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エッセイ:世界はイチである

思い出すことはなんだい?

フィッシュマンズ『ロングシーズン』



孤独とはひとりでいることではない、イチではない、ゼロだ。とは安っぽい、糖質ゼロのノンアルコールビールのキャッチコピーみたいだが、多分正しい。ゼロ。己とは虚無である。虚無として人は在る。
虚無として在ることに意味はない。ノンアルコールビールってアルコール飲料ですか? いいえ、ノンアルコールのアルコール飲料です。ですからノンアルコールなのです。てなくらいに、在ることに意味はない。ただ在る。意味とは虚しい幻影である。
人はこれを追い求める。

己が虚無ゆえに、それを充たすように、虚しい幻影を次々と生産し、欲望を喚起するのがご存知、資本主義社会。この社会で確かなものは、コストである。
コス◯コで、業務スーパーで、お茶の間で、至るところでコスパがどうだのと。主語は誰。消費者ではない。資本家である。
だって資本主義だもの。
資本主義の本質はマネタイズ、その手法は錬金術。奴ら資本家どもはそう、錬金術で人を計量する。
人=売上―コスト。
かくして人とは消費者であり且つ付加価値である。
付加価値の合計であるGDP、国内総生産にどれだけ貢献したか。人の価値はそれで決まる。生産性。これがあなただと奴らは言う。個性、あなたの生きてきたこれまで。それも奴ら錬金術師どもにいわせりゃ商材だ。売れるものは何でも売りつける。掛け替えのない自分探しも商材だ。

奴らは言う。
あなたとはあなたの欲望。
例えばあなたにぴったりの服、時計、靴。自動車、マンション、ソファーセット。
消費しなさい。
あなたにぴったりですから。
例えばあなたにぴったりの美味しい食べ物。
消費しなさい。
さすればまた新たな欲望が生まれるでしょう。
生めよ、
殖やせよ、
欲望を。
「私」とは、
せはしくせはしく明滅しながら尽きせぬ私の欲望、美味しい食べ物、
虚しい幻影。
人は「私」を追い求める。
まやかしと知りつつも、うつつを抜かす。
欲しい物はみんな「私」。
「私」が「私」を欲望する。
だが空腹を覚えた蛸が自分の脚を喰らうような自分探しは消費ではない。自殺である。
欲望とは死の欲望である。
資本主義も死へ向かう。己を食いつぶし、やがて蕩尽する。
逃れようはない。
死は必定で、確かなものだ。しかし抗うことならできる。他者と出会うことによって。

「私」という虚しい幻影の空腹を充たすのは他者である。他はあり得ない。
他者を思い浮かべるとき、他者の眼差しを感じるとき、他者と出会うとき、「私」が立ち上る。生を実感する。今ここにある「私」。唯一無二の「私」。
昨日の「私」は今日の「私」ではない。「私」とは常ならず、昨日の「私」も他者である。かくありたい「私」も他者である。「私」ではない者が他者である。
この世界には他者しかいない。
私などない。
故に孤独とはゼロである。
他者とはイチである。
他者しかいない。
私などない。
他者と出会う場所がある。
生とは他者との出会いである。

もう忘れてしまったが、
世界はかつてひとつであった。
イチであった。
これは多分正しい。
今でもそう信じる。


世界はイチである
本質とは肯定である
矛盾とは自己同一である
無常は絶対である
本質とは他者の肯定である
世界とは他者と出会う場所である
分割し得ないイチである