版の仕分け作業を行う。

1872年、それらの粘土板の中に洪水譚があることを発見する。それはギルガメシュ叙事詩(粘土版11)であった。同年12月3日、聖書考古学会で解読を発表する。これが話題となる。

1873年、スミスはニネヴェの発掘調査を行う。そこで洪水譚の欠損部分を発見した。

1874年、二度目の発掘調査を行う。

1876年、赤痢にかかり死去する。

◆サミュエル・バーリー・ロウボサム(1816-1884)
Samuel Birley Rowbotham
英国人、フラット・アース論の元祖
1849-1865年『探究的天文学ー地球は球体ではない』(Zetetic Astronomy: Earth Not a Globe)
1883年 英国とニューヨークにZetetic協会設立(Zetetic Sosiety)

◆アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823-1913)
Alfred Russel Wallace
心霊主義、進化論

1855年 サラワク論文で、生物種の分布は時間的・地理的に密接であると述べ、ダーウィンより先に進化論に通ずる考えを発表している。自然選択説についてはダーウィンと同時に発表した。
フォレスは自然選択だけではすべては説明できないとし、三度超越的な力が進化の過程で加わったと考えた。生命の発生時、動物への意識の混入時、人間の高度な精神の発生時である。

◆フィリップ・ヘンリー・ゴス(1810-1888)
Philip Henry Gosse
英国の博物学者
1857年 オムファロス仮説(Omphalos)
『オムファロス:地質学の結びを解く試み』(Omphalos: An Attempt to Untie the Geological Knot)
アダムとエバは大人の状態で造られたが、果たして二人にはへそはあったのか。へそがないなら完全な姿ではないし、へそがあるなら親から生まれた証である。同じように、地球は造られた瞬間から適切に機能しなければならないはずだ。であれば、神は地球の創造の際、地球が造られた瞬間から完璧に機能するように、"予め古びた感じに造った"のではないか。
オムファロス仮説は哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872-1970年)の「世界五分前仮説」に影響を与えた。

◆チャールズ・ロバート・ダーウィン(1809-1882)
Charles Robert Darwin

1859年 自然選択説(natural selection)…自然環境にたまたま有利な形態をしていた個体が生存し、不利な形態をしていた個体が死に絶えることによって、やがてその遺伝が個体群全体に広がることで形態に分岐が生じて種が変化する。
1871年 性選択(sexual selection)

父方の祖父:エラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin, 1731-1802)…医師、王立協会、フリーメイソン、ルナ協会。ダーウィン以前に進化(evolution)という概念を生物学で用いていた。
母方の祖父: ジョサイア・ウェッジウッド(Josiah Wedgwood, 1730-1795)…イギリス最大の陶器メーカー「ウェッジウッド社」(1759年~)の創業者。
父親:ロバート・ウォーリング・ダーウィン(Robert Waring Darwin, 1766-1848)…医師、投資家、王立協会。
母親:スザンナ・ダーウィン(Susannah Darwin, 1765–1817)…ウェッジウッド社創始者の娘。
両家ともユニテリアンだった。


1809年2月12日
イングランド西部の商業都市シュルーズベリーに生まれる。二男四女の次男。
1817年
8歳で母親を亡くし、姉たちに育てられる。博物学が趣味だった。
1818年
寄宿学校に通う。
1825-27年
医師になるため、エディンバラ大学で医学と地質学を学ぶ。自然史学のサークルに入る。しかし、外科手術の血に耐えられず退学する。
1827-31年
牧師になるため、ケンブリッジ大学で神学を学ぶ。
植物学者J.S.ヘンズロー(John Stevens Henslow, 1796-1861)に出会い親友となる。地質学者アダム・セジウィックに学ぶ。

1831年
測量船ビーグル号(HMS Beagle)乗船の誘いを受け承諾する。南アメリカ東岸の海図作成が目的。艦長ロバート・フィッツロイ(Robert FitzRoy, 1805-1865)の話し相手として選ばれた。


1835年
ガラパゴス諸島上陸。
ゾウガメ、フィンチ、イグアナ、マネシツグミに興味を持つ。
1836年
世界一周した後に帰港した。
1839年
従姉のエマ・ダーウィン(Emma Darwin, 1808-1896)と結婚する。エマはウェッジウッド2世の娘で、敬虔なユニテリアン教徒だった。10人の子をもうけた。

1839-43年
『ビーグル号航海記』(全5巻)を出版。
1842年
ロンドンを脱出し、ダウン村の旧牧師館(ダウン・ハウス, Down House)に引っ越す。
自然選択説に関する秘密のノートに草稿をまとめる。
ラマルクや祖父の進化論、ライエルの斉一説、トマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus, 1766‐1834)の『人口論』(An Essay on the Principle of Population, 1798-1826年)などの影響を受けつつ、自然選択説のアイデアが固まる。しかし、ロバート・チェンバースの『創造の自然史の痕跡』に対する社会の批判的風潮を見ていたので発表を封印する。
1844年
遺書代わりに試論をまとめる。
1851年
最愛の娘である長女のアン(Anne Darwin, 1841-1851)が亡くなる。

1858年
アルフレッド・ラッセル・ウォレスから一通の手紙と小論が届く。
内容はダーウィンの自然選択説と瓜二つだった。
ライエルとフッカーはダーウィンとウォレスの共同論文(しかしダーウィンの先取権を確保した形で)としてリンネ学会で発表した。後にウォレスはダーウィンのこの判断を寛大に受け入れた。
1859年
自説の要約として『種の起源』(On the Origin of Species)を出版。
1860年
オックスフォード大学でフッカー、ハクスリーら支持者とウィルバーフォース大司教ら反対者との討論会が行われる。
1871年
『人間の由来と性選択』(The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex)
1882年
ウェストミンスター寺院に埋葬される(ここにはニュートンやホーキングなども埋葬されている)。

◆ルイ・パスツール(1822-1895)
Louis Pasteur
フランスの細菌学者
1861年『大気中に存在する有機体性微粒子に関する報告書ー自然発生説の検討』(Sur les corpuscules organisés qui existent dans l’atmosphère: Examen de la doctrine des générations spontanées)
「白鳥の首フラスコ実験」により真空上での微生物の自然発生説を否定した。

◆ハーバート・スペンサー(1820-1903)
Herbert Spencer
イギリスの哲学者、社会学、社会進化論(Social Darwinism)の父

ダーウィンの『種の起源』を読み、自然選択説を「適者生存」(survival of the fittest)と読み替えた(『生物学原理』)。適者生存を社会学や倫理学にも応用した。しかし、適者生存の競争的で進歩的な考えはダーウィンの偶発的な自然選択による変化とは異なり誤解を招ぬ結果となり、マルクスの共産主義や、ナチズムの優生学、資本主義グローバリズムなどに利用された。

35年をかけて『総合哲学体系』(System of Synthetic Philosophy)全10巻
第1巻『第一原理』(First Principles, 1862年)
第2、3巻『生物学原理』(Principles of Biology, 1864, 67年)
第4、5巻『心理学原理』(Principles of Psychology, 1870, 80年)
第6、7、8巻『社会学原理』(Principles of Sociology, 1874-96年)
第9、10巻『倫理学原理』(Principles of Ethics, 1879-92年)を執筆。

◆エイサ・グレイ(1810-1888)
Asa Gray
アメリカの植物学者
ダーウィンの友人、有神的進化論
ダーウィンの文通友であり、進化論を擁護しつつ、進化論と信仰を結合してダーウィンの信仰心を取り戻そうとした。
1876年『ダーウィニアナ』(Darwiniana)
進化論と有神論は矛盾しない。

◆トマス・ハクスリー(1825-1895)
Thomas Henry Huxley
英国の生物学者
「ダーウィンの番犬」の異名を持ち、ダーウィンの進化論を支持したが、漸進説には否定的で「跳躍説」(saltationism)を支持した。

◆エルンスト・ヘッケル(1834-1919)
Ernst Haeckel
1866年「発生反復説」(Recapitulation theory)(個体発生時に進化の道筋(系統発生)を反復する)を唱えたことで有名だが、生物画家としても有名である。
1904年『自然の芸術的形態』(Kunstformen der Natur,邦題:生物の驚異的な形)のイラストは今日でも高く評価されている。

