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10年20年も変わらなかった言葉たちへ

長々と7000字も超えて書き下ろした記事。

これを書いたキッカケは、最近にあった「ふとした気づきからの大きなショック」でした。

12月に入って年末の大掃除が頭によぎり出したのもあって、私の目についたのが、どうしても扱いに困り果てて、うずたかく放置してしまっていた大量の過去のノートたちでした。 

1日1日のスケジュールと日記メモとを兼ねたA5サイズ・方眼掛けノートを10年以上使い続けていて、初版?は、2001年の文字通り20年前のものも。
(ただし、大学時代など大半が、残ってないのが残念。。)

過去のノートたち(一部)

一時期は、メンタルボロボロで、何書いてるか自分でも読めない文字が泳いでいるものも。そもそも書けずに日付が数週間スキップしているものも。

そういう日々もぜーんぶひっくるめて、今に繋がってると思うと感慨深く、捨てに捨てられずにあったのです。

ふと、その20年前〜15年前くらいの初期の方の数冊をパラパラっとめくった時にその衝撃はやってきました。

飛び込んでくるフレーズフレーズ、キーワードが
「あれ、20年後の今と何ら変わらない?!」と

そんな馬鹿な・・
この20年の歩みを考えたら、まるっきり別人なほどなはず・・
この20年の濃さを想えば、そんな同じこと言ってるほど成長ないはずない・・
などなど

ギクリという一瞬の中に、相当な焦りと共に色んな思いが駆け巡りました。

その少なくとも10年以上前の自分が書き残したワードのいくつかは

「いのちをいかす」
「パラダイムシフト」
「志同じくする仲間と」

などなど、今に続く変わらない軸、「ライフミッション」とも言えるので、落ち着いて考えれば、変わっていないこともむしろ誇らしく、受け入れられるものだったのですが、、

いくつかワードは、「あれ?! まだそれって新しい当たり前になってないの?!」

10年20年経って、2021年が終わろうとする今日時点でも、まだ語り尽くされておらず、言葉で切り出さなければ気づかれないことであることが変わっておらず・・
ある意味色褪せていないことに愕然としてしまいました。

現実を動かさないないことには、いくら語ってても意味ない。

長年の痛い経験からも、悔しくて苦い経験からも、「語る」ことから一歩引いていた自分。

とはいえ去年2020年のコロナはあらゆる環境をガラリと変えて、私自身もやっと「語る」ことについて自分に許可を出すことができたのか、LIVE配信やそれを使った講座などを続けに続けていました。

先日も、手付かずだったInstagramでの実験として、インスタライブを42日間連続配信。

https://www.instagram.com/sanae.latorche/

このLIVE配信三昧の一連の取り組みの中でも、10数年前からノートに書き殴っていたワードたちの話を、手を変え品を変え、といった具合に何度も話題に挙げていたので、私はもうすでに、何かを語り尽くした気になっていました笑

が、しかし!!
先ほどの古びたノートを手にした時、気づいてしまいました。

それもこれも、語ったり、叫んでるだけでは、何も消化も昇華もされないことを。 

"言い続けてること(書き殴り続けていること)"

それは幾度となく、本や他人にインスピレーションをもらいつつも、私が私であることを抗えない叫びのように何度も私の中でこだましています。

この叫びを成仏させるには、「刻む」しかない。

これが何につながるか、本当に消化・昇華されるのか、まだ何も分からないけれども、この先の10年後の自分にはこんな思いをさせたくないな、と思いました。

人類最初の未来に何かを伝える記号は、木に「刻む」行為から始まった

という誰かに聞いた話もあって、「刻まないと!」って衝動が生まれたようです。そして現代版の「刻む」行為として、このnoteにも10数年そこにあった言葉たちについて書き綴って行くことを決めました。

※書きながら思い出したのは、2008-10年頃の話。
年末に「忘年会」をするけど、「なぜこんなにも濃くて大切な一年を忘れる会をしないといけないんだ!」と、仲間内でその一年を刻む「キザマナイト」って行事にかえて、思い出と次なる年への想いをシェアする会をやっていました。懐かしい・・

ちなみに話を戻して、その第一弾のチャレンジであった7000字超の記事。(再掲)

この7000字を四苦八苦書き出して分かったことがあります。

「書く」とそこにその時の自分の分身のようなものが宿ってくれる

ということ。

読みやすさも、分かりやすさも、誰向けのどんなメッセージか、なんて基礎の基礎もまだ粗々ですが、これも得意の「リフレーミング」のメガネで見直せば

伸びしろ無限大!!!」

これから2022年のチャレンジをともにするであろう仲間だったり、出会うべき人と出会うためにも、今日の私が、過去か未来か、いつかの私のチカラとなるためにも、

順不同ながら、一つ一つ記事に刻んでいきたいと思います。


10年20年も変わらなかった言葉たちへ
私を駆動しつづてくれてありがとう。
私に新しい視座をくれてありがとう。

やっぱり私だけのものにするにはもったいない。
出会うべき人に出会うべき時に届けられますように。
ここに刻みます。
 



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