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自転車で訪ねる式内社、140字の古社巡礼
2024年9月15日 12:11
大きい神社という訳ではないが、日差しを遮断する社叢は僕ひとりが涼を求めるに十分な木陰を与えてくれる。ツクツクボウシの鳴き声とすぐ前を流れる川のせせらぎ。農作業をしていたおじいさんに声かけて教えを請う。「いつできたかは分からないけど古い神社だよ」写真は静岡県南伊豆町。
2024年7月27日 12:58
「洪水で流失して大社殿にはなれず」という由緒の言葉にうなづいた。こぢんまりとした姫宮神社。弥生時代からの祭祀遺跡の延長線上にある古社だが昭和三十八年、杉桙別命神社に合祀というのが「式内社調査報告」掲載時の話。その後、笹原に氏神をという熱望から再建。写真は静岡県河津町。
2024年7月26日 10:43
先に見た河津来宮神社の祭神は杉桙別命。ところが八幡野の同社は伊波久良和気命。来宮神社なのに祭神が違うのは一筋縄にはいかない奥深さ。八幡宮に合祀前は海窟にまつられていた。伊波久良とは磐座じゃなく洞窟のこと? 神社出ると幸先よさそうな虹。のちに大雨。写真は静岡県伊東市。
2024年7月19日 11:25
由緒によると本殿後方にある祭祀遺跡からは海の向こうの大島、利島、新島を拝したそうな。それを知った上で白浜海岸の鳥居の立つ岩に上がる。遥拝所なんだな、ここは。延喜式における掲載順見ると前後に三宅島の神社。この三島大社の后神は三宅島より遷座とか。納得。写真は静岡県下田市。
2024年6月13日 11:04
寺院を思わせる拝殿だが、裏手に回り覆屋に鎮座する社を見るとやはり神社である。須波=諏訪かぁ、なんて思っていると、おやおや神社の斜向かいに茶畑が。平頼盛の御廟所である城福寺は福井藩主が桜を楽しんだ場所。維新後、藩主が東京に移ったあと馬場跡が茶畑に。写真は福井県越前市。
2024年6月10日 07:57
「石部」をどう読むか? 神社の読み方は難しく「式内社調査報告」のルビは「イシベ」だが神社覈録には「伊曾倍」つまり「イソベ」とある。神社が鎮まる集落を訪ねるとバス停に「磯部」とあるから現社名は「イソベ」だろう。森の入口の鳥居は遠くからでもその姿がよく見える。写真は福井県鯖江市。
2024年5月29日 20:30
道の両側、田植えを終えた田んぼの水面が鏡のように低い山並みを映している。その上をツバメが飛び交う、穏やかな越前の風景。南小山のバス停から集落の奥に進むと鳥居が見えてきた。社叢林が日陰をつくる境内に生き物の活性の高さを感じる。そして姿を見せた1m超の青大将。写真は福井県越前市。
2024年4月12日 10:14
神社に向かおうと真名川にかかる橋を渡るが激しい雪でホワイトアウトに近い状態。神社は山と集落の境に位置しスギの木立ちに葉を落としたケヤキが混じる。かつて荒島岳の四合目に鎮座していたそうだ。初めて経験する奥越の大雪。登拝なんてとんでもない、麓の神社でよかった。写真は福井県大野市。
2024年2月29日 13:01
国道410号線と丸山川が交差した場所を西に入ると、磁石で引き寄せられたかのような神社の森と後背の山。古代人も同じことを考えたようだ。由緒によると後方の渡度山は御神体で、神社は遥拝所から発展したか。参道には柱に竜、麒麟、鳳凰など彫られた弘化二年の「常夜灯」。写真は千葉県南房総市。
2023年12月22日 10:58
間違えて茂みのなかに入ると墓地だった。しかし神社は同じ丘の少し先に。墓地と神社が同居する聖地的な空間ということか。石段上がり森への玄関のような鳥居くぐると木立のなかは結構な暗さ。雪が降る冬ではないが拝殿はプラ製トタンに覆われ、お賽銭を入れる隙間がなく残念。写真は石川県津幡町。
2023年12月17日 08:57
「野蚊」と「野蛟」。紛らわしいのは漢字だけでなく神社にも混同の形跡。入口の社号碑と鳥居の扁額には「野蚊」。一方、なぜか拝殿の扁額は「野蛟」。手元の「延喜式」には「野蚊」と「野蛟」の二社は同郡に併存。浅野川の堤防道路下に鎮座。古社というより若い神社の雰囲気。写真は石川県金沢市。
2023年11月28日 11:24
市街地から東に向かうと屏風のような山並み。キツめの坂を上がる、その名も郡家山。強い日差しに汗をかきながら頂に鎮座する郡家神社の境内へ。外とは一転、陽光が社叢の伸びた枝葉に遮られ薄暗く気温も低い。ホッとした気分で柏手を打つが、気づけば蚊の猛襲を受けることに。写真は石川県金沢市。
2023年11月27日 08:09
境内を写真に納めると北陸新幹線の高架が映り込む。それだけに新幹線の通過音が近い。三池町の日吉神社が論社とされた理由は「ミイケ」=「ミヤケ」=「郡家」。他国にはミヤケ(三宅・屯倉)神社があるから説得力に欠く。祭神は近江の日吉神社と同じく、大山咋神と大己貴命。写真は石川県金沢市。
2023年11月25日 17:20
郡衙の所在地らしい社名だが、一方「薬師の宮」とも呼ばれる。かつて南方150mの清水湧き出る近辺に鎮座。水が万病に効いたゆえに薬師となり、そこに医薬の神・少彦名命が習合。また拝殿の手前に幹太いケヤキが左右にそびえる。しかし延喜五年に植えられたとは、昔過ぎないか。写真は石川県金沢市。