◆グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-1884)
Gregor Johann Mendel
遺伝学の祖
修道院の庭でエンドウ豆の交配実験をした。
1866年 『植物雑種に関する実験』(Versuche über Pflanzen-Hybriden)
メンデルの法則
メンデルは研究成果が認められないまま死去したが、
1900年に、三人の学者ユーゴー・ド・フリース、カール・エーリヒ・コレンス、エーリヒ・フォン・チェルマクらによりそれぞれ独自に再発見された。

◆定向進化説(Orthogenesis)
一度進化し始めるとその方向に進化し続ける。T.アイマーとE・D・コープにより提唱。

T.アイマー(1843-1898)
Theodor Eimer
ドイツの動物学者
1885年 定向進化説を提唱

E・D・コープ(1840-1897)
Edward Drinker Cope
米国の古生物学者
コープの法則(Cope's law)
新しい地層から大きな化石が発見される。

◆モリッツ・ワグーナー(1813‐1887)
Moritz Wagner
1868年 「(地理的)隔離説」(geographical isolation)の提唱。
地理的な隔離が種分化に重要な役割を与えている。


◆ジョージ・ロマーニズ(またはロマネス)(1848‐1894)
George John Romanes
ネオ・ダーウィニズム(Neo-Darwinism 総合説に用いられる)という用語を提唱。
1885年 「生殖的隔離説」(reproductive isolation)の提唱。
生殖地域の違いや生殖器官の構造の違いなどにより交雑できなくなることが、進化を促す。

◆エリザベス・ブラント(1850-1935)
Lady Elizabeth Blount
1893年 国際Zetetic協会設立(Universal Zetetic Society)
1901-1904年 雑誌『地球』(Earth)刊行
その後1956年まではしばらくフラット・アース論は下火となる。

◆1895年、ナイアガラでの聖書会議で聖書の無誤性を含む「ファンダメンタリズムの五つの基本信条」を定める。
・聖書の無誤謬性(Inerrancy of the Bible)
・イエス・キリストの処女降誕と神性(イザヤ7:14) (The virgin birth and deity of Jesus Christ)
・キリストの代償的贖罪の教理と、神の恵みによる信仰を通しての救い(ヘブル9章) (The doctrine of atonement)
・イエス・キリストの体の復活(マタイ28) (The bodily resurrection of Jesus Christ)
・キリストの奇跡の真正性、または、イエス・キリストの再臨 (The bodily second coming of Jesus Christ )


◆イチョウとソテツの精子発見
1896年 裸子植物であるイチョウとソテツの精子を発見。生きた化石の一つとされる。
平瀬作五郎(1856-1925)
イチョウの精子を発見。
池野成一郎(1866-1943)
ソテツの精子を発見。


◆ユーゴー・ド・フリース(1848-1935)
Hugo Marie de Vries
1901年『突然変異論』(Die Mutationstheorie)
突然変異を発見し、生物進化論において「突然変異説」(Mutationism)を提唱した。

◆ジョージ・マクレディ・プライス(1870-1963)
George McCready Price
セブンスデー・アドベンチスト教会
1906年『非論理的な地質学:進化論の最弱点』(Illogical Geology:The Weakest Point in the Evolution Theory)
1923年『新地質学』(The New Geology)
化石の年代は地層から判断され、地層の年代は化石から判断されるのは循環論法であり意味がないと、従来の地質学を否定した。

◆スヴァンテ・アレニウス(1859-1927)
Svante August Arrhenius
スウェーデンの科学者
1903年 パンスペルニア説(Panspermia)を提唱。
1908年 『世界のなりたち』
生命が胞子の形で惑星から惑星へ運ばれたとする生命の宇宙到来説。胚種広布説とも。アレニウスの説は隕石によるものでなく、星の光の輻射圧により生命の素である胞子が地球に運ばれたという「光パンスペルミア説」(Radio-panspermia)だった。
パン(pan, すべて)+スペルマ(sperma, 種子)の意味で、「種をまく」という意味もある。
他にも、隕石などが起源とする説は「岩石パンスペルミア説」(Litho-panspermia)、ウイルスが彗星によって絶えず地球に運ばれてきたとする説は「彗星パンスペルミア説」と「病原パンスペルミア説」(チャンドラ・ウィクラマシンゲ&フレッド・ホイル、1978年)、高度な知的生命体が起源とする説は「意図的パンスペルミア説」(Directed-panspermia)(フランシス・クリック、1973年)と言う。

◆1908年 ハーディ・ワインベルグの法則(Hardy-Weinberg Principle)
G・H・ハーディ(1877-1947)
Godfrey Harold Hardy
英国の数学者

ウィルヘルム・ワインベルグ(1862-1937)
Wilhelm Weinberg
ドイツの物理学者
の二人が独立して発見。

集団遺伝学の基礎をなす遺伝の法則。一定の五つの条件のもとでは、個体群の遺伝子プールの遺伝子頻度(対立遺伝子の比率)は変化せず、遺伝的平衡にある。
①ある程度集団の個体数が大きく
②ほかの集団との間で個体の移入や移出がなく
③問題とする遺伝子に突然変異が起こらず
④自然選択が行われず
⑤交配が自由に行わらる場合
実際はこのような条件は揃わないので、遺伝子頻度は変化し進化が起きる。


◆1910-1915年
保守プロテスタントが『ファンダメンタルズ』(The Fundamentals)という一連の小説を継続的に刊行。聖書学を批判。

◆1912年 『創造の写真劇』(Photo-Drama of Creation)
シオンのものみの塔冊子協会のチャールズ・テイル・ラッセル(Charles Taze Russell、1852-1916)が監督したスライド式カラー映画。

◆アルフレート・ヴェーゲナー(1880-1930)
Alfred Lothar Wegener
ドイツの気象学者
1912年 大陸移動説(continental drift theory)
現在の各大陸は、古生代末にはひとかたまりの大陸だったとして、これをパンゲアと命名した。
→後に1960年代にプレートテクトニクス理論によって正しさが証明された。

◆レオナード・ウーリー(1880-1960)
Sir Charles Leonard Woolley
1922年 妻のキャサリン・ウーリーと共にウルの発掘調査を行う。そこで3メートルの洪水堆積層の下に町の遺跡を発見する。
後にスティーブン・ラングドンはキシュで多くの洪水堆積物を発見するが、ノアの洪水譚の起源を巡ってウーリーとラングドンは論争となり、ウーリーはノアの洪水譚の起源はウルの洪水譚であり、ウル出身のアブラハムによりヘブライ人に伝承され、それは全地球規模の洪水ではなく、ウル周辺の局所的なものであったと説いた。

◆1923-24年 モダニスト・ファンダメンタリスト論争
modernist-fundamentalist controversy

ニューヨークで進化論vs創造論の討論
ジョン・ローチ・ストラットン(John Roach Straton) (1875-1929)
バプテスト教会の牧師(ファンダメンタリスト)
vs
チャールズ・フランシス・ポッター (Charles Francis Potter) (1885-1962)
ユニテリアン教会の牧師(モダニスト)
第一回目の討論(聖書の無誤性)では高等批評的見地から反論を展開したポッターが勝利し、2回目の討論(進化論の妥当性)では確実性の欠く進化論の証拠(ミッシングリンクなど)を反証したストラットンが勝利した。

◆アレクサンドル・オパーリン(1894-1980)
ソ連の生化学者
Alexander Oparin
化学進化論、コアセルベート説

1920年 「化学進化説」を提唱。無機物から有機物が蓄積され、その有機物のスープの中でコアセルベートが作られ、有機物が反応することによって生命が誕生した。
1938年、1953年、1957年『地球上の生命の起源』(The Origin of Life on the Earth)

◆バトラー法とスコープス裁判
1925年 政治家ブライアンの働きによりテネシー州で反進化論法(バトラー法)が成立。
1925年7月10日から21日、スコープス裁判(モンキー裁判、進化論裁判とも
Scopes Trial(Scopes v. State)

