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ホリエモンが言おうが、寿司屋の大将が言おうが、本質は変わらない。

僕は人間味のある人が好きで、そういう人とは関わりたいと思っている。
正直で、公正で、誠実である人が好きだ。

世界的に有名な本「7つの習慣」は、人格主義ついて説いている。
僕は人格主義という考え方には大賛成だ。

僕自身、何を選ぶにしても最終的には”人”で選んでいる。
あの人に髪を切ることをお願いしよう。あの人の料理が食べたい。あの人のカフェに行こう。
常に僕が見ているものは”人”であることが分かった。

7つの習慣にはこんなことが書かれている。

人格主義の土台となる考え方は、人間の有意義なあり方を支配する原則が存在するということ。

今日、ホリエモンチャンネルを見て思った事、寿司屋に行って思った事は

価値観(表現)は違うけれど本質(原則)は同じだなと思った話。

本質という原則の存在

ホリエモンはYouTubeでこんなことを言っていた。

海鮮丼のネタTOP3は、うに、かに、いくらでしょ。
それ以外は必要ない。
なんなら、いくらだけでいい。
緑が入ると綺麗に見えるからとかは味に関係ないし、いらない。

つまりは、”究極美味しければいい”というのが、ホリエモンの価値観になる。


そして、今日行ったお寿司屋さんでの話。
目の前で握ってくれるカウンターで食べるお寿司は何度かある。
ただ、”大将のお任せで”などで頼んだ事ないし、
そのレベルのお寿司屋さんに行ったことがない。

ここでは、最高級のおもてなし時間を提供している大将である事を前提に話をしたい。

僕が、美味しいお寿司を食べ、
「美味しいだけではなく、他の言葉でも表現できるようになりたい。」と大将に話しかけると、大将はこう言った。

おいしいものは、おいしいでいいんですよ。
それ以外で表そうとしなくても十分伝わります。

僕は大将が出す全てのお寿司を、美味しいと思った。

つまりは、大将はどのネタも美味しいと思っているから提供していることになる。(当たり前だが)

”どのネタも美味しい、美味しいものを出す”が大将の価値観である。

お互いの価値観
ホリエモン:海鮮はいくらだけでいい
大将:提供するどのネタも美味しい

表現が違うだけで、ベースは同じ

それぞれの価値観の上で物事表現されるが、奥まで読み取って行くと、本質にぶつかる。

今回の本質は”美味しい”である。

よく、有名人の過激な言葉を切り取ってメディアに露出されるが、
本質が本人の価値観で表現されているにしか過ぎないと思う。

今回で言えば、メディアだけを見ている人は、”いくらだけ”とか極端な部分に目がいき、そこでしか捉えられない。だからこそ、騒ぎ立てられるのではないかと思う。

だが、よく考えてみると、言い方は違えど本質を言っているしかすぎない。
そこを捉えることができれば、自分の価値観とぶつかったとしても、最終的には落とし所を見つけられて、苛立ちやもどかしささえなく、冷静に理解することができる。なぜなら、原則(本質)は同じだから。

本当に良いサービスをしている飲食店などは、この本質を教えてくれるからこそ、価値があり、多くのお客さんがリピーターとして通い詰めるのだと思った。

だからこそ、富裕層がいくようなお店には一度はいくべきなのだと思う。
美味しいご飯を食べるためにもそうなのだが、自分の価値観の先にある本質が正しいのかどうかを確かめるために。

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