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実家のデミグラスソースをご飯にかけて食べてたけど、今思えばありゃあ相当な贅沢だった。

寿司は職人で、割烹とかは板前ね。お寿司屋さんで「板前さん」と声を掛けるのは恥というほどでもないけど間違い。これマメね。
ところで、最近はクックパッドもあるし、ネットには様々なレシピが載っているから「料理人」は簡単にできる仕事で、むかしほど専門的な職業とではないと思う人も増えたかもしれない。
自分で昼飯を作る「お弁当男子」というのも流行っているらしいし、モテる要素として、料理が出来る男性ってのも昔からあるんだけど、家庭で料理を作るのと、仕事として料理をするのでは、次元がまるっきり違う。

僕の実家はレストランで、厨房の父親を見ながら育ったけど、身体的なハードさもさることながら、頭脳もタフでないと務まらない。
ご飯時になると伝票が20個くらい並んで、オヤジの頭の中にはそれが全てインプットされていた。例えばドリアとカレーではかかる時間は違うけど、伝票が一緒なら、できるだけタイムラグないように提供したいし、もちろん早くオーダーしたお客さんから先にテーブルまで届けるべきだし、手順もまるで違うわけだ、オヤジはそういうのを的確に判断しなから、部下に指示を出し、自分自身も動くわけね。そしてオーダーは次々と入ってくるから、状況は絶えず変化する。

とてつもなくインテリジェントな仕事で、その上うちは手作りにこだわり続けた。実家のデミグラスソースは美味かった。骨や野菜をオープンで焼くところからスタートして1週間くらいかかるしね。ベシャメルソースも小麦粉とバターを炒めて作ってたから、グラタンも最高だった。
銀座で働いた時に、有名店や高級店で食事をする機会に恵まれたけど、実家で食べていたモノも引けは取らない。値段は十分の一でもね。

そんな実家は、チェーン店のセントラルキッチンに負けてオヤジは店をたたんだ。自慢のデミグラスソースはハインツの缶詰屈し、ベシャメルソースから自前で、バターの香りが絶妙なグラタンはレンチンに白旗をあげた。

オヤジがレストランを畳んでカラオケボックスを始めたのは僕が大学生の頃で、オヤジもさぞ悔しかろうと思ったが、冬休みに帰省すると意外にケロっとしていて「時間になったら電話するだけだから楽でいあわぁ」と言っていた。
それでも流石シェフというべきか、僕が呑気に店番していると、厨房でお客さんに出す飲み物を作っていたオヤジが「一番はそろそろ時間だから電話しいや」と僕に指示を出す。お客さんの入店時間などは、伝票を確認しなくても全て頭の中にインプットされているのだ。

まあ、ウチに限らず個人経営の飲食店というものは、そんな「専門職人」たちによって支えられている。めっちゃ高度で洗練された技術だよ。
自粛自粛って簡単に言うけど、そういうお店がコビットちゃんによって数が減り、技術も失われるんだろう。それで手のかかった美味しいモノは、富裕層しか食べれなくなるか、あるいは自分で作るしかなくなるんだろうね。

それとさぁ。家族をおもてなしするつもりで、料理する旦那衆は気をつけた方が良い。家庭の料理人は、栄誉や好き嫌い、献立ローテーション、コストなどなど、レストランの料理人とは違う角度で、プランを立てて料理をしている場合も多い。それを乱されると「ありがた迷惑」になるので、しっかりと皿洗いするくらいに留めるのが無難。皿洗いもちゃんとやると大変よ。プロの修行もそこからだしね。

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