テネシー州デイトンで高校教師ジョン・スコープスが州法に違反して学校で進化論を教えた事件と裁判。
スコープス事件の裏にはACLU(アメリカ自由人権協会)の策謀があった。

被告人ジョン・スコープス(John Thomas Scopes, 1900–1970)
被告側弁護人クラレンス・ダロウ(Clarence Darrow, 1857ー1938)
vs
検事ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(William Jennings Bryan, 1860-1925)
スコープスは有罪となるが、裁判自体が無効となる。以後、1967年まで反進化論法は廃止されなかった。
スコープス裁判は映画化された。『風の遺産』(Inherit the Wind,1960)

◆I・P・トルマチョフ
I. P. Tolmachoff
1929年『シベリアの凍結地で発見されたマンモスとサイの死骸』(The Carcasses of the Mammoth and Rhinoceros Found in the Frozen Ground of Siberia)
マンモスの全ての発見記録を調査。マンモスは氷河期に適応した動物。


◆J・ハーレン・ブレッツ(1882-1981)
J Harlen Bretz
1923年 ミズーラ洪水(Missoula floods)の発見。チャネルド・スキャブランドの渓谷は幾度もの氷河ダムの決壊により生じたと主張。斉一説が定説だったので異端視された。1976年にNASAに評価され、1979年にペンローズ賞を受賞。

◆トロフィム・デニソビッチ・ルイセンコ(1898-1976)
Trofim Denisovich Lysenko
ソ連の生物学者
ルイセンコ主義(Lysenkoism)
1934年 レーニン・スターリン時代、イヴァン・ミチューリン(Ivan Vladimirovich Michurin, 1855-1935)の農法を基礎にラマルキズム(獲得形質の遺伝)に修正を加える「ルイセンコ説」を提唱した。その後、ルイセンコ説を元に開発された「ヤロビ農法」はスターリンに気に入られ、ソ連に導入される。ソ連はダーウィンの自然選択説とメンデルの遺伝学を否定し、ルイセンコ説を支持しない科学者たちを逮捕し、ルイセンコ主義を実行した。1947年に日本にも導入され、中国でも1949-56年まで毛沢東が大躍進政策の中で導入したが、多くの餓死者を出した。ロシアでは1964年に公式に終焉した。

◆1930年代 集団遺伝学
フィッシャー、ホールデン、ライトの三人は集団遺伝学の創始者。

「集団遺伝学」(population genetics)とは、ダーウィンの自然選択説とメンデルの遺伝の法則を統合し、ある「遺伝子プール」(gene pool, 互いに繁殖可能な個体群が持つ遺伝子の総体)内において「遺伝子頻度」(gene frecency, 対立遺伝子の割合)の変化を、確率論や統計学といった数学的手法によって分析する学問。

ロナルド・フィッシャー(1890-1962)
Sir Ronald Aylmer Fisher
1930年『自然選択の遺伝学的理論』(The Genetical Theory of Natural Selection)
突然変異説と自然選択説を統合した。
フィッシャーの性選択…ランナウェイ説、フィッシャーの原理(親の出費)。
ランナウェイ説(runaway selection)…生物が時折、生存に有利とは思えない形態(長すぎる羽など)を持っているかを説明する仮説。始めは生存に有利な形質として、その形質を持っている異性を配偶者として選択していたが、その自然選択が繰り返されることによって、次第にその形質が異常増幅され、もはや生存に有利な形質ではなくなって、性選択にのみ用いられる装飾になった。runnaway=暴走の意味。
フィッシャーの原理(親の出費)(Fisher's principle, Parental expenditure)…性比が1:1が進化的に安定な基本的な状態であるが、親が子を育てるコストに性別の偏りがある場合、性比はコストと釣り合う状態となる。例えば、雄を生み育てるコストの方が雌を生み育てるコストより高ければ、雄の個体数は相対的に少なくなる。

J・B・S・ホールデン(1892-1964)
John Burdon Sanderson Haldane
イギリスの生物学者
1932年『進化の要因』(The Causes of Evolution)
メンデルの法則を基本として自然選択による進化を数学的に説明した。
※1923年『ダイダロス、あるいは科学と未来』(Daedalus or Science and The Future)の中で、トランスヒューマニズムの構想を提唱した。


シューアル・グリーン・ライト(1889-1988)
Sewall Green Wright
1931年『メンデル集団における進化』(Evolution in Mendelian Populations)
「遺伝的浮動」(genetic drift) の提唱。集団の遺伝子のバラツキが偶然に変動すること。「ライト効果」(Wright effect)とも言われる。

◆1940年代 ネオダーウィニズム(総合説)
Neo-Darwinism, Modern synthesis
集団遺伝学(自然選択説+突然変異説)+性選択+地理的・生殖的隔離説)

ジュリアン・ハクスリー(1887-1975)
Sir Julian Sorell Huxley
1942年 「現代の総合」(=総合説)と名づける。


テオドシウス・ドブジャンスキー(1900-1975)
Theodosius Grygorovych Dobzhansky
ウクライナ出身の米国人、有神的進化論者、正教会
1937年『遺伝学と種の起源』(Genetics and the Origin of Species)
進化を「遺伝子プール中での対立遺伝子頻度の変化」と定義した。


エルンスト・マイヤー(1904-2005)
Ernst Walter Mayr
ドイツの生物学者
1942年『分類学と種の起源』(Systematics and the Origin of Species)
異所的種分化を強調し、地理的・生殖的隔離の重要性を示した。
生物学的な種とは「交配可能集団のこと」と定義した。

◆ウィラード・リビー(1906-1980)
Willard Libby
1945年〜、放射性炭素年代測定法(Radiocarbon dating)の開発。炭素14の半減期5720年(測定では5568年を用いる)から年代測定する。
正確に測定するには較正曲線を併用する必要がある。較正曲線はIntCal(北半球)、SHCal(南半球)、MarineCal(海洋)と地域別に三種類あり、木の輪、湖や海の堆積物、サンゴ、洞窟の石筍などのデータで補正している。較正曲線はこれでに98、04、09、13、20年とアップデートされている。

◆ジョン・ベイトマン(1919-1996)
Angus John Bateman
1948年 ベイトマンの原理(Bateman's principle)
ショウジョウバエの実験により、精子は小さくて膨大にあるが、卵は大きくて数が少ない。このエネルギー
コストの違いによって、ほとんどの生物間で雌の方が希少価値が高くなり、雄は雌を巡って争う。

◆1948年 「定常宇宙論」(steady state cosmology)
フレッド・ホイル(Sir Fred Hoyle, 1915‐2001)、トーマス・ゴールド(Thomas Gold, 1929-2004)、ヘルマン・ボンディ(Sir Hermann Bondi,1919-2005)と共に「定常宇宙論」(steady state cosmology)を提唱。また、ホイルが火の玉宇宙論を皮肉ってビックバンと呼んだことで、火の玉宇宙論は「ビックバン理論」として定着した。

◆今西錦司(いまにしきんじ)(1902-1992)
1949年 『生物社会の論理』…今西進化論(棲み分け理論)の提唱。
同じ場所に住む幾つかの種は種社会を形成し、互いに衝突しないように棲み分けを行うことによって進化が起きる。

◆1950,51年 教皇ピウス12世(在位:1939-1958)
進化論を容認。肉体は進化、魂は創造。ただし、人類の起源は一人の人物(アダム)。
ビックバン理論を容認。「ビッグバンはカトリックの公式の教義に矛盾しない」。
 

◆ユーリー・ミラーの実験
ハロルド・ユーリー(1893-1981)
Harold Clayton Urey
スタンリー・ミラー(1930-2007)
Stanley Lloyd Miller
1953年 ユーリ・ミラーの実験
原始大気と海のモデル(無機物)からアミノ酸(有機物)が合成された。

◆DNAの二重螺旋構造の発見
ジェームズ・ワトソン(1928-)
James Dewey Watson
フランシス・クリック(1916-2004)
Francis Harry Compton Crick
1953年 ワトソンとクリック、DNAの二重螺旋構造を発見する。

