オーケストラ

経験年数でいえば4年とそこらなのに、わたしの中で大きな割合を占めているものがある。それがオーケストラ。
オーケストラという組織はあまりにも巨大だ。人数の規模だけの話ではなく、使う時間も、お金も、できることも、全てひっくるめてあまりにも巨大。全員が何かを犠牲にしてその席についている。そして組織の大きさに、みんなのまれてしまう。

わたしがオーケストラに入ったのは大学入学と同時だった。大学公認のオーケストラサークル。小学生の頃から1人で楽器をやっていて、オーケストラに入りたいと漠然と考えていたからその夢が叶った形だった。
オーケストラはすごい。自分1人だったら、例えばサントリーホールで演奏するなんてとてもじゃないけど一生叶わない。でもオーケストラならそれができる。100人を超える人たちが、あるたったひとつの音符の長さのことだけを考えている瞬間がある。ただアンサンブルが楽しいというだけではない、あのステージの中には、あまりにも非現実的で、刹那的で、巨大な喜びが渦巻いている。オーケストラ以外であれと同じような感覚に陥ったことは、ない。

オーケストラでは、全員が一部になる。弦楽器では特にそうだが、どんなに上手な人でもその中では音を構成するたった1人に過ぎない。実際、コンミスや首席が辞める場面に何度も遭遇した。そのときには信じられないと思っても、オーケストラは次の日から問題なく機能する。何事もなく、まるで最初からそうであったかのように昨日と同じ音が鳴る。

それなら、わたしがここに座って弾く意味は一体なんなんだろう。4年間ずっと、それを考えずにはいられなかった。先輩も同期も後輩も、同じようなことを考えていた人はたくさんいたと思う。
狭い上にどこまでも現実離れした環境が苦しくて、オーケストラをやるために犠牲にしているかもしれないあらゆることに思いを馳せたりもした。

結局わたしが4年間かけて辿り着いたのは、意味は自分の中に求めるしかないということだった。どう転んでも、オーケストラの方が個人を求めることは一切ない。どんなに楽器が上手であろうと運営で役に立っていようと、それは変わらない。自分がそこで弾きたいから弾く、それ以外意味なんて何もないのだ。何を当たり前のことを、と思われるかもしれない。けれどもオーケストラは酷く閉ざされた空間で、そんな当たり前のことすらわからなくなるくらいに個人を蝕むことがある。
意味は自分の中に求めるしかない。そうでありながら、オーケストラでは絶対に"全体のために弾く"ことが求められる。自分勝手に弾くくらいなら、60分間まるまる何も弾かないほうがマシなのだ。自分の中に意味を求めるしかない、でも全体のために演奏しなければならない、そういうある種の"歪み"が中にいる人をおかしくするのかもしれない。

みんながオーケストラというものをどう捉えているのか、知りたいなと思う。


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