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昔がなければ今はない。

おおよそ組織というものは肥大化して自浄作用を失えば腐って滅びる。まあ、ある意味「滅び」はもっとも強力な浄化でもあるんだけどね。
自浄機能が低下すれば、他者による浄化=他浄がそれを補完しようとするのが常で、他浄が関与を強めると、組織は不安定さを増し、そこで人々が右往左往する有様は、部外者にとっては格好の見世物となる。歴史なんてそんなもん。

僕はひねくれた人間ではあるけど、頂点目指して努力する人の姿に心打たれることも多いし、スポーツだって好きだ。それに流行り病の騒動にも懐疑的なので、東京オリンピック開催にはやや賛成かなぁ。

諸手を挙げて賛成と言えない原因は、上層部が腐っているからで、先だって説明したようにその腐り具合も格好の見世物ではあるんだけど、偉い人が口を滑らせて身を引くことが重なったり、開催直前にもなって、いじめ自慢が再燃して、オリンピックの式典から外れた人の件とか、腐り方がビミョーで「なんだかんだかなぁ」という気分。

いじめ自慢の人については、僕はいじめられっ子だったから反感を持つ一方で、同じように過去の所業で脛に傷持つ同類という複雑な立ち位置でホントにビミョー。

まあ、過去とどう向き合って、どう生きていくかは大きな課題で、僕も今でこそ、東京と大分を行ったり来たりしながら、それなりに楽しんで仕事してるけど、大分での仕事を始める前にも、誘ってくれた友人と激論になった。

くだんの友人の恩着せがましい言動などについてはnoteでよく愚痴るから、これもその一つになろうけど、僕を大分のビジネスに口説こうと東京に来て、ある夜こう言った。

「大分に来て、ゼロからやり直せ!」

当然ブチ切れる。
「お前は、オレのこれまでの人生を全否定する気か!」
僕がそう言うと彼は「そんなつもりはなくて経済的にゼロという意味」とか、本人言い訳してるつもりでガソリンぶち込んでくるから、僕は我を失うほど喚き散らた。
同席した別の友人が間に入ってとりなしてくれなければ、今の状況はなかっただろう。

例えば商売とか恋愛とかその他モロモロの人が成す所業において、努力や情熱というインプットと、結果というアウトプットには必ずしも比例関係はない。
とはいえインプットとアウトプットをひっくるめて、人生における出来事と言える訳で、結果だけを見てゼロと言ってしまえば、そこに費やした努力や情熱は無駄だったということになる。

僕は根性論は嫌いだけど、流した汗は必ず血となり肉となり、今の自分というものは、過去に積み上げた血肉よって出来ていると信じている。
そういうの僕の信仰と似たものが、スポーツで形となって見えたりすることがあるから、オリンピック自体はどうでもいいけど、アスリートたちのドラマには興味津々。楽しみだ。

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