1973年 「意図的パンスペルミア説」(Directed-panspermia)を提唱。クリックは、地球誕生以前に誕生していた別の惑星の高度知的生命体によって、生命がロケットなどに入れられ、意図的に種まきがなされたと主張した。

◆サミュエル・シェーントン(1903-1971)
Samuel Shenton
フラットアース論
元祖サミュエル・ロウボサム、エリザベス・ブラントの意志を継ぎ、
1956年 国際地球平面協会(International Flat Earth Research Society)を設立

1971-2001年 チャールズ・K・ジョンソン(Charles K. Johnson, 1924-2001)が会長を務める

2004年- ダニエル・シェーントン(Daniel Shenton)が会長を務める

◆ノーム・チョムスキー(1928-)
Avram Noam Chomsky
アメリカの言語哲学者、現代言語学の父
「生成文法」(generative grammar)…それまでの近代言語学では、ソシュール以降の構造主義的言語論、経験論的な言語獲得論が主流だった。チョムスキーはデカルト的な合理論に基づいて、すべての人間に備わっている普遍文法を説いた。

1955年『言語論理の論理構造』(The Logical Structure of Linguistic Theory)
1957年『文法の構造』(Syntactic Structures)
普遍文法(universal grammar)…全ての人間が(特に障害がない限り)生まれながらに普遍的な言語機能を備えており、全ての言語が普遍的な文法説明できる。
言語獲得に関して、連続性理論と不連続性理論があるが、チョムスキーは不連続性理論を説いている。約10万年前に言語機能(心―脳の構成要素)が「瞬間的に」「完全」もしくは「ほぼ完全」な形で出現するような進化の一度きりの突然変異が霊長類の一個体に起こった、と彼は主張している。

◆世界初の人工衛星打ち上げ成功
1957年10月4日 ソ連がスプートニク1号(世界初の無人人工衛星)を打ち上げ成功する。ソ連に先を越されたアメリカは国内の科学教育を推進する。これが反進化論法の廃止に繋がる。

◆ロン・ワイアット(1933-1999)
Ronald Eldon Wyatt
1959年 アララト山付近に方舟の跡らしき構造物が発見される。1960年米国の調査団が調査したが打ち切りとなる。その後、素人考古学者のロン・ワイアットは独自に24回調査を続け、ノアの方舟と断定した。しかし、科学界では無視されている。トルコ政府は「ノアの方舟国立公園」に指定している。

◆ヘンリー・モリス(1918-2006)
Henry Madison Morris
創造科学の父

1946年『あなたなら信じるかも知れない』(That You Might Believe)
1951年『聖書と近代科学』(The Bible and Modern Science)

ジョン・ウィットコム(1924-2020)
John Clement Whitcomb Jr.
福音派


『創世記の洪水:聖書の記録とその科学的な暗示』1961(ウィットコムとモリスの共著)
The Genesis Flood: The Biblical Record and its Scientific Implications

洪水地質学(flood geology)、若い地球説(ヤング・アース創造論)、特殊創造説
現代の地質学的特徴はほとんどすべてノアの洪水によって説明できる。プライスの見解の焼き回し。

1963年 創造科学研究協会(Creation Research Society =CRS)を設立
1964年 『創造研究協会クオータリー』創刊(Creation Research Sosiety Quarterly =CRSQ)を創刊

1970年 高校生用の生物学教科書を刊行
『生物学:複雑性の中に秩序を求めて』(Biology A Search for Order in Complexity)


1974年 ヘンリー・M・モリスは独自の教科書を刊行
『科学的創造論』(Scientific Creationism)


1972年 創造研究所(Institute for Creation Research=ICR)
元はモリスとティモシー・ラヘイ(Timothy LaHaye)と共同で設立したクリスチャン・ヘリテッジ・カレッジの研究部門だったが、1980年独立し、2007年にダラスに「ヘンリー・M・モリス キリスト教指導者育成センター」(Henry M. Morris Center for Christian Leadership)内に移転。2002年に息子のジョン・D・モリス(John D. Morris)が運営している。


◆1960年代 プレートテクトニクス理論(Plate tectonics)
ウェーゲナーの大陸移動説の正しさがより科学的に立証された。

◆ウィン・エドワーズ(1906-1997)
Vero Copner Wynne-Edwards
イギリスの動物行動学者
1962年 『社会行動と関連した動物の分散』(Animal Dispersion in Relation to Social Behavior)
「群選択説」(Group selection)の提唱。生物は種の保存や維持のために行動する。
1978年に自説を撤回したが、後にソーバーとウィルソンによってマルチレベル選択説(1994年)として再評価された。

◆マックス・マローワン(1904-1978)
Max Mallowan
考古学者。アガサ・クリスティの二番目の夫。
1964年 ノアの洪水が聖書以前のメソポタミアに遡る証拠をまとめた。

◆ウィリアム・ドナルド・ハミルトン(1936-2000)
William Donald Hamilton
英国、進化生物学者
1964年論文『社会行動の遺伝的進化Ⅰ・Ⅱ』
血縁選択説(Kin selection)
生物の利他的行動を自然選択説で説明する。生物は遺伝子プールの中で自分の血縁度がより高い者が生き残り、子孫を多く残すように行動する。その方が結果として自分と同じ遺伝子を多く残せるからである。つまり、「包括適応度」(inclusive fitness)が高くなるように行動する。
働きアリが女王アリを助けるのは、親を助けることで自分と同じ遺伝子を多く生産してもらうため。また半倍数性により弟よりも妹の方が血縁度が高いので、妹の方をよく助ける傾向があり、その結果個体群に性比の偏りが見られる。
1982年 パラサイト説(優良遺伝子説)("Good genes" theory)…マーレン・ズック(Marlene Zuk, 1956)と共に発表。雌は遺伝的優位性を持つ雄を選択し、子孫の質を向上させる。病原菌や寄生虫に対する抵抗力の強さを指標(マーカー)としている。

◆リン・マーギュリス(1938-2011)
Lynn Margulis
米国の生物学者(微生物)
細胞内共生説(Symbiogenesis)、共生進化論
1967年『有糸分裂する真核細胞の起源』(The Origin of Mitosing Eukaryotic Cells)
ミトコンドリアや葉緑体は細胞内共生した他の細胞に由来する(細胞内共生説)。
適者生存を基にするネオダーウィニズム(総合説)に反対し、共生こそ進化の原動力だと「共生進化論」を主張した。

◆1967年 テネシー州の反進化論法(バトラー法)が廃止となる。


◆1968年 エパソン対アーカンソー州(Epperson v. Arkansas)
アーカンソー州反進化論法裁判
アーカンソー州の公立学校で進化論を教えることを禁じる法律に対して、公立学校教師のスーザン・エパーソン(Susan Epperson)が訴えた裁判。憲法に違反する(合衆国憲法修正第1条違反)としてアーカンソー州側が違憲となる。

◆木村資生(きむら もとお)(1924-1994)

1968年 中立進化説
1983年『分子進化の中立説』(The Neutral Theory of Molecular Evolution)
集団遺伝学+分子生物学により生まれた理論。進化は遺伝子レベルでは有利でも不利でもなくランダム(偶然)で起こるので中立的だが、形態レベルでは環境の影響を受けて自然選択が起こり、有利な個体が生き残り不利な個体が死滅する。
DNA配列は、コドンは3つの塩基の組み合わせで、塩基は4種類なので64通りある。そのうち、
非同義置換…アミノ酸が変化する置換
同義置換…アミノ酸が変化しない置換
がある。
同義置換の点突然変異は形質(表現型)に影響を与えないので中立的である。
また、
母親 Aa
父親 Aa
の場合、
減数分裂により
子供 AA Aa Aa aa
となる。
4分の1でAA、aaになり、
Aまたaは受け継がれない。
これらは自然選択でなくランダム(偶然性)で起こる。
進化は遺伝的浮動で起こる=中立説
進化は、
①機能を持たない表現型は中立説(遺伝的浮動)
②機能を持つ表現型は自然選択説
の両方で起こる。


