#有②.【かけられたくなかった言葉・かけてほしかった言葉~ペットロス】
こんにちは!
15年以上【犬の保育園】の先生を行っている尚ちゃん先生と申します。
前回はこちらをお届けいたしました👇
さて、ひとつ前の「これがペットロスだ」と自覚した瞬間のお話。
大切な愛すべき存在を失ったとき、
人は自分の心を哀しみとそのつらさから守るべく、
さまざまな二次的感情を出現させて心を守ります。
私が愛犬の死のあと、たくさんのお花をいただき、
その感情がどんどんと変化したのはまさに
ペットロスの状態にある人が、
様々な感情の起伏や出現をうちに抱えながらも
戸惑っている状態そのものでした。
私自身はその状態が続いたのは長くはなかったと思いますが、
それでもその10日間は長く苦しいものに感じられ、
自分の心や体を腫れもののように触る
心の揺らぎを身の内に感じていました。
私の心の「ゆらぎ」。
混乱や否認、怒りや罪悪感、抑うつ状態から
「いなくなってしまった」という事実を随時に受け入れ、
もう何をしても、
あの子は戻ってこないのだという「あきらめ」へ感情が移動することで、
冷静にそして穏やかに、
周囲と自分の関係へと視野を広げることができるようになりました。
私の大好きな音声アプリスタエフでいえば配信を聞く、
コメントを残す、ライブに参加する・・・というように、
家族以外の他者やコミュニティとのコンタクトやつながりを再度求めたり、参加するようになったのはこのころです。
それまで、びっくりすることに、
ライブに参加することがいやになったことがありました。
あんなに楽しくて、毎日のように顔を出していたライブなのに。
配信者さんも、リスナーさんも、なにひとつ変わりがなく、
私だけが「愛する存在を失った哀しさ」のなかに取り残されていて、
世界は何一つ変わらずにそのままで存在することが、
なんだか無性に悲しかったり、いら立ちを覚えたのです。
まったくもって自己中心的もいいところ、悲劇のヒロイン気取りです。
ですがこれもまた、喪失のフェーズ、
「常ではない状態である」と私は認識することができたので、
その場をしばらく離れていました。
本当の意味で
「あの子はいなくなった。そして世界は今日も、動いているし、私は今日も生きている」
ことが冷静に受け入れられたところで、
「愛犬との繋がり」や「彼と過ごした意味・彼が与えてくれたもの」を
ゆっくり、穏やかに考えることができました。
その意味では、アニマルコミュニケーションで分かった
「彼が私のところへ来た役目」が分かったことはとても助けになりましたし、
「この悲しみの体験を、【ペットロス専門士】として次に生かす」
という役割を自分に与えることで、
彼の死に意味をもたせることができた私は、
「喪失、グリーフ」から「生への転換」へと
ゆっくりと移行していったのです。
この「あきらめ」と「転換」のフェーズは
ペットロス状態からの回復期には必要であり、
何よりも当事者自身がこの心の変容に気づき、受け入れることが必要です。
特に「あの子もうどこにも存在しない」という
決定的な死の哀しみをあきらめとともに受け入れるためには、
葛藤と努力が必要です。
目の前で亡くなった場合にはまだしも、
迷子などで行方不明になった子の場合には、
ここに至ることができない、何年もかかるケースもあります。
「愛する存在の死」を現実的に、生活の中で、社会的にも認める。
これが実際の愛犬の「死」あとからやってくるものだということは、
私は自分でそうなってみてはじめて、感じたことでした。
人は、自分で受け入れることで初めて、次の行動に踏み出すことができます。
愛する存在の死を自覚し、
心身共に、生活の中で、社会的にも認めて受け入れ、
「愛するペットが自分に与えてくれたかけがえのないもの」に感謝し、
唯一無二であった繋がりを見出し、
哀しみを自分で軽減・乗り越えるためには、
周囲の影響が大きく関係します。
周囲の影響がどうあるかによって、
ペットロスが軽減されるか、
「症候群」まで陥るか、
そこまでいかなくても心に大きな傷を負ったまま
周囲との壁や軋轢を感じたままになってしまう場合があります。
とくに「あきらめ」から「転換」という、
ペットロス当事者が自分で自分の中に新たなペットとの絆を見出し、
混乱や否認、抑うつから抜け出し、
社会と接点を戻そうというフェーズにおいては、
第三者からすれば「もう立ち直ったのね」とみられる局面でもあります
当事者自身も、
「あの子はいなくなったのだけど、私は今まで通りがんばらなくちゃ」
「もう大丈夫よ。いつまでも悲しんでいられないしね」
など、
周囲の人にも笑顔を見せたり乗り越えたような態度をとります。
もちろんその言葉に嘘偽りはないのですが、
それはとても表面的なもので、
それを鵜呑みにして
「そうそう、いつまでもくよくよしてたら〇〇ちゃんも悲しむよ」とか
「元気出してね」「新しい子を迎えるの?」
などといった言葉をかけるのは、
やっと湖の上に張った薄氷の上をスパイクでずけずけ歩くようなものです。
私自身が、この局面にあるときにかけられた言葉のなかには、
「そんなふうに言わなくてもいいのに」などもやっとした言葉や、
「そんなふうに言っていただけてうれしい」という言葉がありました。
もちろん、相手に悪気がないことは百も承知ですが、
とくに、ペットと暮らしたことがない方に
この喪失を心から理解してもらうためには、
相手側の相当な理解のための努力が必要であるだろうと思いました。
私の場合その相手は、
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