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古典のススメ

ちょっとエラソーなことを書きます。

文章を書く時に僕が意識しているのは、
「難しい事をわかり易く」
「つまらない事を面白く」
この二つです。ですから僕にとって「難しい事」や「つまらない事」というのは、そのまま題材にもなるし、書く上での刺激にもなるのです。それが詰まっているのが「古典」なんですね。

「古典」が難しくてつまらないものという訳ではありません。しかし、翻訳の問題であったり。時代背景の違いなどで「なんじゃはほい?」となる部分が多いのも「古典」の特徴です。
特に、昔の書物になればなるほど、知識人に対して書かれているため、同様の知識を保有していなければチンプンカンプンになってしまいがちです。だから「古典」の本を開けば、

注釈がやたらと多い!

と、まず思うはず。これで挫折するパターンが多いんですが、これは、しょうがないんです。
そもそも字を読める人が少数派の頃に書かれているのです。そこは察しましょう。
とりあえず分かる部分だけ読んで、繰り返し読んだり、関連する本を別途読んだりして、慣れるしかない。

近代文学を古典というのはどうかとも思いますが、そこらへんになってくると、作家が想定する読者層が大衆に寄ってくるので、中世の作品に比べ格段にわかり易くなります。
文学の歴史からいうと、日本は江戸中期から、世界に先駆けて近代文学が花開いたので、井原西鶴あたりから相当面白い。

「古典」に興味が多少なりともある方は、書物が大衆化した「近代」の作品あたりから攻めるのが一つ方法です。
もう一つの入り方としては、うんと遡って「古代」もアリ。伝説や叙事詩というのもまた大衆向けのものですから、ホメロスなんか最高だし、プラトンの対話篇とか、やや大衆向けじゃないものでも良い翻訳が出てますしね。

僕は「近代」で言えばドストエフスキー。「古代」ならプルタークか司馬遷ですかね。ここらへんの話を書き出すと止まんなくなるので、いづれ、それぞれに個別の記事にしようかと思います。

ともかく、「古典」の「なんじゃらほい?」にぶつかって、それを考察して「なるほどね」となれば、それを自分の身近な話に置き換えてみたり、現代風にアレンジしてみたり、それだけで文章になってしまうというね。インスピレーションの宝庫が「古典」になるわけです。
古典解説書や現代の作家さんの作品は、既に「わかり易く」「面白く」なってしまってますから、「こうやって書けばいいんだぁ」という勉強にはなりますが、インスピレーションの点では劣るかな。

さて、僕が心がけている
「難しい事をわかり易く」
「つまらない事を面白く」
と、真逆の発想での作文があります。

それが「法律」ですね。

今回はフジミドリさんの下記のコメントに応えて書いてみました。明日、丹沢表尾根縦走しようと思ってますので、準備してはよ寝ます。あ~。肝心の小説書くのがまた延び延びに。

もう少し詳しくNOTE記事にしてもらえるとうれしいなあ。真田さんがどんな局面で、どんな風に読んで、どんな感慨を持ったかみたいなね。もちろん、小説執筆に差し支えない程度でかまいません。誰だったか忘れたけれど、普段より小説を書いているときの方が、他作家の作品をよく読むとか。意外なようでわかる気もする。充電が必要なのかな。スマホやPCも、電気がないとただの板だもんね。

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