◆1971年 レモン対カーツマン(Lemon v. Kurtzman)
レモン・テスト(The Lemon Test)
法律や習慣が「国教樹立(の禁止)」条項を侵害するかどうかを判断する3条項
1条目:法令は非宗教的な立法目的を持つ
2条目:法令の主たる効果が宗教の奨励あるいは禁止にあってはならない
3条目:法執行は『政府と宗教との過度の関わり合い』を促進しない

◆ロバート・トリヴァース(1943-)
Robert L. Trivers
アメリカの進化生物学者
1971年 互恵的利他主義(Reciprocal altruism)
個体が他者を助けるのは、すぐに見返りを期待するからではなく、集団内の全ての個体が他者を助け合えば周り巡って利益が循環し、その方が個体の利益が安定するという自然選択の結果である。よって、恩返ししない個体は群れから排除されることになる。

1972年 親の投資理論(Parental investment)
親は一人の子供を育てるためのコストと、他の子供を育てる繁殖機会のバランスを取り、繁殖が最大化するように、子供の世話と自己保身の間に調整が働く。また繁殖のコストが高い雌の方が希少となり、コストの低い雄の方がメスを巡って争う。

1974年 親子の対立(Parent-offspring conflict)
両親は子供の数を最大化することで適応度の増大をはかるが、子供は親の投資(世話)を独占しようと努めて兄弟間で争うことで自身の適応度の増大をはかる。

◆スティーヴン・ジェイ・グールド(1941-2002)
Stephen Jay Gould
ナイルズ・エルドリッジ(1943-)
Niles Eldredge
1972年 生物進化論における「断続平衡説」(punctuated equilibrium)を提唱。

◆リー・ヴァン・ヴェーレン(1935-2010)
Leigh M. Van Valen
なぜ生命は有性生殖を続けるのか。1973年、リー・ヴァン・ヴェーレンは「赤の女王仮説」(Red Queen's Hypothesis)を提唱した。『鏡の国のアリス』の台詞「その場にとどまるためには全力で走り続けなければならない」から採っている。解説書にマット・リドレー(Matt Ridley, 1958-)の『赤の女王ー性とヒトの進化』(The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature, 1993)がある。


◆進化的に安定な戦略(evolutionarily stable strategy)
ジョン・メイナード・スミス(1920-2004)
John Maynard Smith
イギリスの生物学者
ジョージ・プライス(1922-1975)
George R. Price
アメリカの集団遺伝学者
1973年 進化的に安定な戦略(ESS)を提唱。
群れのすべての個体が、その戦略を採用すると、他の戦略により侵略されることのない安定した(硬直した)状態に落ち着く戦略のこと。個体にとって最良となるとは限らない。タカ・ハトゲームで説明される。

◆1975年 社会生物学論争(the Sociobiology Debate)
エドワード・オズボーン・ウィルソン(1926‐)
Edward Osborne Wilson
アメリカの昆虫学者
1975年『社会生物学:新たな総合』(Sociobiology: The New Synthesis)
生物の社会行動を生物進化論(総合説)によって体系的に説明する学問を提唱。これを新たな総合と呼んだ。この書籍によって、社会生物学論争が生じた。グールドらは社会生物学を激しく非難した。戦後はスペンサーの社会進化論や優生学への反省から、人文系に生物進化論を応用することへの拒否感が蔓延していたからである。しかし、そうした非難には一定の誤解が含まれており、こうした論争を経て今日の行動生態学や進化心理学が生まれた。
・ウリカ・セーゲルストローレ(Ullica Segerstrale)著『社会生物学論争史』(Defenders of the Truth: The Battle for Science in the Sociobiology Debate and Beyond(真実の擁護者:社会生物学論争とその先の科学の戦い),2000)はこの論争史について冷静な視点で詳細に論じている。
・ジョン・アルコック(John Alcock)著『社会生物学の勝利』(The Triumph of Sociobiology, 2003)…行動生態学者が、社会生物学論争について、社会生物学を擁護する。

◆1975年 ハンディキャップ理論(Handicap principle)
アモツ・ザハヴィ(1928‐2017)
Amotz Zahavi
イスラエルの進化生物学者
ハンディキャップ理論…ガゼルのストッティング(跳びはね行為)のように、一見その個体の生存に不利な行動をあえてするのは何故か。以前は他のガゼルに警告を知らせているという群選択的な解釈がなされていた。しかし、ガゼルは決して自分に不利な行為をしているのではなく、自分は健康であると敵に正直にアピールすることで、自己の生存確率を高めている。生物の一見不利な形質や行動や利他的に見える行動の中にも、自己の適応を最大化する理由があることを示した。
1997年『生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利他行動の謎を解く』(The handicap principle: a missing piece of Darwin's puzzle)


◆リチャード・ドーキンス(1941-)
Clinton Richard Dawkins
英国の進化生物学者、無神論
利己的遺伝子論(Selfish gene)…自然選択や生物進化を遺伝子中心の視点で理解すること。遺伝子選択説とも。生物はDNAが生き延びるための乗り物に過ぎない。DNAは「利己的遺伝子」である。生命の本質は体や心、または集団(群選択)ではなく、DNAである。
ミーム(meme)…脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報が、文化を作り出し、進化する。

1976『利己的な遺伝子』(The Selfish Gene)
1986『妄想の時計職人』(The Blind Watchmaker)
2006『神は妄想であるー宗教との決別』(The God Delusion)

◆カール・ウーズ(1928-2012)
Carl Richard Woese
アメリカの微生物学者
1977年 「RNAワールド仮説」(RNA World)を提唱。
1990年 「三ドメイン説」を提唱。生物全体を細菌(Bacteria)、真核生物(Eucarya)、古細菌(アーキア)(Archaea)の三つに大別する。

◆浅間一男
生長遅滞説
植物は環境の変化(気温の年較差漸増や乾燥など)に伴い小型化し、生長を遅滞させ、新形質を追加して進化する。動物は反対に低温を防ぐため、大型化し(表面積比率は大型化する程小さくなる)新形質を獲得して進化すると主張する。
1979年『生物はなぜ進化したか:現代進化論の盲点をつく』

◆フレッド・ホイル(1915‐2001)
Sir Fred Hoyle
イギリスの天文学者、SF小説家
定常宇宙論、彗星パンスペルミア説

1948年 トーマス・ゴールド(Thomas Gold, 1929-2004)、ヘルマン・ボンディ(Sir Hermann Bondi,1919-2005)と共に「定常宇宙論」(steady state cosmology)を提唱。また、ホイルがBBCのラジオ番組で火の玉宇宙論を皮肉りビックバンと呼んだことで、ガモフの火の玉宇宙論は「ビックバン理論」として定着した。
1978年 チャンドラ・ウィクラマシンゲ(Chandra Wickramasinghe,1939-)と共に、生命は彗星で発生し、そのウイルスが彗星によって絶えず地球に運ばれることで生命が進化したとする「彗星パンスペルミア説」「病原パンスペルミア説」(ウイルス進化論)を提唱した。

1981年『生命は宇宙から来た』(Evolution from Space)(邦題:『生命は宇宙から来た』ダーウィン進化論は、ここが誤りだ)
2015年『我々の宇宙の祖先を探す』(The search for our cosmic ancestry)(邦題:『彗星パンスペルミア:生命の源を宇宙に探す』)

◆エドワード・J・"テッド"スティール(1948-)
Edward J. "Ted" Steele
オーストラリアの分子免疫学者
1980年代 ネオ・ラマルキズム(Neo-Lamarckism)の提唱。
1981年『体細胞選択と適応進化:獲得形質の遺伝について』(Somatic Selection and Adaptive Evolution: On the Inheritance of Acquired Characters)
1998年『ラマルクの署名:レトロ遺伝子はダーウィンの自然選択のパラダイムをいかに変えようとしているのか』(Lamarck's Signature: How retrogenes are changing Darwin's natural selection paradigm)

◆息子ウォルター・アルバレス(Walter Alvarez, 1940-)と父親ルイス・アルバレス(Luis Walter Alvarez,1911-1988)
1980年 K-Pg境界(Cretaceous–Paleogene boundary)の粘土層から高濃度のイリジウム(小惑星に多く含まれ、地表には少ない)が発見された。この事実を根拠に、約6500万年前に巨大な隕石が落下し、恐竜の大量絶滅を招いたと唱えた。

