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私が「違いへの態度」に敏感になってしまう理由

多様性の国・カナダに来て3週間。
やっと、エアビー生活(4軒も転々としました!)を卒業して、新居に移ったところです。

森に川に海に、と自然が溢れる土地の力もあるのか、新しい環境にどんどんと細胞から影響されているのか、あらゆる場面でこれまで無自覚にあったものに気付いたり、これまでにない反応が生まれたり、新体験を楽しんでいます。

その中で驚いたのが、ふいに幼少期の古い古い記憶が、いくつも呼び覚まされること。しかも、思い出の多くが、父とのものでした。

父との記憶から、カナダに来た理由でもある「多様性や違いを活かし合うことへのこだわり」、その源泉に触れたので、ここに書き残したいと思います。

父と私

今現在も地元で小児科医として働く父は、子供たち(孫)をこよなく愛するおじいちゃんでもあり、「ケンジ」という名や「祖父・爺」を文字って孫たちには自分を「Kenny G*」と呼ばせ、ひょうきんさに定評のある人です。
(* 大好きなジャズサックス奏者名でもあるw)

彼仕込みの変顔を披露するたびに「ケニージーから教わったよ!」と触れ回るものだから、保育園では「面白いおじいちゃん」としても有名になるほど。

孫たちも大好きな父ですが、私にとっては、厳しさへの反発のあまり、一時は大嫌いになった「分かり合えない人」であったこともありました。

「あなたはワシと違う」

安心安全が第一で、飛行機も苦手な父。
中学生の時、ニュージーランドの姉妹都市へのホームステイのプログラムに参加したくて参加したくて、何度も直談判に粘るも、最後までYESとは言ってくれませんでした。

この一件に留まらず、性格の違い、望むものの違いが大きく現れる時によく「あなたはワシと違うから」と言われ続け、そのたびに突き放されたような断絶を感じてしまっていました。
 
とはいえ、親世代が言葉に出すのが苦手なことも、言葉以上に大きな愛をもって育ててもらったことも、それときどきの言葉の裏にある想いと一緒に今なら受け取って理解できます。

「道なき道こそが、我が道」といつも猪突猛進な娘の危なっかしさを心から案じてくれていたことも、私自身が親になったこともあって、より一層有り難く受け止めています。

ただ、その当時は何かと理不尽さ、寂しさを感じ、ただただ反発するか黙り込むかしかできない日々があったことを告白します。


しばらくして、私も30代となった時のこと。
夫婦で地元の地域医療に貢献してきた両親にとって、株式会社やら社団法人やら立ち上げて仕事をする娘がやってることは「分からない」の一言。私がどんな仕事をしているか、彼らに尋ねられることもあまりなく、私もあえて解説もせず、というのが常となっていました。
 
2人兄弟のもう一人、弟が同業・医者になった後が対照的で、"勝手のわかる同じ世界"であることの安心感からか、あの無口で有名だった息子とあれこれ同業者同士ならではの話が弾みに弾みます。

この親との会話の熱の違いは、私にとってみれば当たり前のことで、気にするほどのことでも何でもなかったのですが、あるとき放たれた一言に、ズドンと鉛の弾に打ち砕かれるような衝撃がありました。

「早苗(が生きてる世界)は、違いすぎててよく分からない」

その口ぶりは、少なくとも私からみて、人間が持つ「見知らぬものを警戒する本能」と直結した「一線を引く」行為そのもの、でした。その一線で生まれた距離があまりに大きくて冷ややかで、「そうだよねー」と笑って答えようとするも、一瞬で自分の心身が凍りついてしまっていて、言いながらどうしようもない悲しさが涙と一緒に溢れるのを感じました。

「まなざし」のチカラ

奇しくも、この凍てつく衝撃が、過去の寂しさで膝を抱えた記憶と連なって、私のある確信につながっています。

事実として立場や価値観や状況が「違う」という「違い」そのものではなく、その「違い」をどう見ているかの「態度・スタンス」にこそ、とてつもなく大きなチカラがある

「まなざしのチカラ」とよく呼んでいるのですが、「可愛そうに」というまなざしをかけられたときの非力さ、「あなたには現実を変えるチカラがあるはず」というまなざしをかけられたときに湧き上がる勇気…  その何気ないまなざし一つがもつチカラを私は無視できずにいます。

人を痛めつけることも、生かすこともできるパワフルさがある「まなざし」。言えば、その正体は、何を前提にしているかという「ものの見方」・「見立て」といった態度やスタンス、扱いづらい文字通り「見えないもの」です。

「誰かと自分が違うこと」が「理解できない、嫌悪感をうむもの」なのか、「素晴らしいこと」もしくは「いいも悪いもない、ただの事実」なのか、、「違い」を見るときの態度・スタンス、前提となっているものの見方の如何で、こんなにも衝撃を受けることもある。

父との記憶がふいに生々しく思い出されたとき、ぎゅーっとその当時の胸の苦しさが蘇ってきました。

私自身が無自覚に持っていた思い込み

そして、さらに新しい発見がありました。
父の「お前とワシは違うから」「お前のことはよくわからない」といった言葉にまなざしに、衝撃を受けてきたように記憶していたのですが、それも記憶違いなのかも、と。

父が「違うもの(=娘である私のこと)への嫌悪感」を本当に持って言葉を放ったかでいうと定かではなく、むしろその胸の痛みは、当時の私の思い込みから来てたんだな、と。

私自身が「みんなと違う」ことに生きづらさ、息苦しさを募らせるのが常だったあまり、いつの間にか「違うこと、わからないこと、は一線を引かれるものだ、嫌われるものだ」って決めつけていたんだな、と。無自覚な思い込みながら、そうやって自分を守ってきてたんだな、と。

「同じことが当たり前」じゃなく「違うことが当たり前」という新しい場所で生活するようになったからか、その思い込みが絶対じゃないことを頭だけじゃなく細胞から理解し始めたのかもしれません。

バンクーバーで見た夕焼けの中、ふと思い出した父との記憶。一瞬の胸の痛みに思わず涙がこぼれたのですが、気づけば、胸深くに刺さっていた鉛の弾が優しく解けるかのように晴れやかに顔を上げることができました。

「違いへの態度」に敏感すぎるほど敏感に、ある種、そのまなざしに傷つけられないか怯えていた「これまで」。同じ敏感さを持って、もっと解像度高く、どうやったら違いを活かしあえるかを伝え実践できる「これから」にしよう、と誓いました。

>>(後日追記)

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 決意表明的note


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