◆1981年 アーカンソー州とルイジアナ州の公立学校で進化論と創造科学を均等に教える法律が定められる。
◆1982年 マクリーン対アーカンソー州(McLean v. Arkansas)
アーカンソー州の授業時間均等化裁判
創造科学と進化論は科学かどうかが争点となった。創造科学は科学でないと判断され、アーカンソー州が違憲となる。

科学理論の条件
・自然法則により導き出される。
・自然法則への言及によって説明される。
・経験可能な世界に対して検証可能である。
・その結論は仮のものである。つまり、最終的な結論である必要がない。
・反証可能である。


◆1987年 エドワーズ対アギラード(Edwards v. Aguillard)
ルイジアナ州の授業時間均等化裁判
最高裁まで争われた結果、7:2でルイジアナ州側が違憲となる。
進化論裁判はこれで一段落となったが、ファンダメンタリストは創造科学を改良してID論(聖書や神に言及しない理論)で対抗し始めた。


◆ジョン・ブエル(1939-2020)
Jon Alfred Buell
1980年「思想と倫理のための財団」(Foundation for Thought and Ethics=FTE)を設立、会長を務める。
1984年 ブエルは『生命の神秘の起源』(The Mystery of Life's Origin)の出版を奨励する。三人の共著者、歴史家&化学者チャールズ・サクストン(Charles Thaxton,1939-)、技術者ウォルター・ブラドリー(Walter Bradley)、地球化学者ロジャー・オルスン(Roger Olsen)。この本がインテリジェント・デザイン(ID論)の起源とされる。

◆マイケル・デントン(1943-)
Michael John Denton
ID論者
1985年『生物進化論ー危機に瀕した理論ー』(Evolution: A Theory in Crisis)

◆ウェンデル・R・バード
Wendell R. Bird
1987年『種の起源 再考』(The origin of species revisited)
突如出現説(abrupt appearance theory)

◆1989年『パンダと人々について』(Of Pandas and People)
ID論の入門書、高校生用の副読本として推奨された。
パーシバル・デイビス(Percival William Davis)とディーン・H・ケニオン(Dean H. Kenyon,1939-)による共著
→1993年(第2版)、2007年(第3版)『生命の設計:生物システムにおける知性の兆候の発見』 (The Design of Life : Discovering Signs of Intelligence in Biological Systems)

◆1990年 ウェブスター対ニュー・レノックス学区(Webster v. New Lenox)


◆1990年 人間の文法能力、言語機能に関連する遺伝子FOXP2遺伝子(言語遺伝子)が発見される。


◆1990年~ エピジェネティクス(Epigenetics)
1942年 コンラッド・H・ウォディングトン(Conrad Hal Waddington, 1905-1975)が考案した言葉。
1990年~ エピジェネティクス…遺伝子の発現をON,OFFするスイッチの仕組みを解明する学問。先天的に全く同じ遺伝子配列のクローンの個体同士であっても、遺伝子の発現の仕方は異なるのはなぜか。後天的な環境や習慣、ストレスなどが遺伝子発現の仕方に影響を与えていることが判明してきた。しかも、従来の生物進化論や分子生物学のドグマでは獲得形質は遺伝しないことになっていたが、それは獲得形質でありながら親から子へ遺伝することも判明してきた。

◆アラン・グラフェン(1956‐)
Alan Grafen
スコットランドの生物学者、数理生物学、進化ゲーム理論
1990年 アモツ・ザハヴィのハンディキャップ理論、ロナルド・フィッシャーのランナウェイ説をESS(進化的に安定な戦略)として数理的にモデル化した。
2002年『一般線形モデルによる生物科学のための現代統計学』(Modern statistics for the life sciences)

◆フィリップ・ジョンソン(1940-2019)
Phillip E. Johnson
法学教授、長老派、ID論の父
1991年『ダーウィンを裁く』(Darwin on Trial)
インテリジェント・デザイン(ID論)が運動として注目され始める。

◆1990年 ディスカバリー研究所設立
Discovery Institute
政治家ブルース・チャプマン(Bruce Chapman, 1940-)により設立。
1992年〜 「ウェッジ戦略」(Wedge strategy)を始動する。
1996年、ディスカバリー研究所内に「科学と文化の復興センター」(The Center for Renewal of Science and Culture =CRSC)を開設。
2002年、名称を「科学と文化のセンター」(The Center for Science and Culture =CSR)に改称。
創造科学に代わるインテリジェント・デザイン(ID論)の研究を推進する機関。

◆ケン・ハム(Ken Ham, 1951-)
1994年 現在のAiG「アンサーズ・イン・ジェネシス」を設立。

◆1994年 ペローザ対サン・フアン・カピストラーノ学区(Peloza v. San Juan Capistrano Unified School District)


◆1994年 マルチレベル選択説
デイビッド・スローン・ウィルソン(1949-)
David Sloan Wilson
アメリカの進化生物学者
エリオット・ソーバー(1948-)
Elliott Sober
アメリカの哲学者、生物学と統計学の哲学

マルチレベル選択説(Multilevel selection theory)
群選択(種の保存や維持)は従来否定されてきたが、その可能性を再考した理論。形質集団(Trait Group)という概念を用いる。ある形質を共有する集団を形質集団と呼び、その集団に形質集団選択が起きている。この形質集団は多層的に設定できる。しかし、これは血縁選択説や互恵的利他主義と対立するものでも、新たに加えるものでもなく、定義上の操作に過ぎないという批判もある。

1998年共著『他者に捧げる:無私の行動の進化と心理学』(Unto Others : The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior)
1988年『過去を復元する:最節約原理、進化論、推論』(Reconstructing the Past : Parsimony, Evolution, and Inference)(ソーバー)
2000年『進化論の射程: 生物学の哲学入門』(Philosophy of Biology : Second Edition)(ソーバー)
2002年『ダーウィンのカテドラル:進化・宗教・社会の本質』(Darwin's Cathedral: Evolution, Religion, and the Nature of Society)(ウィルソン)
2007年『みんなのための進化:ダーウィンの理論は私たちが人生について考える方法をどのように変革することができるか』(Evolution for Everyone:How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives)(ウィルソン)
2019年『社会はどう進化するのか:進化生物学が拓く新しい世界観』(This View of Life : Completing the Darwinian Revolution)

◆D・ラッセル・ハンフリーズ(1942-)
D. Russell Humphreys
物理学者、若い地球説、地球中心論
1994年『星の光と時間ー若い宇宙における遠い星の光のパズルを解く』(Starlight and Time: Solving the Puzzle of Distant Starlight in a Young Universe)
ハンフリーズの宇宙モデル
・宇宙の中心は地球
・宇宙の内部は銀河
・宇宙の境界は「上の水」
・宇宙の外側は無

◆1996年 教皇ヨハネ・パウロ2世(在位:1978-2005)
進化論は仮説以上のものと容認。ただし、魂は唯物論的に発生はしない。


◆1996年 科学文化センター(Center for Science and Culture)(CSC)
スティーヴン・C・マイヤー(1958-)
Stephen C. Meyer

◆マイケル・ベーエ(1952-)
Michael J. Behe
1996年『ダーウィンのブラックボックス』(Darwin's Black Box)
ID論者。ディスカバリー研究者のメンバー。ID論の主要理論の一つである「還元不能な複雑性」(Irreducible complexity)を提唱。
2005年のドーバー裁判でID論側の論者となる。

◆1997年 フレイラー対タンギパオア(Freiler v. Tangipahoa, Parish Board of Education)
1994年にルイジアナ州タンギパオア郡教育委員会は、生物進化論の授業の前に警告文を読み上げてから教えるよう義務付けた。この警告文は提訴された。この警告文は"聖書"に言及し、特定の宗教を促進しているとして違憲と判決された(2000年)。


◆1998年 黒海洪水説(Black Sea deluge)
ウィリアム・ライアン
William Ryan
ウォルター・ピットマン(1931-2019)
Walter C. Pitman III
前5600年頃、ボスポラス海峡を通り黒海で大洪水が起きたとする。
1998年『ノアの洪水』(邦題)
『ノアの洪水:歴史を変えた出来事についての新しい科学的発見』(Noah's Flood: The new scientific discoveries about the event that changed history)

◆ケネス・レイモンド・ミラー(Kenneth Raymond Miller, 1948)
進化論者
1999年『ダーウィンの神を見つける』(Finding Darwin's God)
2005年ドーバー裁判で進化論側の論者となった。

◆2000年 サンタ・フェ対ドウ(Santa Fe Independent School District v. Doe)


◆ジョナサン・ウェルズ(1942-)
Jonathan Wells
ID論、統一教会
2000年『進化のイコン:科学あるいは神話?』(Icons of Evolution: Science or Myth?)
生物進化論の科学的証拠やデータはいんちきな偶像であると主張。

◆2001年 複雑性・情報・デザインに関する国際協会(International Society Complexity, Information, and Design)(ISCID)
ウィリアム・デムスキー(1960-)
William A. Dembski
デムスキーはID論の主要理論の一つである「特定された複雑性」(specified complexity)および「デザイン推定論」(the design inference)の提唱者である。
1998年『デザイン推定論』(The Design Inference)
1999年『インテリジェント・デザインー科学と神学の架け橋』(Intelligent Design: The Bridge Between Science & Theology)
2004年『デザイン革命』(The Design Revolution)

◆2004年 創造デザイン学会(Design of Creation Society)
代表: 渡辺久義, 1934-
ID論を布教する日本における統一教会の関連団体

◆2005年 キッツミラー対ドーヴァー地域学区(Kitzmiller v. Dover Area School District)
ペンシルバニア州のID論裁判(ドーヴァー裁判)

ペンシルバニア州のドーヴァー学区の学校教育に、進化論を学ぶ前にID論の説明を義務付ける教育委員会の動きに保護者が反発して起きた裁判。副読本として『パンダと人々について』を推奨していた。
進化論の権威ケネス・レイモンド・ミラー(Kenneth Raymond Miller, 1948)とケビン・パディアン(Kevin Padian,1951-)vsID論者のマイケル・ベーエ(Michael J. Behe, 1952-)。
ID論は科学でなく本質は宗教とされ、ペンシルバニア州側が違憲となる。
この判決を受けて、ID論側は2000年頃からある「論争を教えろ」"Teach the Controversy"キャンペーンを活性化させている。ID論自体を教育の場で教えるのでなく、進化論には不備があり、代替の理論が存在すること、進化論には長所と短所がある事実を教えるべきだとする主張である。

◆2005年 セルマン対コブ郡学区(Selman v. Cobb County School District)
2001年にジョージア州コブ郡学区が新しい教科書の選定をしたが、一部の保護者の反発(2300人の署名)により、"生物進化論は理論であって事実ではない"とする旨の警告文のシールを教科書に貼ることにした。しかし、ジェフリー・セルマン(Jeffrey Selman,1946-)は警告文のシールは違憲だとしてコブ郡学区を提訴した。2005年、連邦地区裁判所は、"進化論は理論であって事実ではない"という表現は中立的ではないとし、警告文のシールを違憲と判決した。
教科書に貼られた警告文のシール
「この教科書は生物進化論の内容が含まれている。生物進化論は生命の起源に関する理論であって事実ではない。この内容については、先入観を持たず、慎重に学習し、批判的に考察するべきである。コブ郡教育委員会承認、2002年3月28日、木曜日」
2015年『神が私を遣わしたー進化対創造に関する教科書事件』(God Sent Me : A Textbook Case on Evolution vs. Creation)

◆2005年 空飛ぶスパゲッティ・モンスター教団(FSM)
ボビー・ヘンダーソン(Bobby Henderson ,1980-)がID論を揶揄するために設立した宗教
『反・進化論講座 : 空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書』(邦題、2006)
The Gospel of the Flying Spaghetti Monster

◆池原健二(1944-)
2005年 GADV仮説(タンパク質ワールド仮説)を提唱。
2006年『GADV仮説―生命起源を問い直す』

◆2006年 棄却命令で規定、ハースト対ニューマン(Stipulated Order of Dismissal, Hurst v. Newman)


◆フランシス・コリンズ(1950-)
Francis Sellers Collins
遺伝学者
1993年〜 国際ヒトゲノム計画のリーダーを務める。
有神的進化論
2006年『神の言葉:科学者は信念の証拠を提示する』
The Language of God: A Scientist Presents Evidence for Belief
(2008年翻訳版:邦題『ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える』)
生物進化論と聖書の信仰における有神論は矛盾しないと主張する。

◆2006年 科学と宗教のためのファラデー研究所(Faraday Institute for Science and Religion)
科学と宗教の相互作用について理解を深め、両方の分野で一般の理解を深めるための研究所。


◆2007年 創造博物館(Creation Museum)
ケンタッキー州に若い地球説を支持するキリスト教団体が建てた博物館。人間と恐竜は同時代に生きていたとする。AiG(アンサーズ・イン・ジェネシス)による。

◆ジェラルド・ジョイス(1956-)
Gerald Joyce
合成生物学(Synthetic Biology)
1994年 生命の定義:「生命とは"新しいものを組み込めて(後に定義を修正し追加した部分)"、かつダーウィン進化が可能な、自立した化学的組織である」。
合成生物学…分子生物学の知見を活かして人工の生物システムの構築を目指す学問。
2007年 試験内で自己複製するRNA自己複製子の製造に成功。これが単に複製するだけでなく、新しいものを取り込み進化するシステムへと改良されれば、彼の生命の定義による人工生命の事実上開発成功となる。

◆英国国教会は2008年9月15日、ダーウィンに対し公式サイト上で謝罪した。
“Charles Darwin: 200 years from your birth, the Church of England owes you an apology for misunderstanding you and, by getting our first reaction wrong, encouraging others to misunderstand you still. “
(チャールズ・ダーウィンへ。生誕から200年を経た今、英国国教会はあなたの考えを誤解し、最初の対応を誤ったために、今なお偏見が消えない状況を生みだしたことを謝罪する。)
※とはいえ、英国国教会は当時からダーウィンをウェストミンスター寺院に埋葬しており、最初の対応のみに対する謝罪である。この寺院には、ユニテリアンのニュートンや無神論者のホーキングなども埋葬されている。


◆2008年 ドキュメンタリー映画『追放:知性はお断り』(Expelled: No Intelligence Allowed)
カナダのプレミス・メディア(Premis Media)製作。ID論はあくまで科学と前提し、科学業界がこれを科学として承認しないのは、科学業界が無神論に傾倒している故の陰謀だと批判した。

◆デニス・アレクサンダー(1945-)
Denis Alexander
福音派、分子生物学者
科学と宗教のためのファラデー研究所の名誉理事。
ID論を批判し、科学や生物進化論は聖書の信仰と矛盾しないことを説明している。
『創造と進化ー選択する必要があるか?』(邦題:創造か進化かー我々は選択せねばならないのか) Creation and Evolution: Do We Have to Choose? 第一版2008年、第二版2014年

◆ダニエル・ガルシア・カステラノス(1968-)
Daniel Garcia-Castellanos
2009年、ザンクリーン洪水説(Zanclean flood)を提唱。一度干上がった地中海に、533万年前ジブラルタル海峡を通して再び大量の海水が流入して大洪水を引き起こし、現在の地中海が形成されたとする説。

◆ユージニー・C・スコット(1945-)
Eugenie C. Scott
自然人類学者、1987-2014年全米科学教育センター所長就任
2009年『生物進化論 対 創造論ー入門(第二版)』(Evolution vs. Creationism : An Introduction Second Edition)(邦題:『聖書と科学のカルチャー・ウォー:概説 アメリカの「創造vs生物進化」論争』)
第一版は2004年

◆教皇ベネディクト16世(在位:2005-2013)
「神の創造を信仰で理解することと科学による証明は対立しない」しかし、「進化論はすべての問いに答えてはいない」


◆2010年 インテリジェント・デザインセンター(Center for Intelligent Design)
スコットランド


◆ジェニファー・ダウドナ(1964-)
Jennifer Anne Doudna
エマニュエル・シャルパンティエ(1968-)
Emmanuelle Marie Charpentier
2012年 画期的なゲノム編集技術CRISPR-Cas9(クリスパーキャス9)を開発。それまで1年以上かかるゲノム編集が、数時間で的確に自在にできるようになった。
2019年 後継のCRISPR-CasXが発表された。

◆カール・ジンマー(1966-)
Carl Zimmer
サイエンスライター
ダグラス・J・エムレン(1967-)
Douglas J. Emlen
進化生物学者
『進化』(Evolution: Making Sense of Life )(第1版:2013, 第2版:2016, 第3版:2019)(邦題:進化の教科書)
米国の多くの大学で愛用される生物進化論の教科書。


◆2014年 教皇フランシスコ(在位:2013-)
ビックバン理論と進化論を容認


◆アーヴィング・フィンケル(1951-)
Irving Finkel
大英博物館中東部門副館長
ノアの方舟は円形だったと主張する
2014年『ノアの洪水の真実:「大洪水伝説」をさかのぼる』(邦題)
The Ark Before Noah: Decoding the Story of the Flood(ノア以前の箱舟:洪水物語を解読する)

◆2016年 アーク・エンカウンター(Ark Encounter)(方舟との遭遇)建設。
ケンタッキー州に建てられたノアの方舟の実物大のテーマパーク。創造博物館と同じく、AiG(アンサーズ・イン・ジェネシス)による。

◆2017年 映画 「ジェネシス:パラダイス・ロスト」(Genesis : Paradaise Lost)
創造論を擁護する内容の映画。

◆2019年 創造研究所(ICR)がテキサス州ダラスに創造研究所ディスカバリーセンター(ICR Discovery Center for Science & Earth History)博物館を開設。


ファンダメンタリストの一部は公立学校で生物進化論を教えることに困惑している。反進化論法(バトラー法)は長い間持続したが、冷戦になってソ連と科学競争になってからは、学校では宗教的に中立な科学教育が重視されるようになり、反進化論法も廃止された。そこでファンダメンタリストは創造論を創造科学として改良し、生物進化論と創造科学を公立学校で均等に教えるように画策し、訴訟を起こした。しかし創造科学は科学でなく宗教だと判決が下ると、今度は神や聖句を一切使わないインテリジェント・デザイン論に改良して対抗した。しかし、インテリジェント・デザインも疑似科学であり本質は宗教であるとの判決が下ると、今度は方向性を変え、「論争を教えろ」"Teach the Controversy"、つまりインテリジェント・デザインを教えることはしなくても良いから、せめて生物進化論は決定的な理論ではなく論争がある仮説だということを学校で教えるべきだ、というキャンペーンを活性化させている。生物進化論の不足を訴える方針に変化したのである。また一部の団体は創造論の博物館やノアの方舟のテーマパークなどを建設し、余暇を使って教育に活かせるように推進している。また極端な一部の人たちは生物進化論を陰謀論に結びつけ、科学そのものを無神論的と見なす反知性主義的な傾向も見られる。創造論側は裁判で負けつづけて追い詰められているが、今でもあきらめる気は全くない様子であり、議論は平行線を辿っている。


◆結論: 生物進化論と創造科学は科学か
まず生物進化論は科学かという問い。生物進化論は系統図を推定するタイプの科学である。生物がどのような分岐を経て多種多様に変化してきたのか、その歴史を探る学問である。数々のデータを統計的な手法によって分析し、数ある選択肢の中から最善な系統関係を示す仮説を推定する、アブダクションである。
結論には色々な選択肢(仮説)があり得るが、ここで重要なのは方法論的自然主義を基準とすることである。つまり、その仮説は自然法則のみで説明できなくてはならない。どんな緻密なデータ分析をしても、現実には誤差や矛盾が出る。それは神秘的領域であるが、神秘は仮説として採用されない。
神秘にすればいかなる矛盾も誤差も埋められるし、自然法則で説明できる事柄も神秘的領域に覆い隠してしまうかも知れない。したがって、科学は方法論的自然主義を徹底する必要がある。それは誤差や矛盾や神秘の否定ではなく、保留なのである。
したがって、方法論的自然主義を判断基準にしつつ、各種データから統計的手法を用いて、最も自然な系統関係の仮説を推定する限りにおいて、進化論は科学である。進化論そのものは神や神秘を否定も肯定もしない。科学の理論とは、数々の諸事実の分析に基づいた現在の最善の説明のことなのである。
一方、創造科学やID論は科学と同じ分析手法を取るが、判断基準が方法論的自然主義ではないので、誤差や矛盾を神秘によるものと判断して終わってしまう。神秘を原因と見なすことはどんな大きさの誤差や矛盾でも可能なので、実質的に結論ありきの判断と変わらない。しかし、矛盾の差を縮める試みこそが科学である。
したがって、創造科学やID論は科学とは言えない。それは神学と言える。神学は結論ありきから始まる推論法のことである。そして神学は宗教の要素の一つである。であれば、宗教的に中立を保つべきである公立学校の教育に創造論を教えることは憲法上ふさわしくないことは自明のことと思われる。神学や信仰のことは家庭や教会で教育すべきだろう。
そして進化論それ自体は神を否定も肯定もしないし、進化論は証明された事実ではなく、方法論的自然主義に基づいた現在の最善の理論(説明)であるということは、創造論者も無神論者(不可知論者)も共に弁えるべきだと思う。


◆私の創造論と進化論観
私はID論を科学とするのは困難だと感じたが、分子生物学などの知識をかじると、生命の機械としての精巧さに驚くばかりなので、そこに"特定された複雑性"=デザイン性は直観的に読み取れるし、物理法則だけで組み立てられない"還元不能な複雑性"があると直観的に感じるのも理解できるし、その可能性はゼロではないと思う。
とはいえ生物は一種の機械だろうし、デジタル信号で動いているだろうし、遺伝子情報から組み立てられたタンパク質の構築物だろうし、意識は身体を通して創発されたものだろうし、生命現象は物理的に説明できるように思える。そこに霊魂などが入り込む余地はないが、霊魂は復活の教理に必要なものなのであり、宗教では物理法則を支える根本的な力を霊と呼び、物理情報を越えた存在論的な情報のことを魂と呼んでいるのだろう。
ドーキンスは生命でなく利己的な遺伝子こそが主体であり、生命は遺伝子の生存戦略のために操縦される乗り物であると述べた。しかし、生命は互いを滅ぼすのではなく、一定の棲み分けと共生関係の中で落ち着くことも判明している。そこに原初の利他性が垣間見れる。
また、中立進化説では厳然たる偶然性が遺伝子レベルの進化に影響を与えていることも判明した。
進化論は様々な異論や反対論を自らの理論の中に吸収し、総合的に理解することで進展してきたと言える。それがかつての総合説(ネオ・ダーウィニズム)であったが、現在ではマーギュリスの細胞内共生説も、木村の中立進化説も取り込み、総合説から新総合説へと至っている。今後もあらゆる分野の研究が吸収されていくと思われる。
それ故、ID論は最後の最後に取り込まれるものなのだろう。それは極めて神学的・直観的なので、直観的に正しくても科学としては極めて慎重を要するということである。それは本質的に信仰の領域である。しかし、いつか最終的には、恐らく生物進化論の研究結果をほぼ全面的に受容した形の上で、ID論は取り込まれることになると思っている。
すなわち、生物のデザイン性は種単位ではなく、突如の出現でもなく、宇宙の初動における物理法則に内包されたものとして存在する。神は物理法則の必然性の範囲における確率論(偶然性)によって、生命の発生と種の多様性が生じるように物理法則をデザインしたのではないか。
人類が住み誕生した地球と比べて、宇宙の時空(時間と空間)がこれほど広大である事実は、生命誕生の確率の低さからすると必要なことであり、生物進化論という長期間の過程を経て生命が誕生したことを暗示しているように感じられるのである。
よって、私は個人としては超越者(神)の存在を信じているが、カトリックやプロテスタント主流派と同様に、有神的進化論の立場を持っており、生物進化論を否定せずに積極的に自らの神学の中に取り込むことができると感じている。


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